恋するマリオネット
(8)

 明らかな不審の色を見せる萌歌に、ギリッシュはひるんだように顔をゆがめる。
 だけど、すぐに何かに気づいたのか、ふわりと笑顔を取り戻した。
「大丈夫です。危ないものではありません。これは、飲むと、一定の時間だけ、どのような言葉でもわかるようになるという薬です」
 しかし、それは、ギリッシュの期待を裏切ることになった。
 萌歌は、余計に訝しく表情を変えていく。
「……胡散臭い。どうして、そのようなものを飲まなければいけないのよ。別に、言葉なんてわからなくてもいいじゃない。どうせ、もう帰るのだし」
「帰しませんよ」
 むっすりと頬をふくらませ言うと、即座にランバートがそう返した。
 萌歌は、きっとランバートをにらみつける。
 しかし、ランバートは、どこか涼しそうな顔をして、さらっとそのような萌歌を無視する。
 それに、萌歌の頬は、ますます大きくふくらんでいく。
「その薬は、飲んだ者同士、どのような言葉でも通じ合えるというものです。効き目はおよそ一週間。あなたが飲んでいたあのジュースの中に、こっそりとしこませていただきました。しかし、少量でしたので、そろそろきれる頃です。だから、飲んでください」
 あらぬ方を向いたまま、ランバートは、そのように、恐ろしいことをさらりと告げる。
 しかも、有無を言わせぬそのような言い方。
「ど、どうして……!」
 思わずずりっとのけぞり、不審も警戒もたっぷりこめた目で、萌歌はランバートをにらみつける。
 だけどやはり、ランバートはそのようなものはさらっと無視して、にっこりと萌歌に威圧をかける。
「いいから飲んでください。飲まないと、会話ができませんよ? 別に言葉など通じなくても問題ないと言う者もおりますが、言葉がわからないと、不安でしょう。不便でしょう。この状況から脱するまで」
 そして、妙に黒いものをはらんだ笑顔で、にやりと微笑む。
「う……っ」
 萌歌は、思わず、言葉につまってしまった。
 たしかに、この状況を脱するまでは、言葉が理解できた方がいいかもしれない。
 ……そう。インチキな王子の伴侶云々の話を白紙に戻し、真央子の後を追って、帰国するまでは。
 さすがに、この国からとんずらすれば、そう簡単に追いかけては、手出しはできないだろう。
 ただ、問題なのは、この国から出られるかどうかというだけで。
 そのようなことをもんもんと考えながら、萌歌は変わらず警戒をあらわにし、びくびくとした眼差しでランバートをにらみつける。
 そのランバートの向こうでは、どこか険しい顔で、フィガロットがこちらを見ている。
 それに、萌歌は、ふと胸にもやもやとしたものを感じてしまった。
 だって、あの王子は、たしか、普通の状況ならば、胸がとてもどきどきするようなことを……。
 きゅっと唇をかむ。
「警戒しなくても大丈夫ですよ。それは、本当に毒ではありません。副作用もありませんから」
「く……っ」
 ランバートには、当然のようにお見通しだったらしい。
 たしかに、言葉がわかるにこしたことはないけれど、ただ、この薬の信憑性が問題。
 毒でも混入されていやしないかと。
 ……いや。この色からすると、媚薬とかその辺りのいかがわしい薬の可能性も捨て難い。
 むしろ、そちらの可能性が高い。これまでの会話も加味して。
 そのようなものが本当に存在するのかという、そういう常識は、もうすでに葬り去っている。
 この男たちの言葉を、何故だか理解できてしまっている時点で。
 きっと、こういう不思議も、世の中にはあるのだろう。萌歌が知らないだけで。
 そのような、半ば現実逃避した考えまで受け入れてしまっている。この状況下では。
 いや。受け入れてしまわないと、本当に、頭がぐるぐるまわって、倒れてしまいそう。
 余裕たっぷりの微笑みを浮かべ、ランバートは萌歌をにやにやと見ている。
 その横には、両手に小瓶を持ち、おろおろとこの状況に身をおくギリッシュがいる。
 さらにその向こうでは、相変わらず、フィガロットが強張った顔をしていて……。
 ジョルーも、表情を失くしたような顔で、こちらをじっと見つめている。
 胸の前で握り締めていた萌歌の両手に、ぐっと力が入る。
「わかったわよ。飲めばいいのでしょう、飲めば!!」
 そして、萌歌はなげやりにそう言い捨て、ギリッシュの手から、乱暴に小瓶を奪い取る。
 ぐいぐいとむりやりふたをとり、そのまま一気飲み。
 こうなれば、もうやぶれかぶれ。自棄。
 この後、どうなろうと知らない。
 ただ、無事、帰国さえできれば……。
 まさか、海外旅行に来て、このような目にあうとは、夢にも思っていなかったけれど。
 これは、旅行先の国で犯罪に巻き込まれるに等しいほどの、不運。
 萌歌が小瓶の中の薬を飲み干したことを確認すると、ランバートはすっと体をひいていく。
 そして、そこで、満足そうにひとりごちる。
「ふふふ。これで、ゆっくりじっくり、口説き落とせますね」
 瞬間、萌歌の顔から、さあっと血の気が引いていった。
 そういえば、そうだった。
 言葉を理解できるからといって、この状況を脱したわけではなかった。
 むしろ、事態は悪化してしまっただろう。
 なまじ言葉を理解できてしまえるだけに……言葉による脅しも、萌歌に通用してしまう。
 一体これから、どのような言葉で、脅迫されるのだろうか。
 ……もしかしなくても、早まったことをした……?
 このような国からは、一刻もはやくおさらばしたい。
 帰りたい。
 嗚呼。今となっては懐かしい、我が故郷。日本――
 いっそ、このまま、意識を手放してしまいたい。
 そうすれば、少しは気分が楽になるかもしれない。
 そう思うと同時に、萌歌は、本当に気を失ってしまった。
 ぱふっと、背もたれにもたれるように、そのままくずおれていく。
 ぼんやりとした意識の向こうで、何やら慌てたような複数の声が聞こえるけれど、もう萌歌の脳は、それを処理する余裕すら残っていなかった。
 というより、拒否している。


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update:07/02/28