恋人魔法


 去年の今頃は、それどころじゃなかったから、迷うことはなかったけれど――
 さすがに、それどころな今年は、しなきゃいけないと思うの。
 女の子のための、イベント。

 一年に一度、女の子が勇気をだせる日。
 一年に一度、女の子が大胆になれる日。

 バレンタイン、という名の口実にまかせ、意中の彼にその思いを告げることのできる日。
 いつもより勇気がみなぎり、大胆になれるから。
 この日だけは、いつもはひっこみじあんな女の子でも、何故だか積極的になれちゃうから不思議。
 そんな不思議な魔法がかかる日が、バレンタイン。

 ――って、そんな世間一般のことは、今はどうでもよくて……。
 それよりも問題なのは、これ。
 今、わたしに降りかかっている大問題。
 海に、チョコ……やっぱりあげなきゃダメよね?
 うーん。どうしよう。気が重いなあ……。

 チョコをあげるなんてそんなこと、はじめてだから、どうしたらいいのか……。


「ん? なに? 早紀ちゃん。百面相なんかして」
 今ではすっかりここにいることが当たり前になってしまった、海の家のリビング。
 そこのふかふかのソファに腰かけて、うーんうーんと首をひねるわたし。
 今リビングにやってきたばかりの空さんが、そんなわたしに気づき、そうたずねてきた。
 ふわふわとやわらかい湯気を立ちのぼらせるホットティーに口をつけながら、ぽすんとわたしの前に座る。
 そして、いつものように、どこかいじわるに、にこにこと微笑みかけてくる。
「……百面相……していた?」
 今度は反対側に首を傾け、とりあえずそう確認してみる。
 すると空さんってば、やっぱり楽しそうに即答してくれる。
 百面相って……困った顔や悩んだ顔はしているかもしれないけれど……。
 そんなにたくさんの表情、わたしにはできないよ。
「うん。思い切り。……また、海に何か言われたの?」
 ふうっとカップに息を吹きかける。
 興味がありそうに見えて、どうでもよさそうにも見えて……。
 疑問形ではあるけれど、口調はどうしたって断定形で……。
 最近の空さんの反応、いまいちわかりづらいよ。

 どうやら、腕をあげたらしい。
 もちろん、あげた腕は、わたしをからかう腕。
 ……なんか、悲しくなってくる。

 だけど、溺れる者は藁をもつかむ、というし……。
 おぼれるわたしは、空さんでもつかみたい気分。すがりたい気分。
 だってだって、本当にわたし、あっぷあっぷなんだもん。
 ……溺死寸前。

「ううん。そうじゃないけれど……。あのね、空さん。チョコ、どうしたらいいと思う?」
 そう。それなの。
 チョコ、どうしたらいいと思う?
 ……あげなきゃだめ……ということは、わかっているの。もちろん。
 だけど、一体どんなチョコをあげればいいのかがわからなくて……。
 そこで、ずうっと停滞中。

 海だったら、きっとどんなものでも喜んでくれると思うの。
 でも、それじゃあ、わたしが嫌なの。ダメなの。
 おせじとかたてまえとかそんなものじゃなくて、心から、本当に、海に喜んでもらいたいの。

 空さんや湊さんと一緒に行った海で、わたしは海のことを一つ多く知ったから。
 実は、海は、すごいやきもちやきなんだって。
 それが、すごく嬉しかったから、だからわたしも、海に思いっきり喜んで欲しい。
 いちばん大切な人が、わたしに幸せをくれるなら、いちばん大切な人に、同じように幸せを感じて欲しい。
 そう思うのは、わたしのわがままかな? エゴかな?
 あの日から、思いは募るばかり。
 どんどん海を好きになっていく。

 この気持ち、このチャンスをいかして、少しでも伝えてみたい。
 ……伝えられたらいいな。
 海が、そうしてくれるように。
 海のすべてを使って、そうしてくれるように……。

 わたしは器用じゃないから、そんなこと、なかなかできなくて。
 だから、女の子のためにあるこの日をいかしたいと思っても、罰はあたらないよね?
 何か理由づけがなきゃ、わたしは動き出せない、そんな女の子だから。
 例えば、偽りの恋人契約、そういうものがないと、男の子とつきあうなんてできない、そんな女の子だから。

「チョコ?」
 ぽかんと口をあけ、ぽけら〜とわたしを見つめてくる空さん。
 空さん顔の前では、持ったままのカップから、ゆらゆらと湯気が流れ出している。
 わたしは、そんな光景をぼんやりと眺めつつ、だけど動きだけは俊敏に、こくんとうなずいていた。
 瞬間、「嗚呼〜……」と、とっても面倒くさそうにつぶやき、空さんはくずれ落ちていく。
 カタンとテーブルにカップを置き、へにゃへにゃあとソファにうずもれて。
 そして、おもむろに、きっとわたしを見つめてきた。

「ああ、もう。早紀ちゃんが、あんなろくでなしのために、そこまで悩む必要はないのよ。あの男には、十円か百円程度の駄菓子系のチョコあたりをやっておけばいいのよ。あの男は何でも喜ぶから。早紀ちゃんからなら。手間ひまかけてやる必要なんてこれっぽっちもないから、もちろん、手作りは問答無用で却下ね!」
 一気にそこまでまくしたて、にっこりと、とても楽しそうに言い切る。
 まったく息が乱れていないあたり……さすがは、空さん、と言っておくべきかもしれない。
 わたしときたら、空さんのあまりもの勢いに、思わず気おされてしまっていた。

 そ、そこまで力説してくれるなんて……。
 空さん、ありがとう。
 なんて、どこか違うところで感謝していたりして。

 ……つまりは、手作りチョコは、海がとっても喜ぶから、そのまま昇天しちゃうくらい喜ぶから、絶対にそれだけはしてくれるな、ってことですね? 空さん……。
 本当、相変わらず、この姉弟は仲がいいのか悪いのか……。
 空さん、海が嫌がること、とっても大好きなのだから。

 だけど、そっか。そうなんだ。
 それでいいんだ。
 海なら、わたしのチョコなら、どんなものでも喜んでくれる。

 でも、やっぱり違う。
 そうじゃないの。
 わたしも、そう思わないことはないけれど。
 そう思うけれど……。
 でも、それじゃわたしが嫌なの。
 だから、こんなにも悩んでいるの。

 どうしたら、わたしのこの気持ち、海に伝えることができるのかな?
 女の子のための日をいかして、このあふれる思いを海に――

 ――結局、また、スタート地点に逆戻り?

「空さんは、湊さんにどんなチョコをあげるの?」
 だけど、そこで諦めるわたしじゃないわ。
 わたしが海にあげるチョコで答えをもらえないなら――まあ、一応はもらえているけれど――空さんが湊さんにあげるチョコでヒントをもらう。
 だってだって、本当に、どうしたらいいのかわからないもの。
 最後の手段とばかりに、空さんにつめ寄っていく。

 もしかしたら、この時のわたし、とっても目がすわっていたかもしれないけれど……。
 それくらい、わたしはピンチで、背水の陣で、一生懸命なの。
 本当に、もうどうしたらいいのかわからなくて、いっぱいいっぱいで。

 そんなわたしを前にしても、空さんったらやっぱり空さんで、マイペースにひょうひょうと答える。
「そんなの決まっているじゃない。わ・た・し」
 にやあ〜りと微笑み、きっぱりと言い切る。
 投げキッスのおまけつき。

 …………え?

 その意味がわからなくて、目を点にしていると……空さんは、また楽しそうににっこりと微笑み、やっぱりきっぱりと言い切る。
「だから、わ・た・し」
「ええ〜!?」

 さすがに、今度ばかりは……ようやく、わたしもその言葉の重大さに気づき、思わず後ずさっていた。
 すごい勢いで。
 そして、手近にあったクッションをとり、ぎゅうと抱きしめる。
 ……きっと、顔は真っ赤になってゆでだこ状態だと思う。

 ……それ、チョコじゃないです。思いっきり。空さん。

「早紀ちゃん、にぶすぎ」
 それは間違っていなかったようで、空さんは呆れたように、ぽつりとそうつぶやいていた。
 そしてまた、何事もなかったかのように、優雅にホットティーをすすっていく。

 ……嗚呼。
 溺れる者は藁をもつかむ……にならい、空さんに頼ってしまったがために――
 絶対、人選間違ったと思う。
 聞くのじゃなかった。
 空さんにだけは。
 と、いまさら大後悔。

 結局、ぜんぜん決められないや。
 ……堂々巡り。

 だって、空さんが言っていたように、本当に駄菓子系のチョコをあげるわけにもいかないし……。
 だからって、ま、まさか、空さんが湊さんにあげるといったものを、わたしも海にあげるなんて絶対に無理だもん。
 そんなとんでもないこと。大胆なこと。

 海は大好きだけれど、だけど……でも……。
 それは、絶対に間違っていると思うの。
 海はそんなものあげても、喜んでくれ――
 両手をあげて、しっぽをふって、悦ぶわね。絶対。
 ……嗚呼。もうっ。

 だからって、やっぱりそれは絶対に無理だから……。
 じゃあ、手作りチョコ?
 でも、手作りっていっても、一体、どんなのを作ればいいの?

 それに、手作りって、重くないかな?
 思いが、たっぷりめいっぱいこめられているから……。
 でも、それでも足りないくらい、わたしは海のことを思っているのだけれど。
 ――男の人は、手作りチョコ、どう思うのかな?

 わからないよ。
 海にいっぱいいっぱい喜んで欲しいのに、その方法が全然思い浮かばない。
 なんだか、情けないなあ〜。
 あまりの情けなさに、悲しくなってきちゃうよ。
 もどかしい。
 わたしって、こんなに優柔不断だったのかな?

 海は、わたしが喜ぶことを当たり前のようにしてくれるのに、わたしは全然それができない。
 そこが、とても悲しい。辛い。
 せっかくのチャンスを、いかすことすらできないなんて……。


「早紀? どうして、俺のことさけているの?」
 バレンタイン当日。
 海の家にいることが当たり前になった今では、今日もわたしはここにいる。
 そして、朝から、極力、海に会わないようにと逃げていた。
 ……いた……はずなのだけれど……。
 何故だか、壁際に追い込まれ、捕獲されてしまっている。
 今現在。
 壁に両手をつき、逃げられないようにがっちりガードされ。

 それでも、じりじりとその腕の中から逃げようとチャンスをうかがうわたし。
 ねばり強いのか、諦めが悪いのか……。
 微妙なところ。
 そして、わたしの目は、今日は一度も海と合わされていない。
 それはもちろん、わたしが意図的にそうしているわけで……。

 そんなわたしに、海は実力行使、強硬手段にでてきた。
 不思議そうに首をかしげて、わたしを見つめて。
 やわらかく微笑んでくれているけれど……絶対、怒っているよ、海。
 ……うわあ〜ん。こんなつもりじゃなかったのに〜。
 どうして、こんなことになっちゃっているの?

「まあ、別に、どうでもいいけれどね。そんなの」
 びくびくっと、思わず体をちぢめてしまったら、ふいにくしゃりと頭をなでられていた。
 そんな言葉と一緒に。
 ふれる海の手は、やっぱりとても優しい。

 ……って、今はそうじゃなくて。
 ど、どうでもいいなら、最初から追いかけまわしたり、そんなこときいてきたりしないでよっ!
 ……と、今日のわたしは強くでられない。
 だって、わたしには、思いっきり、海から逃げなければならない理由があるから。
 それが、とってもうしろめたくて、悲しくて、悔しいの。

 ……悔しくて、悔しすぎて……。
 涙がでてきてしまう。
 きゅっと目をつむり、涙をこらえる。
 だって、ここで泣いてしまったら、わたしは卑怯者になるから。

 目をつむったわたしの前では、海が小さく吐息をもらす音が聞こえた。
 それに、ずきんと胸が痛む。
 涙があふれそうになる。

「早紀がどんなに嫌がったって、絶対に手放してやる気はないから」
 そっと耳元でそうささやき、海はそのままわたしを抱きしめる。
 涙をこらえるため、必死で目をつむるわたしを……。
 そして、またくしゃりと頭をなでていく。
 それは、まるで、「大丈夫だよ」、そう言ってくれているみたい。

「ねえ、早紀。知ってる?」
 わたしを抱きしめたまま、海は妙に甘く問いかけてくる。
 だけど、海に抱きすくめられて、顔を胸にうずめられてしまっているこの状態では……ちょっぴり体をゆらし、それに応えるのがやっと。

 ……ううん。そうじゃなくて。
 海は、最初から、その問いの答えをわたしに求めていない。
 だってそれは、問いかけなどでなくて……合図だから。

「バレンタインは、もともとは、男でも女でも、どちらからでもプレゼントを贈るものなんだよ? 日本では、どこをどう間違ったのか、女の子が男にチョコをくれる日になってしまっているけれど」
 片手でわたしを抱き寄せたまま、もう片方で、すっとわたしの顔に何かを近づけてくる。
 同時に、ほわんと甘い香りが、わたしにとどけられる。
 抱きしめる力が少し弱まったため、顔だけはどうにか動かすことができるようになったわたしは、思わず顔を動かしていた。
 近づけられた、それを見るために。確かめるために。
 すると、ふぁさっと、わたしの口にふれるものがあった。

「だからね、大丈夫。気にしなくていいから。俺は、早紀のその気持ちだけで、十分嬉しいから」
 やっぱり、あまくそしてちょっぴり切なげにそうささやき、わたしに触れたそれをはなしていく。
 そして、そのまま、自分の口元にそれを持っていき、海はそこに口づけた。
 赤い赤い、深紅の薔薇一本。
 薔薇に唇を寄せたまま、海はにこっと微笑んでみせる。
 そして、その薔薇を、わたしの手に持たせる。
 わたしは、ただ海を見つめることだけしかできなかった。

 ……気障。
 なんて、どこか甘酸っぱい気持ちで、胸のうちで悪態をつきつつ。

 ……海には、すべて見透かされていたみたい。
 結局、チョコを決められずバレンタインを迎えてしまって、海にあわせる顔がなかったわたしのこと、すべて。
 それでいて、ちっともそのことについて、怒っていなくて。責めてもくれなくて。

 なんだか、悔しい。
 わたしだって、海のこと、もっともっとわかりたいのに。
 わたしばかりが、わかられているみたい。
 そして、わたしの全てを、無条件で許してくれているみたい。
 受け入れてくれているみたい。
 ……それはきっと、みたい、なんて不確かなものじゃなくて、絶対、という確かなものなのだろうけれど。

「どうしたの? 気に入らない?」
 見つめるわたしを、海はちょっぴり不安そうに見つめてくる。
「ううん。そうじゃなくて……」
 見つめてくる海を、やっぱりわたしは見つめ返すことしかできなくて……。
 海の腕の中で、手渡された薔薇をきゅっとにぎりしめていた。
 そして、そこにぽたっと落ちる、一つのしずく。

 嬉しくて。
 嬉しすぎて。
 気づかないうちに、わたしの目からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。

 どうして海は、いつも、わたしが喜ぶことばかりしてくれるのだろう。
 わたしが、幸せになることばかりしてくれるのだろう。
 最初から、何もかもわかっていて、それが必然のように。

 わたしも、海のこと、もっといっぱいいっぱいわかりたいと思うのに。
 海は、その何十歩……何百歩も先をいっているようで。
 ずっとずっと先の方で、立ち止まって、わたしが追いつくのを、根気強く待っていてくれるの。
 優しい微笑みを浮かべて。

 海の腕の中、薔薇を一輪にぎりしめ、涙を流すわたしを、海はかわらず優しく包み込む。
 海に触れるすべてが、海を感じるすべてが、きゅうっと悲鳴を上げる。
 幸せ全部を手に入れて。
 海がいるだけで、海に触れているだけで、こんなに幸せだなんて――

「俺は、これで十分だから……」
 海の胸の中、海に身をまかせていると、ふいに耳元でそうささやかれた。
 それからすぐに、ささやくそれは移動してきて……ふわりと、わたしの頬に触れていた。
 伝う涙を、すくいとるように。
 そして、そのまま触れてくる。
 しょっぱい、キス。
 涙味のキス。
 だけど、きっと、どんなチョコよりも、もっともっと、あまいキス。

 海のキスは、いつでもどんな時だって、どんな味のものでも……とろとろにとろけちゃうくらい、あまくなる。
 魔法のキス。

 ――結局、空さんの希望は、むなしく散ってしまった。
 だって海は、手作りチョコよりも、もっと最高で最上のバレンタインプレゼントを手に入れてしまったから。
 ……不意打ちで。
 それはきっと、空さんと同じものだったに違いない?

 海がいるだけで、わたしの心は満たされる。
 それは、幸せの魔法。


恋人魔法 おわり

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update:05/02/14