後悔させてあげるわ
いじわるでもいいじゃない

 子兎ちゃんが呼びに行った極楽鳥に指の手当てをさせていると、廊下の向こうからばたばたと乱暴に走る足音が聞こえてきた。
 その足音が保健室の前でぴたりとまると、次の瞬間、乱暴に扉が開けられた。
「緋芽! 怪我したって!?」
 そして、蒼白になり必死の形相で伊織が飛び込んできた。
「あら、伊織。本当にかぎつけて飛んできたわね」
 うふふ。それでこそ、伊織よ。
 何も言わなくても、わたしのことなら何でもわかる、それでなければ許さないわ。
 たまにはこうして試してみるのも面白いわね。
 あえて伊織は呼ばずに鬼海を呼ぶ。ああ、なんて愉快な嫌がらせなのかしら。
 ちらりと横の極楽鳥を見て、くすりと笑う。
 すると、わたしの思惑に気づいたのか、極楽鳥の顔からさあと血の気がひいた。
 どうやら、この後に待ち受けている伊織の八つ当たりにおびえているようね。
 伊織はぎらっとするどい眼差しで極楽鳥をにらみつけ脅すと、わたしに駆け寄ってきた。
 極楽鳥は、わたしの横でどんどん萎縮していく。
 子兎ちゃんは、先ほどからずっと、横でおろおろと心配そうにわたしの傷をうかがっている。
 結局、桐生はあのまま教室に放置してきた。
「手、大丈夫なのか!?」
 駆け寄ると同時に、伊織はわたしの両肩をぎゅっとにぎった。
「ええ、ほら、たいしたことはないわ」
 その手をやんわりふりほどきながら、極楽鳥が手当てしたばかりの指を伊織の顔の前にすっともっていく。
 極楽鳥ってば大げさなことに、包帯をぐるぐる巻きにしているのよ。
 まあ、たしかに、カミソリの刃で切ったから、傷はそれなりに痛むけれど。
 鋭利な刃物で切ると、どうしてこんなにずきずき痛むのかしら?
 嫌になっちゃうわ。
「これのどこがたいしたことないんだ! 包帯を巻くほどの怪我じゃないか。……くそっ、もう我慢ならない」
「お待ち」
 そう言い捨てるとくるっと身を返した伊織に、ぴしゃりと言い放つ。
 すると伊織はぴたりと足をとめ、ゆっくり振り返る。
 不満げにわたしを見てくる。
「緋芽?」
 ふうとため息をひとつつき、くいくいっと伊織を手招きする。
「伊織、余計なことはしないで。これは、わたしに売られた喧嘩よ。がっつり買って、きっちり落とし前をつけてもらおうじゃない」
 伊織の顔にずいっと顔を寄せ、にやりと微笑む。
 伊織は、驚いたようにわたしをまじまじ見つめてきた。
 伊織の制服の胸元をぎゅっとにぎり、引き寄せる。
「わたしを本気で怒らせたこと、後悔させてあげるわ」
 そう言ってにっこり微笑むと、伊織はやっぱり驚いたように、だけどあきらめたように肩をすくめた。
 くすりと苦く笑うと、ぽんとわたしの頭をなでる。
 それから、腰に手をまわし、わたしをぎゅっと抱きしめる。
「……わかった。緋芽の好きにするといいよ」
 耳元で、伊織がそっとささやいた。ふわりと吐息がかかる。
 どうして、伊織に触れられると、吐息がかかると、こんなに気持ちが凪ぐのかしら? ……気持ちいい。
 うん、それにそうね。伊織は、嫌味を言うことはあっても、わたしの行動をとめたりしない。
 まったくよい忠犬だこと。
 大切な大切なご主人さまが傷つけられ、この番犬ってばいてもたってもいられないようね。とても辛いようね。
 ふふふ、それでこそ伊織よ。
 わたしのために、せいぜい憤るといいわ。
 だって、伊織がわたしのために怒ってくれるのって、胸の辺りがうきうきするのよね。
 そして、じんわりあたたかくなる。
 だから、時々こうしてじらしたくなる。
 まるで、あの時みたい。
 いじわる女の子を目指したあの時。
 自分に自信を持って気高く生きる、そう決めた時。
 伊織はきっと、そういう女の子が好きなんだって思ったから、だから――。


 緑に囲まれた中庭。
 レジャーシートを敷き、その上にずらっと並ぶお重。
 ひとまず保健室を後にして、昼食をとることにした。
 せっかくの昼休みのひと時を邪魔してくれたこの代償は高いわよ。
 そこに、子兎ちゃんはまあいいとして、何故かポチまで混ざっている。
 まったく、いい度胸をしているわよね。
 わたしに無断で席をともにするなんて。
 極楽鳥ごときが、図々しいにもほどがあるわ。
 この無礼、万死に値するわね。
 ちゃっかり伊織の横を占拠し、さらには伊織お手製のお重まで当たり前のようにつつく極楽鳥をじろりとにらみつける。
 すると、その視線に気づいた伊織がさっと上体を出してきて、どことなく愉快そうに笑いながら、わたしの視界からポチの姿を奪った。
 そして、そのかわりに、まんまるの焼き菓子が目の前に現れた。
 あら、これって……。
「ほら、うちのお抱えシェフが作ったマカロンだよー」
 指につまんだそれを、伊織はわたしの口へと持ってくる。
 まったく、仕方がないわねー。
 目の前でゆらゆらゆれるそれを、ぱくりと口に含む。
 その時、唇に伊織の指が触れたような気がしたけれど、気にしないわ。
 ぱっと顔をそむけ、そこでいまいましげに顔を赤くしている事実なんて認めないわ。
 まったく、本当伊織って嫌な男よね。
 わたしの好きなお菓子で誤魔化そうとするなんて。
 ……あれ? でも、今って何かを誤魔化さなければいけない状況だったかしら?
 ポチをにらみつけるなんていつものことだから、どうして今さらわたしの視界からポチの姿を奪うのかしら?
 その様子を見ていた子兎ちゃんが、どこかあきれたように愛想笑いをしている。
 その時だった。
 がさりと緑を揺らす音がしたかと思うと、垣根の向こうからみたくもない顔が現れた。
 しかも、さっきあんなことがあったばかりなのに、性懲りもなく。
 むしろ、収穫でも確認しに来たのかしら? 教室のあれだけでは満足せずに。
 相変わらず蟻さんたちをはべらせた砂糖女が現れた。
 そして、子兎ちゃんにばっちり視線を合わせると、蟻さんの一人の腕をぐいっと抱き寄せる。
 その蟻さんは、あれよ、あの蟻さん。子兎ちゃんの幼馴染とかいう……。
 子兎ちゃんは目を見開き、衝撃を受けたようにすっと視線をそらした。
 砂糖女はそれを確認すると、さらに蟻さんにしなだれかかる。
 それはどこからどう見ても、子兎ちゃんにあてつけているよう。
 しかも、蟻さんったらまんざらでもなさそうな顔をしている。
 子兎ちゃんは、わたしの背に顔をさっと隠した。
 ……まったく、仕方がないわねえ。
 わたしがふうと大きくため息をついた時だった。
 すべてを悟っていたかのように、得意げに砂糖女は言い放った。
「そうねえ、いいわ。これが欲しかったら、わたしに勝ってみなさい」
「え?」
 脈絡なく告げられたそれに、わたしの背で子兎ちゃんは怪訝に眉根を寄せている。
 そうよねえ。やぶからぼうに何を言い出すかと思えば、そのような意味不明のことだし。
 一体どういう思考だとそうなるのかしら?
 しかし、砂糖女にはそんなのはどうでもいいらしい。まともな思考は持ち合わせていないらしい。
 たんたんと自分が言いたいことだけを言い続ける。
「今度の文化祭のミスコンで勝負よ。優勝した方が勝ち。そして、あんたがもし間違って勝つことがあれば、これはのしをつけてあげるわ」
 腕を抱き寄せる蟻さんの背を、砂糖女はどんと押しやる。
 あらまあ、蟻さんたら、いつの間に砂糖女の所有物になっていたのかしら?
 やっぱり、簡単に捨てられる程度のアクセサリーだったのね。
 それにしても、つまり、そういうことね。
 わたしから子兎ちゃんに照準をかえたようね。
 とりあえずわたしにはカミソリの刃攻撃という低次元な嫌がらせをしたから、今度は子兎ちゃんをいたぶりにきたのね。
 それにしても、この砂糖女たら、どうしてこんなにわたしたちを目の敵にするのかしら?
 子兎ちゃんはまあ、幼馴染の蟻さんのせいで目をつけられるのはわかるけれど、どうしてわたしまで……?
 まあ、自慢じゃないけれど、敵を作る自信はあるけれど。
 でも、わたし、この砂糖女なんてはなから相手にする気すらなかったから、とりたてて何かをした記憶などないのだけれど?
 というか、この砂糖女、まさか優勝する気でいるのかしら?
 滑稽なことね。勘違いもはなはだしい。
 その程度で優勝しようなど、おこがましいにもほどがあるわ。図々しいわ。思い上がりもいいところよ。
 言いたいことだけ言って満足すると、砂糖女は蟻さんたちを引き連れてさっさと去っていった。
 その勝ち誇ったような去り様が、なんだかおもしろくないわねえ。
 それに、忘れているようだけれど、砂糖女、あなたはわたしを本気で怒らせているのよ。
 ふふふ。どのようにして報復してやろうかしら。
 ここはやはり、再起不能にけちょんけちょんにやってしまわないと気がおさまらないわね。
 ふっと口元をゆるめ微笑を浮かべるわたしに気づき、伊織は肩をすくめていた。
 まあ、失礼しちゃうわ。
 わたしより伊織の方が怒っていたというのに。鬼畜だというのに。
 ある意味、本気で怒らせたら、わたしより容赦ないのよね、伊織。
 とりあえず、伊織の頭をぺしっと一度はたき、不安そうにぷるぷる震える子兎ちゃんに向き直る。
「子兎ちゃん、あなた、いいの?」
 本当にそうよ。
 だって子兎ちゃんたら、さっきの一方的なあの言い草、宣戦布告に、こくりとうなずいていたのよ?
 つまりは、あの馬鹿らしい勝負を受けたということ。
 まったくもってわたしには理解できない心情だわ。
 子兎ちゃんはやっぱりぷるぷる震えながら、困ったように微苦笑を浮かべる。
「あれじゃあ、裕太くんがかわいそうで……。でも、大丈夫。ちゃんと見極めるから」
 そして、ぎこちなく笑って見せる。
 思わず勢いにおされたのもあるでしょうけれど、半分くらいは、あの砂糖女から幼馴染の蟻さんを果敢にも救出する気だったのね。
 子兎ちゃん、あなたって思っていたよりもっと……。
「まったく、あなたって、おろかなほどにお人よしね。あんな男に、あなたはもったいないわ」
 そうよ。あそこまで子兎ちゃんをないがしろにするあの男を、どうしてそこまでしてかばおうと、助けようとするのかしら。
 けれど、ちゃんとわかっているようね。いちばん大切なことだけは。
 それほど愚かではなかったようね。わたしとしたことが、侮っていたわ。
 思わず、ぷるぷる震える子兎ちゃんを、そっと抱き寄せていた。
 次に気づいた時には、子兎ちゃんの震えはおさまっていた。


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update:09/01/23