恋するマリオネット
(29)

「……ごめん」
「え?」
 萌歌のそのつぶやきに、それまでおかしそうに笑っていたフィガロットの顔から、ふと笑みが消えた。
 じっと、萌歌を見つめる。
「これ、きっと、わたしのせいでしょう? あの毒針入りの花束で気づいていたわ」
 フィガロットの手に触れる両手を、萌歌はすいっとはなしていく。
 そして、くるりと背をむけ、そのままじっと庭園を見つめる。
 そこでは、萌歌を気に入った七色蝶がいくらか、ふわふわと微風に浮いていた。
 フィガロットは、目を見開き、驚きをあらわにする。
 まさか、萌歌に気づかれてしまっているなど、思っていなかったらしい。
 背を向ける萌歌の肩に、手をおく。
 そのまま、ぐいっとまわし、もう一度、萌歌をフィガロットに向き合わせる。
「いや。俺こそすまない。……ちゃんと守るから」
 苦しそうに顔をゆがめ、フィガロットがそう告げる。
 すると、また、萌歌の視線が、ふいっとそらされる。
 今度は、庭ではなく、じっと床の一点を見つめている。
 そのような怪我をするまで、フィガロットは……。
 そして、さらに萌歌を守ろうと……?
 そう思うと、萌歌の胸がつぶれそうなほど痛む。
「……守らなくていい」
「え……?」
「守らなくていいから、わたしを日本へ帰して。そして、あなたは、儀式をして、本当のお相手を選んで!」
 そらしていた顔をがばっとフィガロットへ向け、萌歌は訴えるように叫ぶ。
「ちょ……っ。待って! 俺は、萌歌でなければ……!」
 フィガロットは、萌歌の肩を抱く両手に、ぐっと力をこめる。
 同時に、萌歌の顔が、痛みにゆがむ。
「だから、それがどうして? どうしてわたしなの? わからないのよ!」
「はじめは、一目ぼれ。だけど、萌歌を知るたびに、思いがあふれて……」
 非難するように見つめ叫ぶ萌歌を、フィガロットはぐいっと抱きしめていた。
 胸に強く抱き、苦しそうに、訴えるように叫ぶ。
 こんなに思っているのに、どうして萌歌はわかってくれないのかと。どうしてうまく伝わらないのかと。
 たしかに、フィガロットは、強引なやり方で萌歌をこの城にとどめている。
 だけど、抱く思いは、本物。
 決して、冗談やふざけてなどでなく……。
 そのような軽い思いで、このようなことができるはずがない。
 もう一週間以上もともに過ごしているのだから、少しくらい、理解してくれてもいいのに……。
 少しくらい、警戒心を解いて、ありのままのフィガロットを見てくれてもいいのに……。
 どうして、こんなにうまくいかないのだろう。
 そのような思いがあふれだしてきて、フィガロットは苦しげに顔をゆがめる。
「そんなわけないじゃない。わたしたち、あまり話したこともないのよ? それに、わたしは、あなたを好きじゃない。だから、好きじゃない人とは結婚できない」
 フィガロットの胸をぐいっと押し、萌歌が抵抗を試みる。
 そのようなことを力いっぱい叫びながら。
 瞬間、フィガロットの中で、何かが壊れたような気がした。
 頭の中が真っ白になる。
 これほど求めた女性ははじめてなのに、その女性に、ここまで嫌われてしまっているのかと悟り。
 今にも泣き出してしまいそうなほど顔をゆがめ、萌歌を見つめる。
「どうしても……無理なのか? どうしても、萌歌は俺を好きになることはないのか?」
 少しだけ力をゆるめ、少しだけはなされた萌歌の顔を、フィガロットはじっと見つめる。
 まるで、その瞳の奥に隠された本当の思いを探るように。
 まっすぐで力強く、切実なその瞳に、萌歌は一瞬、たじろいでしまった。
 だけど、自らを奮い立たせる。
 フィガロットを、きっとにらみつける。
「このようなことをされて、好きになれるはずがないじゃない!」
 萌歌は、責めるように、きっぱりと言い切る。
「こんなに愛しているのに……?」
 しかし、フィガロットは、震える声で、そう食い下がる。
 それが、萌歌には、苦しく、わずらわしく思えてしまった。
 愛しているといえば、どのようなことでも許されると、この王子は言いたいのだろうか。
 愛しているからといって、何をしてもいいわけではない。
 求められれば求められるほど、怖くなる。
 そもそも、その愛≠ニやらが、萌歌は信じられない。
 いきなり目の前に現れて、「僕の未来の王妃さま」と、そう軽いのりで言われたって……。
 考えれば考えるほど、悲しくなってくる。
 萌歌は、フィガロットをにらみつけ、叫ぶ。
「それが信じられない。このようなことをしておいて、何が愛しているよ!」
 瞬間、フィガロットの顔が、恐ろしくゆがむ。
 同時に、萌歌の顔をぐいっと引き寄せ、そこに自らのそれを重ねていた。
 強引に、乱暴に。
 重ねられたそこでは、萌歌の顔は、この上なく驚きの色を見せていた。
 そして、次には、右手で、思い切りその頬をたたいていた。
 ばちんという乾いた音が、誰もいない、二人だけの廊下に響き渡る。
 窓の外の庭では、かわらず、七色蝶が優雅に舞っている。
 頬がたたかれると同時に、それにはじかれるように、フィガロットの腕も、萌歌を解放していた。
 にらみつけるその先では、左頬をおさえ、何かを言いたそうに、じっと萌歌を見つめるフィガロットがいた。
 それは、萌歌の目には、非難されているようにすら見えていた。
 どうして、そのような目で、萌歌が見られなければならないのだろうか。
 むしろ、そうして見る権利があるのは、萌歌の方なのに。
 今フィガロットの頬をぶったばかりのその右手を左手でぎゅっとにぎりしめ、にらみつける。
 右手が、萌歌の意思に反し、後悔するようにぶるぶると震えている。
 その目からは、忙しなく、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。
「萌歌は、俺のものだ。絶対に、手放したりなどしない」
 にらみつける萌歌に、フィガロットはまっすぐな眼差しを向け、静かにそう言いきった。
 そしてまた、その腕が、萌歌へとのびていく。
 それに気づき、とっさにその腕を振り払い、萌歌はそのまま走り出していた。
 この恐ろしい王子から、逃げるために。
 そう、狂おしいほど愛しそうに萌歌を見つめる、フィガロットのその目から逃れるように。
 どうして、そのような恐ろしい目で、萌歌を見つめるのだろうか。
 出会って、まだ一週間ほどしかたっていないというのに。
 もう、萌歌には、何をどうすればいいのか、わからなくなってしまった。
 そうして走り去る萌歌を、フィガロットは苦しそうに見つめていた。
 その姿が、もうずっと向こうの廊下へ消えようとする時、フィガロットは、横の壁をだんと打ちつけた。
「どうして……っ! どうしてこうなるんだ! ただ、愛しいだけなのに……っ!」
 壁にうちこまれた拳から、じわりと赤いものがにじみ出ている。
 萌歌に抱く、フィガロットの思いを語るように。
 どうすれば、あの女性は、フィガロットの方を向いてくれるのだろう?
 このようなことははじめてだから、どうすればいいのか、フィガロット自身にもわからない。
 ただ、フィガロットを見て欲しいだけなのに。
 そして、あの女性に、優しくしたいだけなのに。
 ともに、笑い合いたいだけなのに……。
 それが、これほど難しく、ままならないものだったなんて――


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update:07/09/16