恋人契約
(8)

「うーん。この後は何を話そう? 何から話せばわかりやすいかな?」
 わたしを当たり前のようにぎゅっと抱きしめ、海はそう苦悩しはじめてしまった。
 ……ちょっと待って。
 ねえ、それって、つまりは――

「いいから、全て話して! 順番なんてどうでもいいわよ。もうこの際!!」
 もう涙なんか吹っ飛んでしまって、ぎゅむっと海の耳をつかんでいた。
 そして、ぐいっと思いっきり引っ張ってやる。
 すると海は「痛いって」と言いながら、優しくわたしの手を耳からはなしていく。
 それから、もういたずらできないよ?とばかりに、その手を包み込む。ぎゅっと……。
 そんな海に抵抗できないこの時のわたしが、とてつもなく悔しかった。

 この後、海の口から告げられたことは、本当にとんでもないことだった。
 わたしの脳は、フル回転したって、それをうまい具合に処理しきれなかったはず。
 その時は。
 だって海……こんなとんでもないことを言ったのだもの。

 実は海は、どこかの御曹司で――だから、あんなにすごいマンションに住めていたのね。今になってようやく納得できることだけれど――学生をしながら仕事もしていたらしい。
 だから、経済学部。
 もうとっくに帝王学はマスターしていて、父親の会社のお手伝い。
 そして、最近急によそよそしくなった理由(わけ)と、よくかかってくるようになった電話の理由(わけ)
 それは、海がそろそろ四回生になろうとしていたから。
 もう卒論だけになるから、もう将来のことを考える時期だから、本格的に家の仕事の方にひっぱりこまれているらしい。
 海がどれだけ嫌だって言っても、聞いてくれるような相手じゃないとのこと。
 特に海が最も苦手とするのは、お姉さん。
 だから、電話は毎回お姉さんから。
 お姉さんに逆らうと、後が怖いらしい。
 なんとも単純な理由。
 そして、どうしてそれを今までずっと隠していたかというと、これも単純な理由。
 それをわたしに知られたくなかったから。知ったら、きっとはなれていくと思ったから。
 ただ、それだけ。
 わたしを失うのが怖くて、びくびくして、隠していたんだって。
 海にしては……妙に気が小さいことを言うわね?
 強引に、期間限定の恋人の契約を結ばせた海にしては。

 そして、最も重要なこと。
 それは、恋人のこと。
 わたしたちの出会い。

「ストレートにつき合って欲しいと言っても、早紀は絶対につき合ってくれそうになかったから……。だから、契約の恋人として、一年つき合わせたんだ。いろいろ考えて……それがいちばんいいと思ったから」
 肩をすくめ、わたしのするどい眼差しに困り果てながら、海はそう言った。

 恋人の話をでっちあげ、少しでも不自然でないように。
 だからもちろん、女よけというのも嘘。
 全ては、わたしを手に入れるための計画だったらしい。

「入学式の日。桜吹雪の中で早紀を見つけて、その瞬間、好きになっていた。それからずっと見ていた」
 続けて、海はそう言ってきた。
 今度は困った顔じゃなくて、にっこりと微笑み。
 優しくわたしを見つめ。
 熱く見つめ。

「あの指輪もね、本当は最初から早紀に贈るつもりで用意していたんだ。だけど、予測していなかったとはいえ、それが早紀に見つかってしまって……。だから、とっさに嘘をついてしまったんだ。ごめん」
 ふわっとわたしの頬を、その大きな海の手で包み、やっぱり熱く、甘くわたしを見つめてくる。
「一年の契約が終了したら、それと同時にプロポーズしようと思っていた」
「え……?」
 それまで、流れるように聞いていた海の告白に、わたしははっと意識を覚醒させる。
 ねえ、それって、つまり……!?
 驚き、ぎょっと海を見つめる。
 すると海は、くすくすといじわるく笑いはじめたの。
「うまくいったでしょう? もとから、早紀を手に入れるために一年もかけた計画だから、うまくいかなければ困るのだけれどね? だけど、まさかこんなにうまくいくとは思わなかったけれど? ここまで、たくさん好きになってもらえるなんてね?」

 う、海!?
 それってば、それってば……!?

「まあ、早紀は俺を好きになるって、最初からわかっていたけれど。自信がなきゃできないよね。こんなこと」
 そう言って、驚き、目を見開いたままのわたしの顔をぐいっと引き寄せた。
 そして、やっぱりいじわるく微笑む。
 しかもその微笑み。超ど級にいじわるな微笑み。
 こんな海、今まで見たことがないわよ。
 いつもおだやかに、優しく微笑んでいるから。
 ――もしかして……考えたくないけれど、これが海の本性?


 触れるか触れないかのその距離まで、海の顔がわたしの顔に近づけられると、海はわたしの耳元でそっとささやいた。

「卒業したら……俺と結婚してください」

 びくんとわたしの体が反応すると、海はやっぱり楽しそうに肩をゆらしていた。
 くすくすって笑いながら。
 嗚呼、もう嫌。
 なんだか、海にうまいように踊らされているみたいで。
 そうやって、ぷうと頬をふくらませ海をにらみつける。
 だけど、海はそんなものはまったくこたえていないようで、またわたしを優しく見つめる。
 熱く。あまく――

「ずっと、もうずっと、こうやって早紀に触れたかった」

 そうやって、ふわっと暖かい吐息とともに海の言葉がわたしへともたらされる。
 あたたかく優しい腕の中にすっぽりおさめられ。
 そして、触れた。
 触れるか触れないかのその微妙な距離にあった、海のそことわたしのそこ。

 はじめて触れ合った時よりも断然はやいうちに、触れていた。
 そうやってはじめて直接触れるの。触れ合うの。
 心と心が――


 どうやらわたしは、海のふざけた計画のために、いらぬ煩いをしていただけみたい。
 本当……あの苦しみは、辛さは、一体、何だったの?
 本来ならなじらなければならないのだろうけれど、あまりにも海らしくて、もうなじる気にもなれない。
 妙に素直に受け入れてしまえていた。
 半分あきれたような……だけど嬉しい気持ちでいっぱい。
 いじわるで嘘つきな海なのに……どうしても嫌いになれない。
 今のわたしの心は、そんな複雑でいっぱい。
 この嘘つきな、さっきまで嘘の恋人、だけど今は本当の恋人になった海のせいで。
 ……ううん。本当の恋人を通りこして、もうフィアンセになるのかな?
 だってわたし……決めているもの。
 海へのプロポーズの返事。


「……ねえ、海。さっきの返事はね――」

 翌日、海の部屋で見たあの指輪が、わたしの左薬指を飾っていた。


 わたしには、期限つきの恋人がいる。
 そして、もうすぐ、約束の日がやってくる。
 桜の咲く頃。
 契約が終わる日。
 その日、新たに契約が結ばれた。
 期限つきの恋人が、無期限のたった一人の人になる――


恋人契約 おわり

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update:04/04/06