覚悟しておくことね
いじわるでもいいじゃない

 蟻さんは、馬鹿にするように桐生を見て叫んだ。
 桐生は、びくりと大きく体を震わせる。
「それは、お前が鹿野倉のことをす――」
「桐生、そのくらいでおやめなさい」
 すっと桐生の前へ手を差し出し、ぴしゃりと言い切る。
「鹿野倉!?」
 すると、桐生ではなく余計なことをほざこうとした蟻さんが、憎らしげにわたしをにらみつけた。
 まあ、その反応は予想通りだけれどね。
 だって、本来はこちらをとめるつもりだったもの。お馬鹿な蟻さんの戯言を。
 いきなり名前を呼ばれて、けれど実際には対象とされたのではないと気づき、本来の目的に気づき、桐生は困惑気味にわたしを見つめる。
 けれど、そんな桐生も蟻さんもさらっと無視して、わたしは華麗に言い放つ。
「所詮、愚鈍な輩の戯言。耳を傾ける価値すらないわ。――ご存知? 弱い犬ほどよく吠えるのよ」
 瞬間、その場がしんと静まり返った。ぴきーんと空気がかたまる。
 それはもちろん、わたしの言葉が的を射ているからよね?
 それ以外だというのなら、わたしの敵にまわることを覚悟してから言うことね。
 本当、つける薬がない愚か者よね。
 人の気持ちを、他人が勝手に言っていいものではないわ。
 それくらい常識でしょう。
 自分の気持ちを他人に勝手に言われて、いい気はしないものね。
 これ以上食い下がってこないことを確認し、あざけるようにくすくす笑いながら、次の授業の教科書を取り出してきた時だった。
「……つっ!」
 指にぴりっとした熱を感じた。
 そして、次の瞬間には激痛がはしった。
 ふと視線を落とすと、ぽたぽたぽたと、机の上に真っ赤なしずくが落ちていく。
 それは、次第に速度をはやめ、もはやぽたぽたどころではなくぼたぼたという感じ。
 見ると、右手の人差し指からだらだらと血が流れている。
 あらまあ、見事なまでにざっくり切れているわねえ、わたしの指。
 じゃあ、あの痛みはこれだったのかしら?
 これって、あれかしら?
 ふむと小さくうなずき、注意深く取り出した教科書のページをめくっていく。
 すると、真ん中辺りのページに、カミソリの刃のようなものがはりつけられていた。
 ――ビンゴ。
 ははーん。ということは、これが原因ねえ。
 まったく、愚かにもほどがあるわよ、ここまできたら。
 どうして、こうもある意味予測通りのことをしてくれるのかしら?
 能がないわよねー。
 これは、もはや弁解の余地すらないわよ。
 よくもわたしの白魚のような指を、乙女の柔肌を傷つけてくれたわね。
 わたしを傷つけることが、どれほどの大罪かその身をもって思い知るがいいわ。
 覚悟しておくことね。
 わたしを本気で怒らせたら、ただではすまないわよ。
 ぎろりとするどいにらみを砂糖女に向けると、びくりと大きく体を震わせた。
 砂糖女を群がるように蟻さんたちがかこみ、びくびくとどこかおびえながらも必死にわたしをにらみかえしてくる。
「か、鹿野倉さん! 血ーっ!」
 さらにするどいにらみを入れてやろうとした時、横から悲鳴に似た絶叫が聞こえてきた。
 ちらっと横を見ると、子兎ちゃんが真っ青な顔でぷるぷる震えている。
「落ち着きなさい、子兎ちゃん」
 子兎ちゃんのその様子になんだか闘争心をそがれ拍子抜けしてしまって、ふうとため息をもらす。
 子兎ちゃんの叫びにはじかれたように、教室にとどまり様子見をしていたクラスメイトたちがぎょっと目を見開き、ざわつきだした。
 まったくもう、騒ぎすぎよ、子兎ちゃん。
 これくらいのことで、いちいち騒ぐのじゃあないわ。
 あなたが騒ぐから、外野まで騒ぎ出したじゃない。
 この程度で、この鹿野倉緋芽さまがひるむと思ったら大間違いよ。
 余計に追い詰めてやるわ。嗜虐心が奮い立つわ。
 目には目を歯には歯を、善意にはちょっぴりの善意を悪意にはとことん報復をしてあげるという鹿野倉緋芽さまなのだから。
 とりだしたハンカチで血が流れる指をおさえ、すっと立ち上がる。
「とりあえず、保健室へ行った方がいいかしら?」
 くいっと首をかしげぽつりつぶやくと、子兎ちゃんが再び絶叫する。
「考えるまでもなく行って!」
 そして、自分のハンカチを、血をおさえるわたしのハンカチの上にかさねてきて、ぎゅっと握り締める。
 あら、子兎ちゃん、なかなか気が利くじゃない。
 わたしのハンカチだけじゃあ、そろそろ血をおさえきれなかったのよね。
 でも、こんなことって久しぶりだわ。伊織以外の人が、わたしに――。
 って、今はそんなことはどうでもいいのよ!
 緋芽さまとしたことが、不覚だわ。よもや、子兎ちゃんにだなんてっ。
「それじゃあ、子兎ちゃん、悪いけれど、ポチ――鬼海を呼んできてくださらないかしら?」
「鬼海……先輩? 南雲先輩じゃなくて?」
「あれは呼ばなくたってすぐにかぎつけてくるわよ」
 ちらりと見てそう告げると、どうやら落ち着いたらしく、子兎ちゃんは驚いたように目を見開きながらも、納得したようにこくんとうなずいた。
 そして、たっと駆け出し教室から出て行った。
 子兎ちゃんが去ったことを確認すると、わたしもゆっくり教室を出て行く。
 いきなり流れ出した血に呆然としていた桐生が、はっと気づいたように慌てて追いかけてくる。
「鹿野倉、待って。俺も行く!」
 けれど、桐生など無視して、すたすた歩いていく。
 これ以上かかわられると、ちょっと厄介なのよね。今のこの状況だと。
 その証拠に、砂糖女にちらっと視線を向けると、ぎりっと唇をかみ、悔しそうににらみ返してきた。
「……くすくす。楽しくなってきたわね」
 それをさっくり無視して廊下へ出ると、わたしは思わずそうつぶやいていた。
 あらいやだわ、思わず本音が出ちゃったわ。
 あまりにも愉快で、思わず顔がにやけてしまうわ。ほくそ笑むようにね。
 厄介だけれど、愉快なことにも変わりないものね。


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update:09/01/17