恋人契約
(6)

 一緒に、クリスマスもお正月も過ごした。
 一見、仲のよい恋人同士だけれど、わたしたちの間には何もない。
 本当に一緒にいるだけだから。
 海は……契約の恋人には、手を出さない。
 それが、彼なりの精一杯の誠意だと思いたい。
 出す気にはなれない。出すほどじゃない。
 わたしは、そういう存在でないと思いたい。
 だから……自分にそう言いきかせる。
 これは、彼の誠意なのだと。
 偽りの恋人に対する、精一杯の……。

 本当は、もっと触れたい。触れて欲しい。触れ合いたいって思っているけれど……。
 それは、わたしのあさましい望みだから。


 そして、お正月が過ぎ、後期の講義が再開された。
 その頃になると、海はそわそわとすることが多くなっていた。
 わたしと一緒にいても。
 わたしと一緒にいる時は、落ち着いたおだやかな空気をまとっていたはずなのに……。
 なのに、最近の海は落ち着きがない。
 時々、急にいなくなったり、誰にも聞かれたくないとばかりに、こそこそと電話したりして……。
 それが、妙によそよそしさを感じさせる。
 これはきっと、気のせいなんかじゃない。

「海……? 電話……誰から?」
 たまらなくなって、ついにはそう聞いてしまっていた。
 すると、海はぎょっと目を見開き、わたしを凝視する。
 そしてすぐに、「何でもないよ」と誤魔化し笑いをして、くしゃっとわたしの頭をなでる。
 それが、わたしを苛立たせる。
 そして、わたしの胸をしめつける。

 ……ねえ?
 わたしに聞かれたくないことって何?
 どうしてそんなに隠したがるの?

 それは、聞けない。
 やっぱり、聞いちゃいけない。

 ――ううん。そうじゃない。
 なんとなくわかる。
 なんとなくわかるから。聞かなくても。
 海はきっと……。
 ここまでわたしに隠したがることっていうと……あれしかない。
 だって、電話の向こうからかすかに聞こえるその声は……女の人のもののように思えたから。
 だから……。

 きっと……ううん、やっぱり、プロポーズするつもりだったという恋人が、今も忘れられないんだ。
 そしてその電話が、その彼女からのものに違いない。
 そうじゃないと、そこまで海がわたしに隠したがるのがわからないもの。
 別れた恋人がいない淋しさをまぎらわせるためと言っていた。
 それじゃあ、今でもまだ思っているのよね?
 思っていないわけがない。
 ――指輪……。あの指輪……。今も持っているあの指輪があるから――
 そう思うのが普通じゃない?
 それでなくても、時折見せるその淋しそうな目がいっているから。
 遥か遠くを見つめるような、その眼差しが。
 ここにいない恋人を、追いかけているって、そういう目――


 海の異変に気づいて、そう悟った頃。
 とうとう、それが幻想ではなく現実なのだとつきつけられる出来事が起こってしまった。
 二人で夕食をとろうと、街まで出た時、かかってきたから。
 電話が、また。
 もちろん、電話の向こうから聞こえる声は女の人の声。
 海は「ごめん……」ってまたそう言って、わたし一人を残し建物の陰へと入っていった。
 そこで、ぼそぼそと会話をはじめる。
 わたしはそんな海を、ぼんやりと見つめていた。
 隠れきれなかったその背が、ちょっとのぞいているから。
 もう、そうすることしかできなくて。

 それが、契約終了を一ヵ月後に控えた日のこと。
 桜の頃まで、もう少し。
 もうずいぶん暖かくなった頃。

「ごめん。早紀。一緒に夕食できなくなってしまった……」
 電話を終えた海が、わたしのもとに戻ってきて、開口一番言ったことがそれ。
 本当にすまなそうにわたしを見るのだけれど、わたしの目にはもう海の姿を映すことはできない。
 もう、何も見えないから。考えられないから。
 予測……は、ついていたよ。
 そろそろ、こうなるのじゃないかって。
 うん。仕方ないよね。
 理由が……理由だし。
 わたしは、都合のいい女だから……。
「……わかった。じゃあ、わたしは帰るね」
 妙にものわかりよくそうつぶやき、くるりと踵を返す。
 そんなわたしに、海は本当にすまなそうにまたこう言って来た。
「ごめん。本当にごめん。早紀。この埋め合わせは絶対するから!」
 もう振り返ることさえできないわたしの後姿に、海は必死でそう言っていた。
 わたしは、ただこくんとうなずくだけ。
 海を見ようとはせず。

 だって……振り向けないから。
 わたしの目にはもう、いっぱいの涙があふれてしまっているから。
 振り向いて、その目に海の姿をとらえてしまったら、それがとどまることを知らないように流れ出てしまいそうだから。
 だから……振り向けない。
 もう、辛くて、苦しくて。
 海の顔が……見れない。


 ねえ、海。
 やっぱり、最近、どこかよそよそしくて、落ち着きがなかったのは……別れた恋人と、再び連絡を取り合うようになったから?
 よりを戻しはじめているから?
 だからもう、わたしは必要ない?
 
 だけど、まだ、契約終了まで、あとひと月も残っている。
 こんな気持ちのまま、あとひと月もだなんて……。
 ううん。わたしが気づいたということを伝えたら、海ならこう言うわ。きっと。

「今すぐ、契約を終了しよう」

 そしてわたしは、そのままお払い箱。

 海は優しいから。
 きっと、期限が切れるその日まで何も言ってこないだろう。
 約束は守る。
 途中で契約を破棄するなんてことは、絶対にしない。
 最後まで、契約は貫き通すわ。
 それは、わたしへの義理と責任から。

 一年……。
 その約束の時を待たずに、彼からは絶対に契約破棄を申し出てはこない。
 わたしはわかっているのに。知っているのに。
 早く彼を解放してあげなければならないことを。
 早く、よりを戻した彼女のもとへ送り出してあげなければならないことを。
 祝福して……。喜んで……。
 だってわたしは、偽物の恋人だから。
 はじめから、そういう約束だから。

 だけど……だけど、そう思うけれど、わかっているけれど、もう少しだけ。
 もう少しだけ、嘘でもいいから、そばにいて欲しい。いさせて欲しい。
 せめて、その日が、約束の桜の日が再びめぐってくるまで。
 もう少しだけ。

 こんな気持ちになるって知っていたら、あの時、何が何でも契約なんてかわさなかったのに……。
 辛い。苦しい。
 今になって感じるのは、それだけ。
 後悔しか、ない。
 彼を好きにならなければよかった。
 だったら、こんな気持ちになることはなかったはずだから……。
 機械的に、恋人のふりをしていればよかったはずだから……。


 契約終了まで、あとひと月。


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update:04/03/30