恋人遊戯
(1)

 朝目覚めると、目の前に、気持ち良さそうに寝息を立てる海の顔があった。
 カーテンの隙間からもれる朝の清々しい光が、海を照らしている。

 …………え?
 これは……一体……?


 一年前の桜の頃。
 わたしは、海と、期間限定の恋人契約をかわした。
 ……かわされた。
 それから一年。
 再びめぐってきた桜の頃。
 契約終了のその日、新たな契約が結ばれた。
 それは、期間限定の恋人が、無期限のたった一人の人になった瞬間。

 どこか得意げに微笑む海が、当たり前のようにわたしの左薬指に指輪をはめてきた。
 それは、いわゆる、エンゲージリングというもの。
 期間限定の恋人契約をかわした時と同じように、海はあくまで自分本位に事を運び、わたしに有無すら言わせてくれなかった。
 そう。首を縦に振ることも、横に振ることも許してくれない……。

 ……悔しいことに、今回に限っては、それも仕方がないことかもしれない。
 だってわたし、一年の契約終了をまたずに、答えていたもの。
 海のプロポーズに。
 再びめぐってきた約束の日の前日、わたしは海にこう答えていた。

 ……ねえ、海。さっきの返事はね――……はい=B

 それが、海を調子づかせたことは間違いない……と思う。


 今、気持ち良さそうにベッドに体をしずめ、枕に顔をうずめている海を前にして、わたしの思考は完全にストップしている。
 これは……一体、どういうこと?
 どうして海がここにいるの?
 わたしが眠っていたベッドの中に。

 そうやって、ぎょっと海を見つめていると、海は「ん……」という小さな声をもらし、ゆっくりとその目を開けた。
 うっすらと開かれた海の目は、妙に艶かしい光を放ち、すぐさまわたしの姿をとらえる。
 まるで、それは必然のように。
 そう定められているように。
 そして、さわやかな微笑みを浮かべ、当たり前のようにこう言ってくる。

「早紀、おはよう。よく眠れた?」

 ベッドに体をしずめたまま、腕だけをのばしてきて、ぐいっとわたしを抱き寄せる。
 海に抱き寄せられた瞬間、どくんと心臓がざわついたことを、海は絶対知っている。
 ぎゅっとわたしを自分のもののように抱きしめる海は、癪に障るくらい、それは当たり前と微笑んでいたから。

 まったくもう。海ってば。全然変わっていない。
 あれからまだ三ヶ月しかたっていないというのに。
 すでに、これ。この態度。

 あの日。
 一日早い契約終了を迎えた日。
 海は本当は、性格がめちゃめちゃ悪いってわかった。
 もともといじわるではあるとは思っていたけれど……。
 こんなに自分本位に事を運ぶ人だとは思っていなかった。
 たしかに、最初から、何、この男!とは思っていたけれど……。
 まさか、ここまでとは……。
 はあ。もう。海ってば……。

「眠れはしたけれど……。海、どうして海がここにいるの?」
 海の腕の中から、少し非難めいた眼差しを海に向ける。
 すると海は、きょとんと首をかしげながら、あっさりとこう言う。
 それはもう、腹立たしいくらい。
「だって早紀、昨日俺の家に泊まったじゃないか」
 ……海……。まったく、もう。

 ええ。たしかに泊まったわ。
 四回生になり、あまり学校に行かなくてよくなった海は、実家に強制送還された。
 もちろん、それはお姉さんの手によって。
 そして、昨日。
 もう数えきれないくらいの数に達していた、海のお家訪問。
 昨夜は、お姉さんの乱入によって、思いの外話にはながさいちゃって、気づいた頃にはもう夜中。
 今から帰るのも大変。
 だから、強引にわたしはここへ泊められた。
 もちろん、それもお姉さんのなせる業。

 だからって、今、ここに海がいる理由にはならない。
 だってわたし、ちゃんと客間を用意され、そこに泊まったのよ?
 もちろん、海とは別々のお部屋……だったはず。


 にこにこと嬉しそうに微笑む海を、うんざりとにらみつけている時だった。
 部屋の外……廊下の向こう側から、妙に騒がしいばたばたという足音が聞こえてきた。
 これは――
 バッターンっ。
 乱暴にドアを蹴破るそんな音とともに、もたらされる黄色い叫び声。
「早紀ちゃあ〜ん! おっはよう! あっさでっすよお〜!!」
 開け放たれたドアから姿を現したのは、ぴしっとスーツを着こなした、格好いい女の人。
 キャリアウーマンっぽい感じなのだけれど、だけどそこにちゃんと女らしさも含めた、姐御肌のお姉さん。
 この女の人は、もちろん――
「げっ……。姉貴!!」
 女の人の乱入と同時に、わたしをぎゅっと抱いたまま、海は断末魔のような叫び声を上げた。
 もちろん、わたしは海に抱かれたまま、まだベッドの中。
 そんなわたしたちをみとめたお姉さんは、瞬時にその顔を般若へと変化させた。
「海ぃ〜!! あんた、何やっているのよ! こんなところで!」
 そう叫びながら、だだだだだとベッドへ駆け寄ってくる。
 すごい形相で。
 そして、べりっとかけ布団をはぎとり、海の胸倉をつかみ上げ、巴投げ。
 マ、マジですか。お姉さん……。
 わたしは呆然と、ベッドの上に座っていた。

「あんたって弟はっ! 他所様の大切なお嬢さんに、なんてことしくさっているのよ!!」
 そして当然降り注ぐ。お姉さまの容赦ない足蹴攻撃。
「姉貴! 待て! 誤解だって!! ほら。俺、ちゃんと服着ているだろう!? なっ!?」
 慌ててそう叫び、お姉さんの足蹴攻撃から逃れようともがく海。
 わたしはそんな二人を、やっぱり呆然と見つめていた。
 ベッドの上から。
 それしかできなくて。

「……たしかに。着てはいるわね。だけど、それとこれとは話が別でしょう? あんたが早紀ちゃんのベッドにもぐりこんだという事実は、どうやっても覆すことはできないでしょ!!」
 そう怒鳴り、やっぱり海は容赦なく足蹴にされ続ける……。

 まったく……。仕様がないなあ〜。
 もうちょっと、海にはお姉さんにいたぶられていて欲しいところだけれど……。
 これ以上放っておくと、間違いなく殺される。
 海が、お姉さんに。

「そ、(そら)さん。待って。本当に、何もない……と思うから」
 慌ててベッドから抜け出し、足蹴攻撃を続けるお姉さん……空さんの腕を、すがるようにきゅっと握る。
 すると、空さんの動きがぴたっと止まった。
 そう思った瞬間、わたしは空さんの胸の中で、むぎゅっと抱きしめられてしまっていた。
「嗚呼〜。早紀ちゃん。なんていい子なのかしら。こんな愚弟にたぶらかされちゃって。かわいそうすぎるわあ〜」

 ……ははっ。
 あえて否定はしません。
 ある意味、本当だから。
 海はわたしを騙して偽りの恋人にした後、本当の恋人にしたから。

 うりうりと頭をなで、すりすりと頬をすり寄せてくる空さん。
 ……別にそれはいいのだけれど……せっかくぴしっときめたメイクが、台無しになっちゃうよ?

 抵抗の素振りすら見せることなく、空さんの腕の中でいいように扱われる。
 そんなわたしを、床にぺしゃんこになっている海が、恨めしげににらみつけてきた。
 ……ううん。
 それは、わたしじゃなくて、今わたしを抱きしめる空さんだったかもしれない。
「姉貴、はなせよ。早紀は俺のだろう」
 次の瞬間には、わたしは海の腕の中に瞬間移動していたから。
 そして、わたしを間にはさみ、ばちばちとした火花を飛び散らせはじめた。
 海と、空さんが。
「海のくせに、生意気言うんじゃないわよっ」
 そうやって、さわやかな朝の陽気の中、血で血を洗うような姉弟喧嘩がはじまる。

 これは……今にはじまったことじゃない。
 悲しいことに。


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update:04/05/24