恋するマリオネット
(18)

 窓の外を眺めたまま、うつらうつらしてきた頃だった。
 もうすっかり日が沈み、空にはぽっかりと月が浮かんでいる。
 そして、またたく数多の星たち。
 恐らく、ここは空気がきれいなので、そして星の瞬きを邪魔する人口の光も少なく、これほどたくさんの星を見ることができるのだろう。
 日本にいては、とうていおめにかかれない光景。
 あの幾千幾万に輝く星々を見ても、萌歌の心は、ちっともはずまない。
 ……今は。
 地球に到達するまでに、数え切れない時間をかけて星の光はやってくるという。
 では、今見ている星たちも、もう存在しないものもあるかもしれない。
 もうこの世にない星の輝きを、見ているのかもしれない。
 それは、奇跡のような出会い。
 奇跡といえば、人によれば、萌歌の今の境遇もそうなるのかもしれない。
 王位を約束された王子様に、見初められるなんて……。
 けれど、萌歌にとっては、これほどの不幸はない。
 こんなに綺麗な夜空を見ているのに、気づけば、考えていることは、どうも暗くて仕方がない。
 ふうっと吐息をもらし、ぺたんと窓のすぐ横の壁に頭をもたれかけた時だった。
 ふいに扉がノックされる。
 それに、びくりと体を震わせる。
 あの後、怯えきった萌歌を案じて、ランバートとギリッシュは、この部屋に萌歌を一人きりにしてくれた。
 夕食までの間、少しでも気持ちを落ち着けられるようにと。
 だけど、一人になったからといって、落ち着くものでもない。
 そのノックとともに、恐怖が再びおそってきた。
 一向に返事をしようとしない萌歌に、扉の向こうで、不思議そうに首をかしげるような気配がする。
 そうかと思うと、扉は、おもむろに開かれる。
 また、萌歌の体が、びくりと震える。
 開けられた扉から、遠慮がちにギリッシュが入ってきた。
「……ああ。眠ってはおられなかったのですね。ご気分は……いかがですか?」
 そして、窓辺で身を縮める萌歌に気づき、ギリッシュは微苦笑を浮かべ、ぱたんと扉を閉じた。
 だけど、それ以上萌歌に近づこうとはせず、その場にとどまったまま、声をかける。
「……少し、お話しませんか?」
「お話……?」
 くるりと顔だけをギリッシュへと向け、萌歌は怪訝そうに見つめる。
 窓から差し込む月明かりに照らされ、ギリッシュの目には、萌歌が妙になまめかしく見えてしまった。
 あれから、ずっとそこで、そうして空を見ていたのだろう。
 この部屋の明かりは、薄暗いまま。
「ええ。この国のことなどを」
 すぐ横にあったスイッチへと手をのばし、明るさの量を増やす。
 すると、一瞬にしてこの部屋は光で包まれた。
 それに、萌歌はまぶしそうに目を細める。
 あまりにもまぶしかったのか、その顔をすっと床へとそらす。
「……知りたくない」
 そこで、ぽつりとぶつやく。
 当然、そう返ってくるだろうと思っていたのだろう、ギリッシュは慌てることなく続ける。
「そうおっしゃらず。情報は、少なからず、あなたの役に立つかもしれません。いざという時」
 その言葉に、萌歌の耳はぴくりと反応し、まだ多少まぶしそうに顔をあげる。
 目を細めたまま、ギリッシュへと視線を向ける。
 ギリッシュは、扉のもとにたったまま、こくりとうなずいた。
 どうやら、それ以上、萌歌へ近づくつもりはないらしい。
 萌歌に警戒心を与えないためにも、それが最良だと判断したのだろう。
「どこまでご存知かはわかりかねますが……。そう、この国の名はご存知ですか?」
 ふわりと優しい微笑みを浮かべ、ギリッシュは萌歌にそう問いかける。
 すると、萌歌は、今度は顔だけではなく、体もゆっくりとギリッシュへと向けていく。
 だけど、足が痛むのか、立ち上がろうとはしない。
 その場に、窓辺に腰をおろしたまま。
「え……? う、うん。ヴィーダガーベ……ですよね?」
 いくら絨毯が敷かれてあるといっても、そのままそこに座っていては、気温が落ちた夜のこと、冷えるかもしれない。
 しかし、だからといって、萌歌の許しもなく近づいては、また警戒されてしまう。
 だから、渋々、ギリッシュはその場に足をとどめる。
 先ほどフィガロットがかけたストールが、そのまま萌歌の肩にかかっていることだけが、いくらか救いになる。
「そうですね。ここは、南の海にぽっかり浮かぶ島国です。地図にのらない、小さな小さな国なのですよ」
 ぺたんと座ったまま、萌歌はじっとギリッシュを見つめる。
 どうやら、会話をすることはお許しをいただけたらしい。
 このように、さぐりさぐり話をしていくことは、実に骨が折れる。
 しかし、この女性には、今はそれが必要だろう。
 こうして話している今でも、やはり警戒したままだから。
「……うん。知っている。友達にこの国の旅行パンフレットを見せられて、それできてみたいと思っていたから」
 そう言って、萌歌は、ちらっと窓の外の夜空へと視線を移す。
 そこでは、変わらず、数多の星がまたたいていた。
「へえ……。それは、驚きました。……それで、やってきていかがですか? パンフレット通りの国でしたでしょうか? ――あ。でも、まだ王宮内しかご存知ないのですよね。召喚されてきたのですから……」
「……召喚?」
 夜空を見上げる萌歌を、目を細め見ていると、ふいにその顔がギリッシュへと向けられた。
 眉間にしわを寄せ、訝しむように。
 まるで、ギリッシュが、奇想天外(きそうてんがい)奇天烈(きてれつ)怪奇(かいき)なことを言っているような顔をしている。
 そのような非現実的なことを、よく大人が言えたものね……というように。
「あれ? ご存知ないのですか? だって、あなたは儀式で……」
 ギリッシュも怪訝に首をかしげる。
 儀式で選ばれたのなら、いくら信じがたい非現実的なことでも、その身をもって経験は一応しているのだから……。
「――それ、違うわ」
「え?」
 ふいっと視線をそらし、萌歌はぽつりとつぶやく。
 ギリッシュは、まじまじと萌歌を見つめてしまう。
 違う≠ニは、一体、どういうことだろうか。
 儀式でもない限り、このような異国の女性が、今この場にいるはずがないのに……。
 ギリッシュがそう首をかしげていると、再び萌歌の視線が戻された。
「わたしは、儀式で選ばれたのじゃない。この国へ旅行へきて、そして、このお城のお庭を見学している時に……」
 まるで思い出すのもいまいましいとばかりに、萌歌はあきらかな不機嫌の色をのぞかせる。
 ――そう。思えば、あれがはじまりだった。現在の萌歌のこの不運な状況は。
 あの時、あの神官に声をかけられさえしなければ、あの時、あの神官に誘われるがまま神殿へいかなければ……。
 そう後悔したところですべてが遅いとわかっているけれど、だけど、後悔せずにはいられない。
 このように、会ったばかりの王子の妃になれとか言われたり、足を撃たれて歩けなくされたりなどならなかったはず。
 あの時、何がなんでも逃げ出しておけば……。
「ちょ、ちょっと待ってください。それは、どういう――」
「はい。そこまでです」
 慌てて、そう言いながら、ギリッシュが萌歌へと一歩踏み出した時だった。
 いきなりぐいっと肩をつかまれ、引き戻された。
 驚いて、ばっと振り返ると……そこには、世にも恐ろしい神官の顔が。
 瞬間、さあっと血の気が引いていく。
「ギリッシュ。誰が許可しましたか。許可なく、萌歌さんに会うことは許しませんよ」
「ラ、ランバートさま!?」
 ランバートに肩をつかまれたまま、ギリッシュはおたおたとしはじめる。
 たしかに、許可なく萌歌に会いにきたけれど……。
 だけど、萌歌に会うのに許可が必要などとは聞いていなかった。
 そもそも、誰に許可をとればいいというのだろうか。
 ……いや。そういうことではなく。今は、そういうことではなくて……問題は、今しがた、萌歌の口から告げられた、それ。
 儀式で選ばれたのじゃないとは、一体、どういうことか!?
 儀式で選ばれたのでなければ、萌歌はフィガロットの妃にはなれない。
 いやいや。そうではなく、それはつまりは、フィガロットとランバートは、知っていて、掟をやぶったということにならないだろうか。
 そして、それに、萌歌も巻き込まれてしまっている。このような怪我まで負わされて。
 掟を、しきたりを破るなど、許されない。
「ほら、あなたはさっさと自分の仕事へ戻りなさい」
 明らかな驚きと動揺の色を見せるギリッシュなど早々に無視して、ランバートは冷たくそう言い放つ。
 つかんでいた肩を、そのままぐいっと扉へと押しやる。
 それに、多少身じろぎするように抵抗しながら、ギリッシュは懸命に食い下がる。
「し、しかし、ランバートさま! 儀式で選ばれたのではないとは――!?」
 肩をつかむ手をふりほどき、がばっとランバートへと詰め寄る。
 すると、ランバートは、妙に冷たい目で、ギリッシュを見下ろした。
「いいから、あなたは戻りなさい。余計な詮索は許しませんよ」
 そして、胸をどんとおされ、ギリッシュはそのまま廊下へと突き出されてしまった。
 ふと顔を上げると、目の前では、恐ろしい目をしたランバートが、ギリッシュをにらみつけていた。
 逆らえば、この場で、その命を奪われかねない、そのような恐ろしい目をしている。
 身を縮ませ、ギリッシュは渋々後退していく。
「……うっ。は、はい……」
 そして、ぺこりと一礼し、そのまま逃げるように廊下の向こうへと走り去っていく。
 ランバートは、暗い廊下の向こうへ消えるギリッシュを見送っていた。
 それから、その姿がなくなったことを確認すると、扉をぱたんと閉め、萌歌へと振り返る。
 ゆっくりと、一歩一歩、窓辺の萌歌へと歩み寄っていく。


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update:07/06/06