一生わたしの下僕ね
いじわるでもいいじゃない

 普段人気のない裏庭は、文化祭の今日でもやっぱり人気がない。
 だって、こちらでは何の催しもしていないもの。人が来なくて当たり前じゃない。
 どこをどう走っているのか自覚せず適当にかけていたら、何故だかここにたどりついていた。
 まあ、それは当然の結果かもしれない。
 だって、できるだけ人気がないところへ人気がないところへと、走っていたから。
 それにしても、本当にあの者たち、どうしてくれようかしら。
 わたしをこんなに恥ずかしくさせるなんて、許せないわ!
 羞恥のあまり、その場で地団太を踏んだ時だった。
 風にのり、かぎなれた香りがふわりとわたしを包み込んだ。
 ざあと、落ち葉を巻き込み初秋の風が通りすぎていく。
 同時に、当たり前のように包み込むそのぬくもりが、わたしを抱きしめていた。
「緋芽、やっとつかまえた」
 そして、耳元でそっとささやく。
 耳、そして首に吐息がかかり、電流に似たぞくりとしたものが一気に体中をかけめぐった。
「い、伊織! な、何かしら?」
 背から包み込むように抱きしめる伊織に、平静を装いそう問いかける。
 今のわたしでは、まったく装えていないかもしれないけれど、そんなの関係ないわ。
 徹底的に伊織に抗うことこそ、抗う気持ちこそ、意味があるもの。
 それに、あの程度でわたしが動揺していると思われるなんて、なんだか格好悪いじゃない。
 わたしは常に冷静、そして冷徹な、いじわるお嬢様でなければいけないもの。
「何かしらって、お前なあ……」
 がくりと肩を落とし、伊織はぽてっとわたしの肩に頭をのせる。
 びくりと、思わず体をゆらしてしまった。
 だ、だって、いきなりなのだもの。驚くじゃない。
 それに、さっき、耳に吐息をかけられちゃったものだから、そ、その……っ。
 そういえば、さっきの伊織の声、なんだか妙に艶があったのよね。
 そんな状況で何の反応も示さないほど、わたしの心臓もさすがにずぶとくないわ。
「みんなに嫌われていないとわかって嬉しいなら、素直に喜べばいいのに」
 肩に頭を置いたまま、伊織はからかうように言ってくる。
 おまけにくすくす笑うものだから、伊織の髪がさわさわゆれわたしの首をくすぐり、胸の中がくすぐったい。
 時折頬に触れるその髪が、やわらかくて優しい。
 気づけば、わたしからすりっとその髪に頬をすり寄せていた。
「な、何を言っているのよ。ぶつわよ!?」
 けれど、それを認めるわけにはいかないのよ。
 肩をすっと引き、伊織の頭をずり落とす。
 すると伊織は、ゆっくり顔をあげてきて、まっすぐわたしを見つめた。
 わたしの手首をぎゅっとつかみ、引き寄せる。
 ぽすんと、伊織の胸にわたしの体が抗うすきなく飛び込む。
「緋芽、もうわかっているだろう? みんな、あの頃のようにいつまでも残虐な子供じゃないよ。ちゃんと大人になっている。物事の真偽を見極められる程度に大人になっているよ?」
「何が言いたいのよ!?」
 胸の中からきっとにらみあげると、伊織はふっと表情をゆるめた。
 そして、わたしの頭に手をのせ、そのままぽすんとその胸の中に落としていく。
「別にー。わかっているならそれでいいよ」
 勝ち誇ったように言うと、伊織はくすくす笑い出す。
「ふんっ」
 わたしはただ、伊織の胸の中で、そうはき捨てるのでせいいっぱいだった。
 伊織の笑うリズムに合わせ、胸が動いていてわたしの頬をくすぐる。
 それが、なんだか心地いい。
「緋芽は本当、強がってばかりだな」
 くしゃりと、わたしの髪を伊織の手がなでていく。
「つ、強がってなどいないわ。わたし、本当に……」
 そこまで言いかけて、言葉を切った。
 だって、おかしなものに気づいてしまったから。
 おかしい、本当におかしいわ。こんなこと、あってはいけないのよ。
 どうして、伊織の胸におくわたしの手を、ひとしずくの水がぬらすの?
 どうして、わたしの目から、そのしずくが飛び出してきたの?
 信じられない、こんなこと。一生の不覚よ!
「安心して気が抜けた?」
 その不名誉なしずくに気づき、伊織はさらにわたしの顔を胸におしつける。
 わたしの背を、ゆっくりなでる。
「ち、ちが……っ」
「意地っ張り」
「うるさいわね。わたしは、伊織がいればそれでい――」
 あまりにも無礼なことを言うものだから怒鳴りつけてやろうと叫んだけれど、とんでもないことに気づきさっと言葉を切る。
 けれど、どうやらもう遅かったよう。
 だって、うかがうようにちらっと見上げた伊織は、驚いたように、けれど嬉しそうにとろんと顔をくずしていたから。
 ううん、これは、得意満面の笑み?
 ――嗚呼。わたし、なんという失態をおかしてしまったのかしら。
 こんなこと、こんなこと、許し難いのに。あってはならないことなのに!
 わたしのすべらせてしまったこの口が、口惜しいっ。
 伊織は確信したように、わたしの頬に両手をそっと触れてきた。
 それから、ぐいっと顔を上げられる。
「まったく、緋芽は。これだから放っておけないんだよ」
 伊織はあてつけがましく、困ったように眉尻を下げる。
 ぎりっと唇をかみ、伊織をこれでもかというほどにらみつけてやる。
「何か言った?」
 けれど、わたしのにらみは、もうこうなってしまっては伊織には通じない。――まあ、もとからあまり通じることはなかったけれど。
「いいえ、お姫様」
 伊織はくしゃりとわたしの前髪をかきあげ、ゆっくり顔を近づけてきた。
 そして、まぶたにそっとキスを落とす。
 な、な、な、なー!? この男、どさくさにまぎれて何を……!!
 けれど、もう何も言葉にすることができず、わたしはただ伊織をにらみつけることしかできなかった。
 先ほどはたり落ちたしずくは、今では何故だかぽろぽろ落ちている。
 けれど、すぐにさっと視線をそらし、そのままぽすんと伊織の胸に体をあずける。
 すると伊織は、わたしを包み込むように両手を背にまわしてきた。
「緋芽、わかっている? 普通、何とも思っていない女の子相手に、ここまでしたりしないよ」
「それ、どういう意味よ」
 ぐいっと伊織の胸に顔をおしあて、そこで不満げにつぶやく。
 そうしたら、呆れたように身じろぐ気配がした。
 見なくたってわかるわよ、今、伊織は思いっきり呆れているわ。
 その証拠に、次に出てくる言葉がこれなのだから。
「緋芽って、するどいように見えて、実は鈍いよなー」
「な、何よ。わたしに喧嘩を売る気!?」
 顔をうずめるそこを、こぶしで一度どんとたたく。
 わかっているわよ、気づいているわよ、ちゃんと。
 だけど、それを認めたらなんだか負けという感じがして認めたくない、という乙女心くらい気づきなさいよっ。
 伊織のくせに、それくらい察せないなんて生意気よっ。下僕失格よっ。
 すうはあと深呼吸するように、伊織の胸が大きく動く。
 そして、次の瞬間、優しい声音がわたしを包み込んでいた。
「あのな、緋芽。つまりは、お前が好きだってこと」
「え……?」
 思わず、ばっと顔を上げてしまった。
 すると伊織は、まっすぐ、そして熱く、わたしを見つめていた。
 伊織は、目を見開き見つめるわたしの顔にすっと顔を寄せ、そこでそっとささやく。
「なあ、いい加減、俺のものにならない?」
 瞬間、伊織を幸せそうに微笑ませる程度に、わたしは顔を真っ赤に染めていた。
 初秋のちょっぴり冷たい風が、ほてったわたしの体を冷やすようにさあと駆け抜けていく。
 けれど、その程度じゃ、この熱はびくともしない。
 ――ねえ、主人公はいいこちゃんて誰が決めたの?
 少女漫画や少女小説の主人公て、ムカつくくらいいいこちゃんが多いと思うのはわたしだけ?
 そんな主人公は、このわたしがぶっとばしてやるわ。
 現実をよーくご覧なさい。実際に得をして幸せをつかんでいるのは、要領がいい女の子よね?
 だから言ったでしょう。いいこちゃん主人公は、幸せをつかめないの。
 これは、いじわるお嬢様だからこそつかめた、わたしだけの幸せ。
 ねえ、伊織、これであなたは一生、わたしの下僕ね。ありがたく思いなさい。


いじわるでもいいじゃない おわり

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update:09/03/07