恋するマリオネット
(5)

 ぴたりと時間をとめてしまった萌歌が次に気づいた時は、もう西の空が茜色にそまりはじめた頃だった。
 あの白亜の神殿から場所を移し、外壁いっぱいにつたがからむ緑の館の一室に通されていた。
 そして、気づけば、椅子に座らされ、まわりを数人の男性にとりかこまれている。
 目の前のやたら高そうな椅子にどすんとふんぞり返っているのは、たしか――
「こちらの方が、フィガロットさまの運命のお相手ですか?」
 そう。たしか、そういう名前だった。
 そういう名前の王子だった。
 そして、その王子は、たしか――
 ふんぞり返るフィガロットを、訝しげに見下ろしながら、スーツをびしっと着こなした男がそうつぶやいた。
 常に夏の気候のこの国で、暑苦しいことに、真っ黒いスーツに真っ黒いネクタイをしている。
「ああ、そうだ。ジョルー」
 その問いかけに、フィガロットは何のためらいもなく、さらりとそう答える。
 すると、ジョルーの顔が、さらに怪訝にゆがむ。
「それはまた……。聞いたことがありませんね。まさか、異国の女性が運命の乙女≠ノ選ばれるなど」
 じとりとフィガロットを見下ろし、不審をあらわにする。
 恐らく、その身なり、言葉遣いから、フィガロットに仕える者だろうに、よくまあ、そのようにざっくばらんに振る舞えるものである。
 ……と、そのようなどうでもいいところが、気になってしまう。
「いや。前例はありますよ。ただ、こうも遠くはなれた国の娘は、はじめてというだけです」
 隠すことなく不審を募らせるジョルーに、ランバートがけろりと答える。
「ランバートさま? それは本当ですか?」
 フィガロットへ向けていた訝しげな視線を、ジョルーはそのままランバートへと移していく。
 何やら、会話をかさねればかさねるほど、ジョルーの目は不審の色が濃くなってきているような気がする。
 まあ、無理もない。
 ランバートのこの愉しそうな顔を見ていれば。
 そして、フィガロットのにたにた笑う顔を見ていれば。
 ジョルーでなくたって、絶対に、何かよからぬことを企んでいると、想像に易い。
「ええ。たしか、五代ほど前は、隣国の娘が選ばれていましたよ」
 しかし、ジョルーのそのにらみなど気にしたふうはなく、ランバートはやはり、けろりと答える。
 その言葉に、ジョルーは、思わず舌打ちをしてしまっていた。
 間違いなく、この王子は何かを隠している……企んでいるはずなのに、それを覆されるような情報をもたらされてしまったから。
 どうにかして、このにたにた笑う王子の化けの皮をはがしたいというのに。
 この王子は、ジョルーの経験上、たちが悪いことを知っている。
 普段、まるで操り人形のように理想的な王子を演じている反面、気心の知れた者たちには、散々な態度をとってくれている。
 その二面性というか裏表のはげしさは、もう、殴りつけてやりたくなるほどのもの。……近頃では。
 ジョルーは思わず、ふるふるふるえる拳を、ぎゅっとにぎってしまった。
 その時だった。
「あ、あの……」
「え?」
 それまで、不安そうに、そして不思議そうに様子をうかがっていた萌歌が、言葉を発した。
 もちろん、同時に、三人の男たちの視線が、萌歌へ注がれる。
 それに、萌歌は思わずびくんと体をふるわせる。
 だけどすぐに、ぐっと息をのみ、にらむように三人を見つめ返す。
「一体、何がどうなって、こういうことになっているのですか!? それに、友達は……」
「ご安心ください。ご友人は、先にお一人で帰国していただきました」
 すると、間髪をいれず、にっこりと微笑みながら、こともなげにランバートがそう答えた。
 微笑んでいるけれど、間違いなく、その目の奥には、威圧を感じる。
 余計なことは気にしてはいけませんと言うように。
「え……?」
 瞬間、萌歌の顔がくもった。
 それに気づきつつも、労わるそぶりすらなく、ランバートは楽しそうに続ける。
「あなたには、この国にとどまっていただきます。何しろ、大切な未来の王妃ですからね」
 そして、極上の微笑みを萌歌へ向ける。
 その横では、ふんぞり返るフィガロットが、どこか複雑そうに微笑んでいる。
 また、その後ろでは、腑に落ちないと、険しい顔のジョルーが……。
 その三人の顔をもう一度みまわした次の瞬間、萌歌の飛んでいた思考が、一気に戻ってきた。
 同時に、怒髪天。
 座っていた椅子から、がばっと立ち上がる。
「ちょ……っ! だから、それが訳がわからないのだってば! お庭を見学していたら、いきなりやって来て、王妃だとか何とか――」
「わあ、待って!」
 そこまで言いかけると、フィガロットの慌てたような叫びに遮られてしまった。
 そのようなフィガロットに、ジョルーの怪訝な熱い視線が、おしげもなく注がれる。
「フィガロットさま」
「な、何だ? ジョルー」
 妙に冷たくかたいジョルーの声に、フィガロットはびくりと肩をふるわせる。
 そして、ちらーりと、ジョルーへと視線を向ける。
 とってもばつが悪そうに。
 見上げると、そこには、まるで猛吹雪でも背負っているようなジョルーの顔があった。
 瞬間、フィガロットの顔から、さあっと血の気がひいていく。
「はっきりきっぱりすっきりと、ありのままを答えてください」
 そして、妙に静かに、ジョルーはそう言った。
「わたしが、この女性の言葉を理解できていないとお思いですか? ――侮られたものですね。報告を受け、しっかりとギリッシュに薬をもらってきました」
 嘲笑うように、冷たい眼差しをフィガロットへと向ける。
 同時に、雷に打たれたような衝撃が、フィガロットを襲った。
 ちらりと気まずそうにジョルーを見ながら、恐る恐る、口をひらく。
「の、飲んだ後なのか……?」
「当たり前です」
「うわあ……。最悪」
 がっくりと、フィガロットの肩が落ちる。
 それを見届けると、ジョルーは、ずずいっとフィガロットへと迫る。
 そして、威圧的に見下ろす。
「最悪なのは、あなたです。どういうことです?」
「そ、それは……その……」
 どうにも逆らい難いジョルーに、フィガロットはたじたじ。
 この側近は、普段から、何かと堅苦しく口うるさい。特に、説教が恐ろしい。
 まるで真面目が靴を履いて歩いているような男。
 きっと、それが、この男にぴったりの言葉だろう。
 にじりにじりと気おされつつも、フィガロットはジョルーを悔しそうににらみつける。
「フィガロット王子は、儀式で選ばれた娘となど結婚できないとおっしゃり、この乙女を選ばれたのですよ」
 まるで蛇に見込まれた蛙を身をもって体現しているようなその二人へ、ランバートがにっこり笑い、そう言った。
「ランバート!!」
 瞬間、ぎろりとしたフィガロットのにらみが向けられる。
 しかし、それをさらっとかわし、ランバートはやはりにっこり。
「事実ではないですか」
 さらっとそのようなことを言ってのける。
 それに、蛇に見込まれていた蛙は、もう一匹現れた蛇……毒蛇へと、惜しみなくにらみを注ぐ。
 どうやら、これで、フィガロットの形成はさらに悪化してしまったらしい。
 たしかにそうだった。この毒蛇は、自分が楽しめると思えば、ころっとあっさりと、簡単にてのひらを返す男だった。
 ぎりぎりと歯をかみしめ、にらみつけるフィガロットに、ランバートはふと笑みを向ける。
 それに、不審を覚えた時だった。
「だけど、安心しなさい、ジョルー。フィガロットさまは、一目ぼれだそうですから」
 そして、やはりけろっと、ランバートは微笑んでそう言い放つ。
「は!?」
「だから、ひ・と・め・ぼ・れ」
 突然のランバートの訳がわからない言葉に、ジョルーが目を点にすると、たたみかけるようにさらにそう続けた。
 それに気づいた瞬間、ジョルーの額の血管が、一つぷちっと切れた。
 しかし、さすがはジョルー。
 今にも殴りかかりそうなその右手を必死に左手でおしとどめ、怒りを押し殺し、静かに言葉を吐き出す。
「わざわざスタッカートにしなくても、ちゃんとわかりますよ。わたしが聞きたいのは、そのようなことではありません。このようなことが許されるはずが――」
「だから、一目ぼれなのですと言っているでしょう。この意味、理解できますか?」
 それまでにっこり笑っていた顔を少しおもしろくなさそうにくずし、ランバートはジョルーへとずいっと迫る。
 それに、ジョルーは、思い切り訝しげな視線で応戦する。
「……」
 しかし、さして時間を要さないうちに、ジョルーははあっと大きなため息をついていた。
 すいっと、ランバートから視線をそらす。
 まるで、何もかも諦めた……呆れきったように。
 ジョルーは、早々に、白旗をあげるはめになってしまったらしい。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:07/02/04