恋人契約
(4)

 そんな出来事があってから、また月日は流れる。
 今はもう冬。
 十ニ月も半ば。
 嘘の恋人になってからはじめて、海の部屋へとやってきた。
 大学の近くに借りた、マンションの一室。

 わたしたちの大学は、山すそに広がる大きな大学。
 だから、周辺には、学生用のマンションやアパートがたくさんある。
 だけど海はそれのどれも借りず、少し豪華で少し広い、ファミリータイプのマンションを借りていた。
 しかもそのマンション、オートロックでカメラ付きインターホン、4LK……。
 エントランスには、小さな池があり、まわりには観葉植物が植えられている。
 かなり感じのいいマンション。
 これはいわゆる……高級マンションというのかな?
 ワンフロアに数部屋しかない……という辺りで、恐らくそうだと思う。
 それで、妙に納得できてしまった。
 海が最初にわたしに言った言葉。
 どこにでも連れて行ってくれて、何でも買ってくれるというあの言葉。
 学生なのに、こんなところに一人で住めるということは、家はそれなりに裕福なのだろう。間違いなく。
 だから、あんな俺様ちっくな発言までできちゃっていたんだ。
 ……なんだか、少し淋しいような気はするけれど。
 海は、わたしとは違った世界で生きているのかも……。
 そう思えちゃって。

「早紀。その辺に適当に腰かけていて。今、お茶でも淹れるから」
 そう言って、わたしをリビングに促し、すぐ横のキッチンへと消えていった。
 海の部屋は、その外観からも思っていたけれど……リッチ。
 レザーのソファに、テレビ。ガラステーブル。
 しかもソファは、一人がけが一つだけじゃなく、一人がけが二つに三人がけが一つ。
 一人暮らしなのに、そんなの必要ないでしょう?って思うけれど、そこはあえて触れないでおく。
 そして、テレビ。
 今流行りの薄い液晶テレビ。
 しかもこれ。圧倒されちゃいそうなほど大きい。……巨大。
 ……ということは、一体いくら?
 いやいや、もしかして、特注??
 う……っ。恐ろしくて、想像もできない。
 そしてこのガラステーブル。
 これもまた……ガラスかと思ったら違った。よくよく見て発覚。
 こ、これ……クリスタルです。

 そうやって、リビングを一通り見まわし、実は海は、本当にわたしとは比べものにならない人なのだとあらためて思わされ、絶句していた。
 海に言われたとおり、ソファに腰かけることすら忘れて、そこに呆然と立ちつくす。
 し、信じられない。
 ううん。そうじゃなくて、海って一体何者!?

「あれ? 早紀。座っていてよかったのに」
 いまだ、リビングの入り口で立っているわたしに気づき、戻ってきた海が肩をすくめる。
 その手には、二人分のマグカップを持って。
 ゆらゆらと白い湯気を上げている。
 ふわっと、香ばしいコーヒーの香りが香る。
「はい。コーヒー。早紀は砂糖とミルクたっぷりだったよね?」
 こくっと自分の分のコーヒーを飲みながら、マグカップを手渡してきた。
 それにわたしが触れると、海はにこっと微笑む。
 そして、わたしの肩に手を置き、ソファへと促す。
 そんなささいな仕草ですら、今まで何とも思っていなかった仕草ですら……どこか淋しく感じた。
 何故だか……。
 今までは、そんなことは思ったことがなかったのに……。
 ただ、ちょっと恥ずかしいかな?程度だったのに……。
 どうして……?

 海に促され座ったソファで、こくこくっと少しずつコーヒーを飲んでいく。
 ちらちらっと横に座る海の顔を盗み見つつ。
 その視線に海はやっぱりいじわるく気づき、にっこりと微笑む。
 どうしたの?って。
 それが妙にくすぐったくて、でも辛くて、ぷいっと顔をそむけていた。

 だって……。
 こんなに優しくされたって、所詮、わたしは偽物の恋人だから。
 そう思うと、優しくされるのが、辛く感じてしまって……。

 辛いよ……。海。


 ちょうど、海の淹れてくれたコーヒーを飲み終わった頃だった。
 プルルって、着メロを設定していない普通の着信音が響いた。
 それは、海の携帯。
 わたしの携帯は、やっぱり今時の女の子らしく、流行の歌を着メロに設定してあるから。
 携帯のディスプレイで相手を確認すると、海は「ごめん」と言ってリビングから出て行った。
 そして、廊下で、ぼそぼそと何かの会話をはじめた。
 そんな、聞こえるけれど、決して会話の内容を聞き取れない海の声を、どこか苦しく感じていた。
 何だか……やっぱり、海とは違うような気がして。

 それに、海はわたしに秘密にしていることが、隠していることがいっぱいあると思う。
 それは仕方がないとわかっている。
 だってわたしは、偽物の恋人だから……。
 だけど、もう少し、ほんの少しだけ、海を知りたいって思っては……だめかな?
 せめて、契約が終了するその時までは。
 その時までは、偽物でもわたしは海の恋人だから。

 そう思って、視線を泳がした時だった。
 さっきは目にとまらなかったそれが目にとまった。
 それは、ドア。
 わたしがここに入ってきたドアでも、海がコーヒーを持ってきたドアでもない。
 そのドアは……?
 気づけば立ち上がっていた。
 そして、ゆっくりとそのドアへと歩みを進める。

 だめだってわかっているけれど、でもおさえられなかった。
 好奇心とか興味とかそんなのじゃなく……わたしの心が求めていたの。
 そのドアの向こうの世界を。

 だから、ためらいはもちろんあったけれど、それよりもこの扉の先が気になって仕方がないから触れていた。ドアノブに。
 そして、今ここに海がいないことをいいことに、そのドアノブをまわす。
 すると……まわった。
 そして、あいてしまった。ドアが。
 だから……もう、わたしの足は吸い込まれるように、その部屋の中へと入っていた。

 そして、少しの後悔が押し寄せた。
 だってその部屋は……海の寝室だったから。
 中央におかれたベッドが、異様にその存在を誇示している。
 それはきっと多分……この部屋には、そのベッドと、ベッド横にチェストが一つしかなかったから……。
 後悔に襲われたわたしは、これ以上踏み入っては駄目だと思い、そのままこの部屋を後にしようとした。
 だけど、できなかった。
 目に入ってしまったから。ある物が。
 それは……チェストの上に置かれた、小さな箱。
 ううん。そうじゃなくて……ケース?
 ブラインドが下ろされたこの暗い部屋ではよくわからないけれど、それは深い深い青……藍色をしているように見える。
 片手で持てるくらいの、小さなその箱。
 わたしの足は、その箱に引き寄せられるように、一歩二歩と歩みを進めていく。
 駄目だって、頭が言っているのに、叫んでいるのに、体がいうことをきいてくれなくて……。
 気づけば触れていた。持っていた。持ち上げていた。その箱……ケースを。
 そして、かぱっと蓋を開ける。
 すると、中からでてきたものは……ダイヤの指輪。
 これって……つまりは……そういうことよね?

 瞬間、わたしの体の中は嵐。大嵐。大暴れ。

 その時だった。
 背後から、妙に落ち着いた海の声がかかってきた。
「早紀……?」
 刹那、全てが終わったと思った。

 だってわたしは……見てはいけないものを見て、触れてはいけないものに触れてしまったから。
 これはきっと、はじめて会った時に言っていた、別れた恋人に贈るものだったのでしょう?
 こんな物を贈ろうと思うまでに発展していたんだ。二人の仲は……。
 それなのに……どうして別れたの?
 それは、決して聞けない。聞いちゃいけない。
「ご、ごめん。海。わたし……わたし……」
 指輪の入ったケースをばっとチェストの上に戻し、うつむき、精一杯そう謝っていた。

 ごめん。本当にごめん。
 もうしないから。もうこんな馬鹿なことはしないから。
 だからお願い。
 このまま、一年を待たないまま、契約終了なんてことは言わないで。お願い。
 もう少し、もう少しでいいから、海のそばにいさせて欲しいの。
 だから――

 そんなことを望む自分が、気づけばここにいた。
 不思議……。
 一体、いつからそう思うようになっていたのだろう?
 契約……。そのはずなのに……。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:04/03/22