恋人遊戯
(4)

 時折、ふっと脳裏をかすめること。
 それは、ここ最近、ひどくなったかもしれない。
 海が優しければ優しいほど、海が好きって思えば思うほどひどくなる。

 ねえ、わたし、本当に海のたった一人の人でいていいの?

 だって、わたしたち、こんなにも住む世界が違うのよ?
 それは……海の家に遊びに行くたび思い知らされる。
 これまでの人生、まったく違う世界で生きてきたのだって。そう……。

 ……不安になる。
 空さんも、お父様も、お母様も、わたしにとてもよくしてくれる。
 海が選んだわたしを、信頼し、笑顔で受け入れてくれる。
 それが、余計にわたしに思い知らせるの。
 本当ならば、こうやって一緒に同じ時間を過ごすなんてことは、あり得ないはず。あってはならなかったはず。
 釣り合うはずがないのよ。

 海は、わたしがいいって言ってくれた。
 海が選んだなら、それでいいと、空さんも、お父様も、お母様も言ってくれる。
 だけど、わたしはそれに甘えちゃいけないような気がするの。
 それでも……気づけばいつも、甘えているわたしがそこにいる。
 空さんと、お父様と、お母様、そして誰より海がいるその空間が、とても居心地がいいから……。

 ねえ、海。
 わたし、一体、海のために何ができる?
 一体、何をすればいい?
 一体、何をしたらいい?
 何か……海のためになることがしたい。
 海のために何かしたい。
 そんな気持ちばかりがわいてくる。

 でも……そう望むけれど、何も思いつかない。何もできない。
 思い浮かんでこない。
 ただ、優しい海の腕の中で、甘えてしまう。
 甘えるだけ……。
 気だけが急く。
 もどかしい。

 わたしは、もうきっと……海なしじゃ駄目なのだと思う。
 海がいなければ、何もできない……。
 いつの間に、わたしは海なしでは生きられなくなってしまっていたのだろう。


 そうやって一人、この桜の木の下にたたずむ。
 そして、見上げる。
 花の散ったその桜の木を。

 海に出会った時は、満開の桜。
 むせかえるような、満開の桜――


 ……やられた。
 まさか、降るなんて思っていなかった。
 夕立。
 だから、当然、傘なんて持ってきていないのに……。

 失敗したなあ〜。
 思いの外、桜の木の下に長居してしまったみたい。
 後悔先に立たず……って、よく言ったものよねえ〜。

 そんなことをぼんやりと考えながら、わたしは桜の木のすぐ横の東屋(あずまや)風の休憩場にいた。
 屋根があるから、雨やどりにはちょうどいい。
 キャンパスのあちこちに、こういうところが設けられている。
 学生たちはそこでよく、お菓子を広げておしゃべりしたり、トランプを広げてゲームをしたり……。
 いわゆる、憩いの場というものに使われている。
 そこでただ一人、やるせなく灰色の空を見上げるわたし。
 空からは、容赦なく大粒の雨が落ちてくる。

 ここに駆け込んだ時にはすでに、目に映る全ての世界を、びしょびしょにぬらしていた。
 そして、当然とどろく。雷鳴。
 ごろごろと、お腹の底まで響くような大きな音。
 そして、ピカっと光る稲妻。
 薄暗い空に一瞬走るそれは、妙にわたしに恐怖を覚えさせる。

 怖い……。
 誰もいない夕暮れの雨のキャンパス。
 こんなところに一人でいると……とりとめなく不安になる。怖くなる。

 そんな気持ちを抱き、ぼんやりと、灰色の空を見上げていると、雨が地面を打ちつける音の中から、違和感を覚える音が聞こえてきた。
 それは、ばしゃっばしゃっと、雨にぬれた地面を蹴るような音――

 はっとなり、灰色の空から顔を戻してみると、目の前には、こちらに駆け寄ってくる男の人の姿があった。
 紺色に近いブルーの傘をさし、手に赤い傘をもった男の人。
 それは……見慣れた人。
 見間違うはずがない。
 だってその人は……世界でいちばん大切な人だから。

「海……!?」

 わたしへと駆け寄ってくるその人の姿をとらえた瞬間、わたしはそう叫んでいた。
 同時に、海がわたしのもとにたどりつく。
 そして、はあと大きく深呼吸をして息を整えた後、
「早紀。ぬれてない?」
にっこりとそう微笑んだ。
 ふわりとわたしを抱き寄せ。
 さしていた傘は、ぽいっと後ろに投げ捨てられていた。

 地面に転がるブルーの傘に、ばちばちと、大粒の雨が打ちつけている。
 その雨粒の打ちつける音は、妙に耳に心地よかった。
 さっきまで不安だったわたしの心が、すっと安らぎを覚える。
 ただ……海がここにいるだけで。
 海に抱きしめられているだけで。

 ……不思議。
 ううん……。そうじゃなくて……。
 やっぱりわたしは、もうくるところまできちゃっているのかもしれない。
 海なしでは、わたしは、もう……呼吸さえできないのかもしれない――

「まいったよね。急に降るなんて……。あ。急だから夕立っていうのか」
 おどけながら、灰色の空を見上げる海。
 そして、「だから、お迎え」とそう言って、にっこりと微笑む海。

 ねえ、海……。
 わたし、気づいちゃった。
 海ってば、迷わずまっすぐにここに来たでしょう?
 わたしがいる場所、どうしてわかったの?

 海には、こんなことは、全然たいしたことじゃないのよね? 絶対。

 ……くすくす。
 そう思うと、なんだか嬉しくなっちゃうよ。
 嬉しくて、嬉しすぎて、思わず涙がでちゃう。


 ねえ、海。
 わたし、今、すごく幸せよ?


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update:04/06/13