恋人浪漫
(3)

 ひと月前の初夏の頃。
 その頃から、海は必要以上にわたしを求めてくるようになった。触れたがるようになった。
 それは、わたしの気持ちが、少しだけ進化したからかもしれない。
 こうやって、海と一緒にいていいのだと、海といることが当たり前なのだと、ようやく思えるようになった。
 それで、二人の心の距離が、もう少しだけ縮まったのだと思う。

 もちろん、海もそのことに気づいて……。
 だから、こんなことも、平気でできるようになったのかもしれない。
 海が望むなら、わたしはそれでもかまわないけれど。
 ただ……やっぱりまだ、恥ずかしいけれどね。

「その根拠のない自信。一体、どこからくるのかしらね? あんたの頭、一度開いて中を見てみたいものだわ」
 はあと大きなため息をもらし、テーブルの上においていたトレイから、アイスティーのグラスを一つ持ち上げる。
 からんと、氷がすれる透き通った音がした。
 それが、涼しさを運んでくる。
 もちろん、エアコンがよくきいたこの部屋は、少し寒いくらいになっているから、涼しさといっても今さらのような気はするけれど。
 こうやって聞く氷の音は、ああ、夏なのだなあ〜と思わせてくれて、心を涼しくしてくれる。

 こういう何気ない涼しさが、なんとなくいいかなって思う。
 なんだか、ほのぼのと……のんびりとしていて……。
 おだやかに流れる時間がとても好き。
 それが、大切な人たちと過ごす時間ならば、もっと好き。
 特に、海と一緒に感じるものなら……。

「きっと、黄金色に輝いていると思うよ?」
 わたしの髪を一房その手にとり、自分の指にからませて、もてあそびはじめる海。
 からめる髪に、そっと口づけを落としたりなんかして……。

 う〜み〜。
 お願いだから、やめてえ。
 それって、とっても恥ずかしいから。
 海は平気かもしれないけれど、わたしはとっても恥ずかしいの。
 せめて……二人きりの時ならば……話は違うかもしれないけれど。

 そうやって、海に抱かれながら、きっと海をにらみつけてあげる。
 だけどきっと、海にはこんなものはまったく通じていないのだろうけれど……。
 だって、海、そんなわたしを見て、とっても嬉しそうに微笑むから。
 どうせ……目に涙を浮かべた顔でにらんでも、迫力なんて全然ありませんよーだ。
 海のばかあ〜……。

 そんな海を見て、当然のように、今目の前にいる空さんは、盛大にため息をもらしてくれる。
 はあと、あきれいっぱいこめて。
「煩悩色の間違いじゃないの?」
 はき捨てるようにそう言いながら、海の腕の中にいるわたしに、アイスティーのグラスを差し出してくる。
 もちろんそれは、「あんたの分なんてないからねっ」と、あえて海にあてつけるように。
 なんだか、空さんらしい。

 空さんに差し出されるそれを受け取る。
 触れた瞬間、じんわりと手に冷たさが伝わってきた。
 グラスの表面についたしずくが、わたしの手までもうるおす。

 空さんがいれてくれるアイスティーは、好き。
 なんだか、優しい味がするから。

 そして、グラスにささったストローに、すっと口づける。
 少しだけ息を吸うと、ほのかな空気のすぐ後に、冷たいアイスティーがのどの奥に流れ込んできた。
 口の中にじんわり広がる、アールグレイ。
 のどを、うるおしていく。

 少しだけ飲んで、ストローから口をはなすと、わたしの手の中にあったグラスがふっと姿を消した。
 そして、次の瞬間には、何故だか海の手の中にあって……。
 ずずずずずと、お行儀の悪い音をならし、残り全部のアイスティーを、海は一気にのみほしてしまった。
 そして、不機嫌に、ごんとテーブルの上にグラスを置く。
 その瞬間、ちらっと空さんを見て……にやりと微笑んだことは、絶対に気のせいなんかじゃない。

 って、海〜。
 そんなこどもっぽい嫌がらせをしてえ。
 あ〜あ。ほら、空さんの頭に、角のようなものが……。
 し、知らないからね。わたしは。どうなったって。
 空さんを怒らせると怖いのなんて、海がいちばんよく知っているはずじゃない?
 だって、半分八つ当たりのようないじわるを、海ってばよくされているから。
 その度に、げっそり、げんなりとしているのは、海でしょう?
 それに海、「姉貴にだけはかなわない」なんて、そんなことを言っていたこともあるでしょう?
 最近では、どうもそうは思えなくなりつつあるけれど……。

 だから、空さんに、煩悩色なんていわれちゃうのよ。
 わたしもそう思えてきちゃうから……海の頭の中は、きっと、煩悩で支配されちゃっているんだわ。
 他のものが入る余地すらなく。

「ねえ、早紀ちゃん。試してみましょうよ?」
「え?」
 いきなり、脈絡なく、空さんがそんなことを言い出した。
 だから、わたしの返事も、それ。
 きょとんと首をかしげ、つぶやく。
 だって、本当に、空さんの言っていることがわからないから。
 試すって、何を?
 空さんてば、いつもこんな感じだけれど。
 でも、そういうところが、おもしろくっていいなあ〜と思う。
 そう言うと、海は物好きって言うけれど……。
 だけど、そう言っている時の海の目、とっても優しいことをわたしは知っているから。

 普段、いっぱいいっぱい喧嘩をする二人だけれど、ちゃんと、お互いのことが大切なんだってわかる。
 こういう姉弟関係も、いいのじゃないかな?

 うん。やっぱりわたし、幸せね。
 こんな桜木家に、もうすぐお嫁さんとしてやってくるのだから。
 ……ああ。もうすでに、ほとんどいついちゃっているような気もするけれど。
 でもそれって、全部海のせいなのだけれどね?
 だって……海が家に帰してくれないから。


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update:04/08/19