恋人遊戯
(3)

「早〜紀。久しぶり。今日ゼミだったの?」
 さあっと初夏の風が吹き抜けるキャンパスで、向こうの方から手を振りやって来る奈々恵。
 それに気づいたわたしは、そこで立ち止まり、奈々恵がやってくるのを待つ。

「うん。奈々恵は? たしか……今日は違ったよね?」
 奈々恵とは、ゼミが違う。
 それぞれの専門にわかれて、今は卒論を書いている時期だから。
 だからもう、あまり学校にも来ないし、会うことも滅多にない。
 大学の外で、個人的に遊びの約束でもしていない限り。

 それに……今頃は、みんな必死で就職活動をしている頃だと思う。
 ……海もわたしも……それには縁がないからわからないけれど。
 だってわたしは……わたしの進路は決まっているから。
 たった一人の人の契約を海とかわしたわたしは、就職活動をすることすら海に禁じられてしまった。
 だけど……それでもいい。
 海がそれを望むなら……わたしは――

 結局、わたしって、相変わらず、都合のいい女のまま?
 まあ、いいか。
 だって、わたしもそれを望んでいるから。今では。
 海のそばにずっといられるなら、何でもいい。
 わたしの残りの人生は、きっと海が握っているのだと思う。

「ああ。うん。ちょっと教授に呼び出されちゃってさ……。ところで、ダーリンは?」
 わたしの問いに適当に答え、奈々恵はきょろきょろと辺りを見まわす。
「……? どうして? 別にいつも一緒にいるわけじゃないわよ?」
 さもそれが当たり前のように言う奈々恵に、わたしは首をかしげてみせる。
 すると奈々恵は、はあと盛大にため息をもらしてくれた。
「なあ〜に言っているのよ。いつも一緒じゃない。あんたのダーリン。本当にあんたにべた惚れなのだから……。よくもまあ、一年も続いたわよねえ。しかも、すでに婚約済み? はいはい。ごちそうさまって感じ? あの男、優男に見えて、ぬかりないのだから」
 ぶにいとわたしの両頬を両手ではさみ、目をすわらせて押してくる。
 一気に、そうまくしたてながら。
 奈々恵……ってば……。

 近頃なんだか、海のことをよく思っていないようなのよね。
 去年の秋頃辺りまでは、わたしを嬉しくさせてくれることを言ってくれていたのに……。
 今年の春。海にプロポーズされて、婚約したって言ったら……奈々恵、即座に不機嫌になり、海への非難がはじまった。
 「あんた、あの男に騙されているのよ」とか、「まだ若いうちから、あんな奴に決めなくていいのよ。早紀になら、もっといい男が現れるから」とか、「考えなおしなよ。あいつはただの気障野郎よ」とか……。
 それはもう、言いたい放題、海のことを言ってくれる。

 奈々恵は、わたしが海に騙されたって言ってゆずらない。
 ……やっぱり、あえて否定はしないけれど。

 でもね……。
 ちゃんとわかってる。
 それは……奈々恵の照れ隠しのおめでとうなのだって。
 奈々恵って、そういう人だもの。

「それにしても……驚いたわよ。あの男、普通じゃないとは思っていたけれど……まさか、将来を約束された御曹司だったなんて。近頃、その話題でもちきりだもの。奴に婚約者ができたって」
 はあと、感心したように、呆れたように、そうひとりごちる奈々恵。

 ――そう。
 そんなことが、近頃、キャンパスでは噂されている。
 海とわたしは学部が違ったから、接点もあまりなくて知らなかったけれど……。
 海ってば、経済学部の方では、けっこう有名な人だったみたい。
 それで、今さらだけれど納得できる。
 海を見るまわりの目が違っていたこと。
 ……ふ〜ん。海って、そうなんだって……。
 そんな海が、婚約したというから、そりゃあ一気に駆け巡っちゃうわよね。噂。
 最近では、学部を通りこして、キャンパス中の話題にされているもの。

 だって海、たんなる御曹司ってだけじゃないもの。
 海は、その名前のように、圧倒的に自分の存在を誇示している。
 ただそこにいるだけで……みんな、海に目をひきつけられてしまう。
 そんな海には近寄りがたくて、ただ見ているだけ。
 見ていることしかできない、遠い遠いような存在。
 それが、海。

 そんな海と婚約したのが……このわたし。
 不釣り合いな……わたし――


 奈々恵と別れて、一人桜の木の下へとやってきた。
 ここは、海との思い出の場所。
 はじめて海に会って、海を見て、海と言葉をかわした場所。
 そしてここは……契約をかわした場所。
 あの期間限定の偽りの恋人契約――

 ようやく、大丈夫になってきたけれど、少し前まではここは半分くらい辛い場所でもあった。
 それは、単なるわたしの勘違いだったとわかったけれど……。
 だけど、あの時の苦しみは本当だったから。
 海には忘れられない恋人がいて、そしてよりを戻したって、そう思っていたから。

 今思えば……どうしてそういう考えに至ったのかよくわからない。
 だけど、あの時はそう思ったから。そう思ってしまったから。
 他の可能性なんて考える余裕がなかった。
 はじめはとりとめなく……そう思っていたはずなのに、いつの間にか、それがわたしの中では真実に変換されてしまっていた。

 やっぱり……不思議。
 人を好きになるって、こういうことなのかもしれない。
 誰かを好きって思ったら……もうその瞬間から余裕がなくなる。
 普通でいられなくなる。
 その人のことしか考えられなくて……そして、極端な考えにとらわれる。
 他のものなど、目に入らない。耳に入らない。
 あの時のわたしが……まさしくそうだったのかもしれない。

 でも……海も絶対に悪い。
 そして、いじわる。
 どうして、あんなにまわりくどいことをしたのかしら。
 もっとストレートに言ってくれていれば、わたしはあんなわずらいをしなくてよかったのに……。

 ……あ。
 でも、海の言っていたことも何故だか納得できてしまう。
 たしかに……たしかに、あの時海に、「つき合って」と言われても、即答で「NO」だったはずだから……。

 あーあ……。
 そう思うと、やっぱり、海の言うとおり、あれがいちばんいい方法だったの?
 一年もまわり道したあれが。一年も遠まわりしたあれが。


 本当、海もわたしも、不器用なのだから――


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update:04/06/09