恋するマリオネット
(9)

 空には、ぽっかりと月が浮かんでいる。
 しんと静まり返った夜の中から、海のざわめきが聞こえてくる。
 この城の背は、断崖絶壁。
 岩肌に打ちつける波の音がする。
 それと同時に、やさしい波の音も。
 何とも、複雑な音色をもたらしてくれる城である。
 昼間の喧騒では、この音は聞くことができない。
 静けさのある夜だからこその、自然の演奏会。
 絶壁の海から見上げると、ある一室から、光がもれていることがわかる。
「まさか……あのフィガロットさまが、このようなすっ飛んだことをなさるなんて……」
 明かりがもれるその部屋に、そう頭を抱えるジョルーがいた。
 その横には、椅子に腰かけ、グラスの中の赤い液体を優雅にゆらすランバート。
「そうですか? わたしは安心しましたよ。どのようなことでもわがままひとつ言わず受け入れ、理想的な王子を演じてこられたのですから。あの方も、人並みに感情をお持ちだったというわけだ」
 手の中でゆらしていた液体を、くいっと一口のどの奥へと流し込む。
 そのようなランバートの仕草を見つめながら、ジョルーは苦しそうにため息をひとつもらす。
 たしかに、気心の知れた者たちには、ぞんざいな振る舞いをする王子だけれど、それでもやはり、どこか一線を引いたように、王子然とした雰囲気は崩すことはなかった。
 そこだけは、どのようにしても、崩れることはなかった。
 それなのに、今回、古来より、この地へ移り住んでくる前よりずっと続くその掟を、王子は破らせた。
 それは、一体、どのような災いを招くとも知れないのに、それを承知のはずなのに、それでも……。
 王子が、儀式による伴侶の選定をよく思っていないことは知っていた。
 国の和を乱さぬためにも、むりむり従っていたにすぎないことも知っている。
 そして、そのような時、見つけてしまったのだろう。
 だから、このようなむちゃくちゃなことを、王子は強行してしまっている。
 掟云々を抜きにしても、これはあまりに常識からはずれている。
 まさか、異国の女性を、このような監禁まがいのことをして、手に入れようなど……。
 このような無茶をする王子ではなかったはずなのに。
「何よりも、愛した女性と一緒になり、幸せになっていただきたいではないですか」
 持っていたグラスをことんとテーブルの上に置き、ランバートは静かにそう告げる。
 その目は、妙に優しい光を宿していた。
 それを見て、ジョルーは何かに気づかされたような気がした。
 もしかしたら、この最高神官は、ただ、おもしろそうだから……というそれだけではなく、王子を思って、王子のことを考えて、このような非常識なことに手を貸している? 押し通そうとしている?
 まるで操り人形のような王子の、ただ一つ、ゆずることのできないその思いだけは、救ってやりたいと……?
 ジョルーにだってわかる。
 望まぬ相手と、愛してもいない相手と、生涯をともにするということが、どれほどの苦痛か、不幸か。
 国のために理想的な王子を演じているからこそ、そこだけは、心のやすらぎだけは、残しておいてあげたいと思っている。
 そのためならば、ジョルーだって……。
「たしかに、わたしも、フィガロットさまのお幸せがいちばんですが、しかし……」
 それでもやはり、掟は掟。
 これが明るみにでも出れば、フィガロットは、一体、どのような責めを負うか。
 もちろん、その片棒を担いでしまったジョルーとランバートも然り。
 まあ、そのようなことは、どうでもいいけれど。
 しかし、考えれば考えるほど泥沼と化すジョルーとは正反対に、ランバートは実に清々しく言い放った。
 ぴんと人差し指をたて、得意満面に。
「掟とはね、破るためにあるのだよ」
 その言葉に、ジョルーの思考は、地球百億周の旅へと出てしまった。
 そして、無事終え、ちーんと帰還。
「……嗚呼、もうっ。このくされ神官はっ」
 思わず、そう本音をぶちまけてしまっていた。
 しかし、この神官は、それに気を悪くするどころか、気をよくしてしまう。
「ふふっ。誉め言葉だね」
 そのようなことを嬉しそうに言いながら。
 それを見て、ジョルーは、ぱたんとテーブルに突っ伏してしまった。
 ――前言撤回。
 やはりこの神官は、楽しめそうならば、掟でも何でも、簡単に破ってしまう。
 人の迷惑など、もちろん顧みず。
「それはそうと、ジョルー。我々は、運命共同体だからね? くれぐれも……」
 その証拠に、ランバートは、念をおすように、だけど楽しそうに、ジョルーにそう威圧をかける。
「わかっていますよ。まったく……っ」
 やはり、ジョルーは腹をくくらねばならないらしい。
 そして、それ以上に、これから、この神官におもちゃにされ楽しまれそうな気が、たっぷりとしてならない。
 下手に王子の側近になってしまったがために、ジョルーは、明日をも知れぬ身になってしまった……ような気がする。
 すぐ下の海では、そんなジョルーを嘲笑うように、どぷーんと、波が崖を打ちうけ、砕け散っていく。


 ――同じ頃。
 開けられた窓から、さらさらとカーテンをゆらし、さわやかな風が吹き込んでくる。
 その風に遊ばれるように、天蓋から垂れる薄布が、ゆったりふわりと揺れていく。
 そこから、見え隠れする、微かにゆれる黒髪。
 どこか苦しそうにかたく閉じられたまぶた。
 ゆれる薄布のこちらには、金の髪をわずかな風になでさせるフィガロットがいた。
 そこに立ち、じっとその黒髪の女性を見つめている。
 風にあおられて、その眠る女性の頬に、黒髪がひと房かかった。
 それにめざとく気づいたフィガロットは、思わず手をのばしていた。
 そして、頬にかかった髪を、そっとはらいのける。
 それから、ゆっくりと腰をまげていき……。
 ふわりと、のぞく額に、唇をよせていた。
 その瞬間、あれほど苦しそうだった女性の寝顔が、すっとやわらいだ。安らいだ。
 もう、眉間に寄せるしわはない。
 それを認めると、フィガロットは驚いたように女性を見つめ、頬をほんの少しゆるめて、そのままその部屋をでていく。
 ゆっくりと閉じられた扉に背をあずけ、仰ぐように、窓の向こうに見える月を見つめる。
 月は、真丸く、その広い空に浮かんでいる。


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update:07/03/04