恋人浪漫
(1)

「ねえ、早紀。今度の週末、旅行しようか?」
 テーブルに両肘をつき、そこに顔をちょんとのせて……にっこりと微笑む海。
 それはもう、当たり前のように、ごくごくさらっと飛び出してきた言葉。

 …………え?


 夏休みに入り、もうしばらく経つ。
 わたしも四回生だから、卒論を書かなければいけないのだけれど……。
 海ってば、「そんなもの、どこでも書けるでしょう? そう。俺の家でだって」と、そんなことを言って、ほとんど毎日、わたしを海の家に呼びつける。
 それに、渋々だったり、素直だったり……とにかく従っているわたしは、自他共に、海のいいように扱われている、なんてそんなことを認めているのだけれど……。
 でも、実際、そうなのよね。
 わたしは、海の都合のいい女だから。
 海の思い通りになる女。
 でもね? そんな女でも……ちゃんと、最後の砦だけは持っている。
 全て、思い通りになるわけじゃあないのよ?

 たしかに、どこででも卒論は書けないことはないから、こうやって、海の家にやってきているのだけれど……でも、それは間違いだったかもしれないと、なんだかそう思えてきたわ。
 だって、海と一緒にいると、卒論なんて、全然進まないもの。
 海だって、そうでしょう?
 こうやって、一緒に同じ時間を過ごしているのだから。

 そう言うとね、海ってば見透かしたように、こう返してくるのよ。
「でも、早紀。俺が仕事している間に書いているでしょう? もうほとんど終わりかけなの、知っているけれど。もちろん、俺だって終わりかけ」
 …………もう、いい。
 ああ言えば、こう言うのだから。
 口が減らない人。
 海って、そういう人よね?
 なんでもそつなくこなしちゃうの。
 そう。わたしを手に入れたあの時だって――


「ええ〜っ!?」
 がたんと椅子を蹴倒して、思わず立ち上がってしまったわたし。
 って、ちょっと待って、海。
 それ、いきなりすぎ。
 何がどうなって、そういうことになるのお?
 わたし、わかんないよ?
 たしかに今、暇だねえ〜……とは話していたけれど……。
 それにしても、飛びすぎじゃない?

 目を白黒させ、海を見つめるわたしなんておかまいなし。
 いつもの自分本位なペースで、海は話を進めていく。
 くすくすくすと、妙に楽しそうに笑いながら。
 こういうところは、海の長所っていうのかな?
 人のことなど、おかまいなし。
 ……あ。それじゃあ、短所になるのか。
「どうしてそんなに驚くかな? ……それとも……早紀は嫌?」
 肘をついていたうちの一つ、右腕をすっとのばしてきて……驚き、海を見つめているわたしの頬にそっと触れてくる。
 どきんと、胸が高鳴る。
 同時に、体中の体温が一気に上昇したような気がした。
 間違いなく、今のわたしは、真っ赤になっている。
 だけど、海に触れられたそこが、とても気持ちいい。
 海の手は、とても優しくわたしに触れてくれるから。

 海のそんな問いかけに、わたしは考えるまでもなく……ぶんぶんと、頭を横に振っていた。
 それは、つまりは……。
「じゃあ、決定だね。」
 そう。肯定。
 やっぱり、にっこりと微笑み、海はそのままわたしをぐいっと引き寄せる。
 テーブルをはさんで、少し強引に引き寄せられてしまったから、わたしの体は、まるでそれが当たり前のように、海の胸へと飛び込んでいく。
 前のめりで。
 それを、海はくすくすと笑いながら、ちゃっかり抱きしめて……。
 そのままひょいっとわたしを抱き上げ、テーブルという名の国境を越境させ、完全に海の胸の中に落としていく。
 海に、すっぽりと包まれる。

 海〜。それ、はじめからたくらんで、そうしたでしょう?
 もう。海ってば。
 それにしても、海……。
 やっぱり、強引。
 そこも、相変わらず。


 窓の外では、真夏の太陽が、ぎらぎらと輝いている。
 さわさわと、緑が風にゆられ。
 蝉の声が、遠くで聞こえる。


 桜舞う季節、春。
 桜散る中、いきなりわたしの前に現れた海。
 そして、いきなりとんでもないことを提案してきた海。

「つき合おう。期限つきで」

 そんな、とんでもないこと。
 初対面の相手に、つき合おうも何もないじゃないと、ただでさえ思うところなのに、しかもそれが期間限定。
 もちろん、わたしは断った。
 断った……はずなのだけれど、そのはずだったのだけれど……。
 首を縦にも横にも振らせてくれなくて、結局、海の申し出を受けるはめになっていた。
 ずるずると流されるままに。丸め込まれて。
 それが、一年前の春。


 そして、今年の春。
 約束だった一年後の桜の頃がやってきた。
 それは、契約終了の頃。

 とても、一年が経つのが早く感じた。
 もっともっと、海と一緒にいたい……。
 いつの間にか、わたしはそう思うようになっていた。
 長いようでいて、とても短い一年。
 その一年のうちに……わたしの気持ちは、変化……進化していた。

 おさえることができないくらい、きっと海を好きになってしまっていたのだと思う。
 だって、契約終了の日を待たずして、海に告げたあの時。
 わたしがどれだけ、辛く苦しい思いを抱いていたか……。

 きっと、海はまだわかっていない。
 でも、それでもいいと思える。
 都合よく海にふりまわされているけれど……。
 わたしはやっぱり、海限定で都合のいい女だから。
 海が望むなら、それでもかまわないわ。
 海が望むことは、すなわち、わたしの望みでもあるから。

 海と一緒にいることだけが、今はわたしの全て。


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update:04/08/06