恋するマリオネット
(31)

「歩きまわるのは自由だが、少しは自分の体を理解しろ」
 今萌歌を胸に抱くその男は、そう言って、非難の眼差しを注いでいる。
 萌歌は、何をするでもなく、ふらふらと、花が咲き乱れる庭園を散歩していた。
 部屋にいれば、いつ、フィガロットやランバートといった人たちがやってきて、萌歌に説教をはじめないともしれないから。
 いい加減、食事をしろと。
 食事をしたくたって、今の萌歌には、無理だというのに。
 食べたくても、このままでは萌歌自身も駄目だとわかっていても、体が食べ物を受けつけてくれない。
 今回は、自らの意志で、ハンガーストライキをしているわけではない。
 あの日から、フィガロットに乱暴なキスをされてから、何故だか、萌歌はほとんど何も食べられなくなってしまった。
 それほどまでに、あれは、萌歌にとって辛いことだったのだろうか?
 ……いや。そんなはずはない。
 たかがキス。それくらいで、食べられなくなるなんて、そんなことは……。
 ただ、心のどこかでは、信じていたのかもしれない。
 フィガロットは、決して、力ずくで、あのようなことはしないと。
 そして、勝手に信じていたそれを裏切られ、そこにひどく傷ついてしまっているのかもしれない。食べ物がのどを通らなくなるまで。
 ……そう。自分の勝手な思い込みで――
「……まったく。ジョルーの言うとおりだな。これでは、心配で何も手がつかない」
 その男はふうと吐息をもらし、今度は困ったように萌歌を見つめる。
 萌歌を抱くこの腕は、何故だか優しい。
 見つめるその目は、何故だかあたたかい。
 そして、感じるこの鼓動は、……心地いい。
 この男に、そのような感情を抱くなんて……。
 食べられなくなってしまうほどの衝撃を与えた、その男のはずなのに。
 どうして、萌歌は、素直にこの男の胸の中にいるのだろう。
 この男――フィガロットの胸の中に。
 さっきから、フィガロットはいろいろと話しかけるけれど、萌歌はそれに答えようとはしない。
 フィガロットの胸の中で、じっとうつむいたまま。
 どうすればいいのかわからなくて。何も言えなくて。
 今さら、何を言えるというのか……。
 同時に、今は、このゆらゆらゆれる胸の中で、静かに抱かれていたいとすら、萌歌はどこかで思っている。
 フィガロットは、萌歌にふと陰を落とす。
「……萌歌は……そんなに、俺を嫌っているのか?」
 淋しく、ささやくように、フィガロットは萌歌にそう告げた。
 それに、思わず、うつむけていた顔を萌歌はがばっと上げる。
 そして、何かを訴えるようにフィガロットを見つめる。
 だけど、やはり、何も言葉にすることができない。
 その様子に、フィガロットは、困ったように微笑みを落とすだけだった。
 強引かと思えば、今のように、やけに遠慮したところがあったり。乱暴かと思えば、ふと優しさを見せたり……。
 一体、この王子の本当は、どこにあるのだろう?
 キスをされた時は、その翌日の朝食の時は、萌歌は本当に、この王子が怖いと思った。恐怖に感じた。
 だけど、今萌歌を抱くこの腕は、そう感じない。
 どうして、この王子は、こんなにも、壊れそうに微笑むのだろう?
「まあ、いい。とにかく、もうむちゃはするな」
 じっと見つめる萌歌に、困ったように微笑み、フィガロットはそこで語りかけることをやめた。
 そのまま、何も話さぬまま、萌歌は与えられた部屋へと連れて行かれ、そっとベッドへと寝かされた。
 そこから見送ったフィガロットの背は、妙に淋しそうに見えた。
 知らぬ間に、萌歌の手が、唇にそっと触れる。


 真っ赤に染まった空の向こうへ、太陽が沈もうとしている。
 そして、反対側の空からは、欠けた月が昇ってきている。
 ヴィーダガーベに、夜がやってこようとしている。
 開けられた窓からは、ひらひらとカーテンをゆらし、さわさわと夜風がかすかに入り込んでくる。
 萌歌がこの国へやってきて、そしてこの城に閉じ込められてから、そろそろひと月近くたとうとしている。
 この一週間ほどは、萌歌はほとんど何も口にしていない。
 時折、ランバートに、むりやりジュースやらの飲み物類を飲まされていたくらいで。
 そして、今朝、またあの薬を飲まされた。
 飲むと、言葉を理解することができるという、あの不思議な薬を。
 勢いよく、萌歌の部屋の扉が開け放たれた。
 それと同時に、乱暴にフィガロットが入ってくる。
 その顔からは色が失われ、苦痛にゆがめられている。
 肩から垂れるその不思議な色を放つ薄布が、妙に印象的にさらさらと流れている。
「萌歌……!!」
 そう叫ぶと同時に、開け放った扉をそのままに、フィガロットはずかずかとベッドへと駆け寄る。
 その後に入ってきたジョルーも、顔を青くし、不安げにベッドへと視線を移す。
 開け放たれた扉をゆっくりとしめ、フィガロットの後へとつづく。
 フィガロットが駆け寄ったそのベッドでは、萌歌が寝息をたてていた。
「フィガロットさま……」
 そして、その横には、どこかうかない顔のランバートが立っている。
「それで、どうなのだ? 萌歌の容態は……!」
 フィガロットはぐいっとランバートをおしのけ、かぶりつくようにベッドをのぞきこむ。
 顔色はよくないけれど、存外、ゆるやかな寝息を立てる萌歌を見て、ほうっと胸をなでおろす。
 先ほど、ジョルーに萌歌が倒れたと知らせをうけ、フィガロットはこうして飛んできた。
 いつかはそうなるだろうと思っていたけれど、実際にそうなってみると、生きた心地がしない。
 こうなるとわかっていたのに、どうしてむりやり食事をとらせなかったのか……。
 それを、フィガロットは今では少し後悔する。
 しかし、むりやり食事をとらせようとした時の、あの萌歌の怯えようを思い出すと……やはり、それもかなわない。
 胸が壊れそうに痛む。
「は、はい。今は落ち着かれていますが……やはり、体力的にも精神的にも、もう限界にきているかと……」
 おろおろとした様子で、ギリッシュが答える。
 どうやら、先ほどまでいた宮廷医とともに、ギリッシュは萌歌を看ていたらしい。
 とりあえず、これでも、この城に仕える薬師だから。
 薬師といっても、医者の免許も薬剤師の資格もあるわけではない。
 古くからこの国に伝わる、呪師(まじないし)と同じようなもの。
 言葉がわかるあの薬などの、普通では考えられない不気味な薬の調合を主な仕事としている。
 たとえば、毒薬とか媚薬などといった……禍々しいものも時には調合する。
 王族や重臣たちの密命を受けて。
「体力的にも、精神的にも……?」
 ギリッシュのその言葉に、フィガロットは隠すことなく怪訝に顔をゆがめる。
 そして、すっとそこにひざまずく。
 もっと近くで、萌歌の寝顔を見られるように。
 そっと、その色の悪い頬に触れる。
 触れた頬は、わずかなぬくもりがあるだけ。


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update:07/10/01