恋するマリオネット
(27)

 どうやら、予想以上に、萌歌を傷つけてしまったらしい。
 思っていた以上に、この女性は、人の痛みを、自分の痛みにしてしまえるよう。
 このような萌歌にとっては過酷な状況下にあっても。ある意味敵にも等しい者を相手にも。
 きっと、この女性は、大切に慈しまれ、守られ、育ってきたのだろう。
 この国の王子とは違い、幸せに満ち足りた生活を送っていたのだろう。
 すさんでしまった心では、無条件に、ここまで人を思いやることなどできない。
 きっと、この女性が育った国は、そういう意味でも、平和な国なのだろう。
 もちろん、この国も、外から見れば、とても平和でおだやかな国。
 けれど実情は、一人の人間を犠牲にした上で、その平和はなりたっている。
 この国の深部は、くさっている。うみがたまっている。
 それをどうにかしたいと、ランバートは願っている。
 ……あの王子のためにも。
 どうにもならないことがあるけれど、それ以外なら、改善の道はあるだろう。
 そう。あのことだけは、どうにもならない。
 そして、それをどうにかすることは、王子も望んではいないだろう。
 この国の王子とは、そういう王子だから。
「だから、そのような次の王が、唯一ゆずれないというその願い、わたしはかなえてさしあげたいのです。何も望めないその生き方の中、唯一願う、そのことを……。そのためなら、どのような犠牲も、厭わない」
 ランバートは、抱き寄せる萌歌の頬に再び触れ、すいっとそこを伝う涙をぬぐう。
 妙に艶かしい視線を送りながら。
 そのランバートの様子に、萌歌の体は、大きく反応した。
 ふいっと視線をそらし、悔しそうに唇をかみしめる。
 頬は、明らかに赤みをさしている。
「し、知らないっ!」
 そらした顔を再び戻してきて、萌歌は静かにささやく。
 やはり、気づかれてしまった。
 少しの言葉も逃さず、理解されてしまう。
 そういう女性ならば、なおのこと欲しい。王子の妃として。
「……逃がしませんよ。あなたは、フィガロットさまのためにいるのですから」
 瞬間、がくがくと萌歌の体は震えはじめた。
 見つめるその目が、萌歌にはあまりにも恐ろしかったから。
 その言葉は、間違いなく、真実。
 この男なら、恐らく……。
 この目を見れば、わかる。
 この男が、本気だということくらい。
 とても、真剣で、そして、冷たい。
 何をそこまで、思いつめているのだろう。
 ……これまでの話で、この国の王族の実情は、萌歌にもなんとなくはわかるけれど……だけど、それだけで、ここまで恐ろしくなれるものだろうか?
 何をそこまで、厭うている?
 あまりにも恐ろしすぎて、ランバートからすいっと視線をそらした時だった。
「ランバート。あまり萌歌を脅すな」
 萌歌の頭上から、非難するような、呆れたような、そのような声が降ってきた。
 萌歌はびくりと体を震わせ、見上げると、そこには、庭の外でにこやかに微笑んでいたはずの王子の姿があった。
 どうやら、ようやく、ご令嬢たちから解放されたらしい。
「フィガロットさま……」
 ランバートは、困ったように眉尻を下げ、すっと萌歌を解放していく。
 萌歌は、変わらず床にしゃがみこみ、小刻みに震えている。
 それに気づき、フィガロットは大きく息をはきだした。
 ついっとランバートの肩をおし、萌歌の正面へとまわりこむ。
 そして、ふわりと両頬をつつむ。
「萌歌も、気にするな。俺が好ましくないならそれでかまわない。だけど、俺は萌歌を諦める気はない」
 頬を伝う涙をくいっとぬぐい、にっこりと微笑む。
 ちらっと視線をフィガロットへ向け、萌歌はむうっと頬をふくらませる。
「……それ、結局、脅しているじゃない」
 そして、そのような憎まれ口をたたく。
 どうやら、存外、大丈夫らしい。
 思いのほか、この女性は、強いのかもしれない。
 その体は、まだ小刻みに震えたままだけれど。
 その震えがどこからきているのかも、フィガロットにはわかる。
 わかっているから、気の毒になる。
 だけど、同時に、愛しさも増していく。
 萌歌が今震えているのは、フィガロットを恐れてではなく、フィガロットが置かれた状況を恐れて……。
 そうわかってしまうから。
「そうか? そうとってくれるなら、それはそれでありがたい」
 萌歌をすっと抱き寄せ、フィガロットはにっこりと微笑む。
 伝わる震えが、ぬくもりが、たしかにこの女性を今腕の中に抱いているのだと確信させる。
 ……不謹慎にも。
「もう、本当に何よ、ここの人たち。強引きわまりないわ」
 もぞもぞと腕の中で抗いながら、萌歌は不機嫌にそう言っていた。
 フィガロットは、ふにゃりと頬をゆるめる。
 そして、きっと顔をひきしめ、少しだけ萌歌を抱く腕の力をゆるめて、目と目を合わせる。
「……大丈夫だ。何かあった時、命を落とすのは、王……そう、俺だけだから。萌歌は大丈夫だよ」
「……」
 じっと真剣に見つめ語りかけるフィガロットに、萌歌は何も言えなかった。
 悲しそうに、複雑そうに、フィガロットをただ見つめるだけ。
 その萌歌の額に、フィガロットは、こつんと自らの額をうちつける。
 すると、きょとんと目を見開き、萌歌はそっとそこに手を触れていた。
 その仕草が、フィガロットの目には、たまらなく愛しく映る。
「それはそうと、フィガロットさま。こちらはどうします?」
 すぐ横でがさりと小さな音を鳴らせ、ランバートがそのようにフィガロットに問いかけた。
 せっかくいいムードに仕立て上げていたのに、この男は邪魔しやがって、というフィガロットの厳しいにらみがランバートへ入る。
 しかし、さすがは、ランバート。そのような視線もさらっと蹴散らし、ひょうひょうとそこに立っている。
 先ほど、マリエルから、フィガロットの妃≠ヨと手渡された花束をぞんざいに持って。
「ああ。処分しておいてくれ」
 渋々萌歌を解放しながら、フィガロットはゆっくりと立ち上がる。
 同時に、萌歌の手をひき、ともに立ち上がらせながら。
「はい」
 くんと花の香りを少しかぎ、冷めた眼差しでランバートは答える。
 そのあっさりとした二人のやりとりに、萌歌は不思議そうに首をかしげる。
「あ、あの、いいの? それ、もらったものじゃあ……」
 手は握られたまま、そして肩をそっと抱き寄せられたそのままで、萌歌はフィガロットとランバートを交互に見る。
 フィガロットが、にくらしげにはき捨てる。
「いいんだよ。こんなもの」
「……毒針が仕込んであるのですよ」
 それに続け、ランバートはにこりと微笑み、さらっとそのようなとんでもないことを告げた。
「え!?」
 その言葉を聞いた瞬間、萌歌はぎょっと目を見開いていた。
 同時に、さあっと顔から血の気が引いていく。
 さらっと告げられた、そのあまりにもとんでもないことに。
 毒針とは……これはまた、平和でない。
「まあ、さすがに未来の王妃の命を奪うようなことはしないですけれど……。自分たちのためにも。――かなり苦しみますよ? 吐き気としびれと、それから……」
 楽しそうに、そう語り出すランバートに、萌歌は、フィガロットの腕の中、がっくりと肩を落とした。
 それよりも、その言葉から、もしかしなくても、この花束は、萌歌へと託されたもの……?
 言葉がわからなかったから、てっきり、フィガロットへ贈られたものだと思っていたのに。
「もう、いい……」
 そう、けろりと楽しそうに言われると、その恐ろしいことですら、たわいなく感じてしまえて、萌歌の体から力が抜ける。
 どうして、ここの人たちは、こんなに恐ろしいことを、そうけろりと言ったりしたりできるのだろうか。
 ……萌歌を監禁したり、銃で撃ったりできる程度に。
 一人の命を犠牲にして、この国を守ったり……。
 何よりも恐ろしいことは、その強すぎる思い、願いかもしれない。
 願いのためならば、どのような犠牲も厭わないと言えてしまえる、その強い意志。


 色とりどりの花々が咲くその庭園を、慌てたように追いかける男たちを振り切り、マリエルは一人歩いていく。
 マリエルが歩いた後には、乱暴に蹴散らされた花たちが、悲しそうに散らばっている。
 先ほど、会話をしていた王子は、マリエルがとめるのも聞かず、どこかへかけていってしまった。
 これほどおもしろくなく、そして屈辱的なことはない。
 庭園を抜け、この庭の入り口にもなっているアーチへとさしかかった時だった。
 その向こうから、すっと、一人の男が姿を現した。
「マリエル嬢」
「何よ!? 何か用!?」
 姿を現し、そしてそのように声をかけた男を、マリエルはぎろりとにらみつける。
 ただでさえ不愉快だというのに、このようなところで、身分卑しい者に声をかけられるなど、これほど腹立たしいものはあるだろうか。
 アーチの向こうに立つ男をおしのけるように、マリエルはその横を通り過ぎようとする。
 答えたものの、男の言葉を聞く気など、さらさらない。
「ええ。あなたに、あなただけに、大切なお話が……」
 神妙に顔をくもらせ、ぼそりとささやかれる。
 マリエルは、ぴたりと、足をとめた。
 そして、訝しげに、ゆっくりと男へ視線を移していく。
「つまらないことだったら、許さないわよ」
 そっと、男へと顔を寄せていく。
 まるで、それは、まわりをはばかるように、寄せられている。
「間違いなく、気に入っていただけると思いますよ」
 寄せたマリエルの顔のすぐ前で、男は意味深長ににやりと微笑む。
 マリエルは、不審げに男をにらみつける。
 その男は、この国でも数少ない、薬師を生業とする男だった。


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update:07/08/29