恋人魔法


 たとえば、君がいるだけで。
 俺の世界は満たされる。
 そんな不思議。
 そんな魔法。
 世界は、幸せをのせて、まわっている。

 それが、君という名の魔法。


「早〜紀。ホワイトデイふくめて、前後三日、予定をあけておいてね」
 三月のある日。
 たとえば、女の子や桃の節句と言われている、そんな日。
 ぽかぽか陽のあたる、早紀お気に入りのリビングのソファ。
 そこで、たっぷり生クリームのひなケーキを早紀に手渡しながら、俺はそんなことを告げる。
 もちろん、有無を言わせないように、にっこりと微笑んであげて。
 首を縦にも横にもふる余地すら与えてあげない。
 たいていは、この笑顔一つで、早紀は俺の言うことをきいてくれる。
 それは、早紀を手に入れる計画を発動したその時から続いているもので……。

 最初のうちは、それこそ、早紀は首を縦にも横にもふることができなかったと思う。
 だけど最近は、対抗しようと思えば簡単にできるはずなのに、それでも言い返せないふりをして、俺の言うことをきいてくれる。
 そんな早紀を愛しいと思う心、誰が否定できようものか。
 ……誰も、否定なんてできない。
 早紀を思う俺の心は、俺だけのものだから。

 早紀が、「わたしって、都合のいい女なの」と、そうもらしたことがあったけれど……。
 願わくは、そうであって欲しい。
 俺にだけ都合のいい女で。
 俺だけしか見えないほど、盲目になって欲しい。
 早紀の世界を、俺だけで満たしたい。

 だけど実際には、早紀をふりまわしているように見えて、俺が早紀にふりまわされているような気がしてならない。
 案外、油断ならないのかもしれない。早紀って女の子は。
 ……いや。そうではなくて……。
 これはきっと、あれだろう。
 惚れた弱み、とかいうヤツ。
 だって、先に好きになったのは、愛したのは、俺の方だから。

 より愛してしまった方が弱い立場に追いやられるのは、きっと世の常。
 俺は、早紀の何倍も、何十倍も、何百倍も……それ以上に、早紀を愛している自負がある。

「え? どうして?」
 早紀は、俺の手からひなケーキをうけとりながら、きょとんと首をかしげる。
 まったく、早紀はわかっているのだろうか?
 そんなかわいらしいしぐさをされてしまっては、俺の理性がぷっつんと切れてしまうこと。
 それを、ぎりぎりのところで必死に押しとどめるのが、どんなに大変かってこと。
 ……そのまま、そのあまいケーキと一緒に、早紀を食べてしまいそうになってしまうよ。
 そんなに、あまい微笑みを俺にむけてくると。

 そうやって、懸命に自分の煩悩と戦っている横で、早紀はさっさと、何事もなかったかのように、一口二口と、ケーキを食べはじめる。
 よほど、お気に召しているのか、ほわわんと幸せそうに微笑みながら。

 ……これはもう、拷問だよ。

 ほら、そうやって、凶悪に、「海もいる?」なんて、ケーキをのせたフォークを俺の口元にもってくるのだから。
 まあ、それを、「ああ」とか言いながら、すかさず口の中へ入れてしまうのは、俺なのだけれど。
 だって、せっかく早紀が、「あーん」てしてくれているんだよ?
 こんな嬉しいことって、ないだろう?
 この好機、逃すなんてそんなもったいないこと、俺にはできない。

「卒業……婚前旅行もかねて、ホワイトデイ旅行にいくから」
 早紀が不器用なのか、俺が不器用なのか、口のはしにつけてしまった生クリームをぺろりとなめながら、にっこりと微笑む。
 こともなげにさらっと、そう言ってのけて。
 本当は、壊れるのではないかというほど、心臓が激しくドラムをうっているけれど。
 それを、早紀にだけは悟られまいと、平静を装う。

 ……そう思うと、俺ってけっこう、意地っ張りだよなあ。
 何がどうあっても、早紀にだけは、常に格好いい俺でいたいなんて。
 もうそういう仲でもないはずなのに、それでも俺は、きっとずっと早紀の前では、格好をつけ続けるのだと思う。
 ――ちゃんとつけられているのかは、はなはだ疑問だけれど。

「ええ!? で、でも……。わたし、バレンタインの時……」
 今、俺の口にケーキを一口運んだばかりのそのフォークを、早紀は思わずぱくっとくわえた。そのまま。
 そして、じいっと俺を見つめてくる。
 少し困ったようで、少し嬉しそうに。
 その目が、おろおろと忙しなく動いている。

 そんな早紀を、さらに愛しく感じてしまう俺は、もう完全にいかれているのかもしれない。
 あのムカつく姉、空に言わせると、きっと俺は……早紀バカ≠ニかいうものになってしまうのだろう。
 ……否定はしないけれどね。

「だから、今度は早紀が、俺にプレゼントしてくれる番だよ。俺のために、早紀の時間をちょうだい?」
 フォークをくわえたまま、目をまんまるに見開き俺を見つめる早紀を、すいっと抱き寄せる。
 そして、そのままふわりと顔を寄せていく。
 早紀の顔へと。
 ほんのりさくらの花びら色に染まったその頬が、とてもやわらかそう。
 そして、かわいい。
 このまま一気に、押し倒してしまいたいほどにね。
 そんな過激なことを考えている俺がいるなんて、早紀には絶対に知られてはならないけれど。
 だけど、それが、俺の複雑?な男心ってヤツだということも、ごまかしようのない事実。

 俺がどんな思いで、一年間も、早紀と偽りの恋人契約を結んでいたか……。
 本当は、そんなまどろっこしいことなんてしたくなかった。
 そのまま強引に、名実ともに、俺の恋人(もの)にしてしまいたかった。
 だけど、約束したから。
 一方的でも。強引でも。
 だから、せめてもの俺の誠意の欠片で、その一年という約束だけは守りたかった。
 きっとそれは、俺の自分勝手なわがままに違いないけれど……。
 ……馬鹿馬鹿しくて、無意味な、贖罪(しょくざい)めいたものかもしれないけれど……。
 どんなことをしたって、早紀を手に入れるというその思いだけは、決して覆せない。諦めない。

 一年間我慢して、ようやく、俺は、こうやって早紀を抱き寄せることが許された。
 それまでに、早紀を傷つけてしまったことは、誤算だったけれど。
 だけど、そのおかげで、思いもよらず、一日もはやく早紀を手にいれることができたのも、また事実。

「……もう……全部もっていかれているようなものなのに。わたしのこれからの時間」
 フォークを口にくわえたまま、もごもごとくぐもった声で、早紀がぽつりとつぶやいた。
 その目は、ちょっぴりうらめしそうに俺を見つめて。
 こういうほんのりすねた時の早紀は、本当にかわいい。かわいすぎる。
 そして何より、その目には、今俺の姿しか映っていないと思うと……嬉しすぎる。

 こんなことがなくたって、常に、早紀の目に映るものは、俺だけであって欲しい。
 そんな醜い独占欲のかたまりなんだ。俺ってヤツは。
 あの海にいった日。
 俺は、それを改めて気づかされた。
 早紀に近づく奴、誰一人として許せないなんて……。
 たった一つ……一人だけが、こんなに狂おしいほど愛しいと感じるなんて……。
 そんな不思議、この世にあるなんて知らなかった。
 早紀に出会うまでは。

 早紀は、俺のたった一つの特別な魔法なんだ。
 俺が幸せになれる魔法。
 それを、早紀だけが知っている。使える。

「ん? 何か言った?」
「う、ううん。何でもないっ」
 ひょいっと早紀に顔を近づけて、にっこりと微笑む。
 少し首をかしげてみせるのも忘れずに。
 すると、早紀は慌てて、首をぶんぶんと横にふる。
 めいっぱい顔を真っ赤にして。
 そんな早紀を、すかさず胸の中へ抱き寄せる。

 俺って男は、本当に、ぬかりなくて、そして……意地が悪い。
 愛しいと思うほど、いじめてやりたくなってしまうなんて。
 それでも、最後までいじめ抜くことなんて俺にはできなくて、結局いつも、中途半端なまま。
 俺のための困った顔はとてもかわいいけれど、だけど同時に切なくなる。
 早紀には、いつも幸せに笑っていて欲しいから。

 慌てて否定しているけれど、俺にはちゃんと聞こえている。
 早紀のどんな小さくてささいな言葉だって、何一つ聞き逃したりはしない。
 その一つ一つが、俺にとっては、かけがえのない宝物だから。

 だけど、こうやって、聞こえなかったふりをする。
 それは、早紀のため。
 もし、聞こえていたというような反応をしたら、早紀はうろたえるから。
 今は、うろたえているすきなんて与えてあげない。
 このまま強引に、事を運ぶために。
 俺に都合よく。
 そして早紀は、またこう言うはず。
「わたしって、都合のいい女なの」

 ……そう。いつもそう。
 早紀の流されやすい性格を利用して、俺は全て思いのまま強引に事をすすめる。
 早紀には気の毒なことをしているとわかっていても、それでも俺は自分の欲望をとめられない。
 そこまで、まだまだ大人になりきれていないから。
 欲しいものは、精一杯手に入れようとする、そんなこどもだから。

 幸い、今のところは、一度も失敗に終わったことがないからいいけれど……。
 いつか失敗するのじゃないかと、ひやひやしている。
 失敗したその時は……俺は生きていけない。
 それはすなわち、早紀に嫌われる≠アとを意味しているから。

 そうすると……「早紀のため」とか言ってみても、結局、全ては自分のため?

 でも、仕方がない。
 俺の幸せは、もれることなく早紀にあるから。
 だから、ひらき直るし、早紀にはあきらめてもらおう。
 俺に愛されてしまったのが、運のつきだとでも思って。

 結局、いつものようにさりげなく流して事を運び、早紀は二泊三日の旅に出ることになる。
 もちろん、今度こそ、俺と二人きりで。
 もう絶対に、誰にも邪魔などさせない。

 気づけば、二人で、一つのフォークで一つのケーキを食べあっていた。
 早紀と二人で食べるケーキは、これまで生きてきた中で、いちばんあまかった。


 この広い広い世界で、早紀を見つけられた。
 そんな幸運。そんな強運。
 早紀とめぐり会い、早紀を愛し愛され、早紀を手に入れた。
 そんな幸運。そんな強運。

 早紀がいるだけで、誰よりも何よりも幸せ。
 そんな不思議な魔法。
 幸せ魔法。
 それが、恋人魔法。


恋人魔法 おわり

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update:05/03/03