恋するマリオネット
(32)

「いきなり何もわからないところへ連れてこられて、相当、精神的に無理をされていたと思われます。いつかはこうなるとは思っていましたが、思いのほか、早く……」
 胸の前で両手を握り合わせ、言いにくそうにギリッシュはそう告げる。
 それは、本当のことだけれど、口に出すにははばかられること。
 何も知らない異国の女性を、この国の掟だからといって、この城にしばりつけておくなど、やはり誉められたことではない。
 どんなに、この女性の心を傷つけて、苦しめていることか……。
 それは、想像に易い。
 仮に自分の立場に置き換えたなら、辛くて狂いそうになる。
 ――そう思うと、歴代の王の伴侶に選ばれた者たちは、どれほどその心が強かったことか。
 萌歌のように、すべてを拒絶する者もいれば、寛容にその王を受け入れる者もいた。
 まあ、しかし、前者はほとんどない。
 何しろ、選ばれたのは、この国の者が大半だから、儀式のことはすぐに理解できる。
 何より、王族の伴侶に選ばれるなど、夢のよう。
 だから、選ばれれば、名誉となる。誇れる。
 しかし、このように遠くはなれた国からでは、壊れてしまって当たり前だろう。
「それは……」
 萌歌の頬にふれるフィガロットの手に、きゅっと力がこもる。
 その様子を、ランバートは辛そうに見下ろしている。
「フィガロットさま……」
 さすがに、これでは、ランバートでもどう声をかければよいかわからない。
 ランバートですらも、この婚姻は、無理があるものだと重々承知していたことだから。
 それでも、フィガロットが望むならと、強引に事をすすめてきた。
 いつかは、心を開き、うちとけてくれるだろうと、そう信じて。
 しかし、待ち受けていた結末は、これだった。
 萌歌が体調をくずしてしまった。
 これでは、本末転倒。
「ここ数日、何も食べられない状態が続いていたようです。そこまで、萌歌さんを追い詰めていたということでしょう……」
 うちひしがれたように見えるフィガロットの肩に、ランバートはそっと手を触れる。
 すると、小刻みに震えていることに気づいた。
 ランバートの顔が、ぎりっとゆがむ。
「お食事さえも口にできないほど、この出来事は、萌歌さまにとっては耐えられないものだったのですね……」
 すぐ後ろに控えていたギリッシュが、ぽつりとそうつぶやいた。
 瞬間、フィガロットの体が、大きくゆれる。
 同時に、それにはじかれるように、ふと萌歌が身じろぎした。
 そして、おろされていたそのまぶたが、ゆっくりともちあげられてくる。
 それに気づき、フィガロットは触れていた萌歌の頬から、さっと手をどける。
 ふわりと、萌歌の目が開かれた。
 ぼんやりと辺りを見まわし、ぴたりとフィガロットに視線をとめる。
「萌歌、目を覚ましたか」
 そう微笑むフィガロットを、萌歌は不思議そうに見つめている。
 どうやら、まだ、覚醒しきれていないらしい。
 だって、目覚めている時の萌歌は、そのようにフィガロットを見たりはしないだろうから。……もう。
 フィガロットは、ベッドからわずかにのぞく萌歌の手をすっととり、両手でふわりと包み込む。
「このままでいいから、聞いてくれ」
「え……?」
 萌歌の手をきゅっとにぎりしめ、フィガロットは苦く微笑む。
 萌歌は、何がなんだかわからず、ただじっとフィガロットを見つめている。
 一体、何がどのようになって、このようになっているのか、わからないのだろう。
 萌歌をかこむようにして、フィガロット、ランバート、ジョルー、ギリッシュがそこにいるのだから。
 しかも、萌歌は、ベッドに寝かされている。
 妙に体が重たく、起き上がることもままならない状態で。
「気づいているのだろう? 萌歌の体力は、もう限界にきている。このままここにいても、悪化するだけだろう」
 フィガロットのその言葉に、萌歌は意図が理解できず、怪訝に眉をひそめる。
 しかし、フィガロットはかまわず、続けていく。
 にぎる手に、さらに力がこもる。
「萌歌の望みは何だ?」
「……え?」
 ふいのその問いかけに、萌歌は目を見開いた。
 そして、じっとフィガロットを見つめる。
 見つめたその目は、強く熱く、そして激しく萌歌を見つめている。
 ゆらぐことのない情熱すら感じられる。
 思わず、萌歌はすいっと視線をそらした。
「……帰りたい。自分の国へ帰りたい。こんなところは、もう嫌……」
 萌歌は顔をまくらにうずめるようにフィガロットからそらし、そう苦しげにはきだした。
 瞬間、悲痛にフィガロットの顔がゆがむ。
 だけど、すぐに、きゅっと唇をひき結び、こくんとうなずいた。
 まるで、何かをのみこむように。決意するように。
 その言葉が発せられることを、はじめからわかっていたように。
「では、萌歌の望むように……」
 静かに、そう告げる。
「フィ、フィガロットさま!?」
 瞬間、そこにいた三人の男たちは、当たり前のようにうろたえる。
 ジョルーなどは、がばっとフィガロットにつめ寄っていた。
「フィガロットさま、正気ですか!? 花嫁を帰すなど……!!」
 そのようなジョルーに、フィガロットの厳しい眼差しが向けられる。
 まるで、苦しみすべてをぶちまけるように、はきだされる。
「仕方がないだろう? このまま引きとめておけば、萌歌は弱る一方だ……!」
 ふいっと顔をそらし、フィガロットは、萌歌の手をにぎる両手を、すいっとはなす。
 そして、だんと床をうちつけた。
「一度、国へ帰し、落ち着かせよう……」
 まるで、それまでの剣幕が嘘のように、力なく、フィガロットはそうつぶやく。
 その様子に、ジョルーは、それ以上、何かを言うことができなかった。
 ゆらりと、一歩、二歩と、後退していく。
 ふと、フィガロットの手が、今度は萌歌の頬に触れた。
 そうかと思うと、その顔も萌歌へと近づき、そっと額に口づけを落とした。
 いきなりのその行動に、萌歌は目を見開き、フィガロットを見つめる。
「え……?」
 そして、小さく、そう声がもらされた。
 じっと萌歌を見つめるフィガロットのその目から、つうと、一筋、涙が伝い落ちていたから。
 それに萌歌が驚いていると、すっと立ち上がり、フィガロットはそのまま部屋を出て行ってしまった。
 その後を、はっと我に返ったジョルーが、慌てて追いかける。
 その様子を、ランバートは、妙に冷たい目で見つめていた。
 横では、ギリッシュが、あたふたと慌てふためいている。
 あまりにも急なこの展開に、ついていけていないらしい。
 何しろ、あれほど強く求めていた萌歌を、フィガロットは、こうもあっさり、解放するというのだから。国へ帰すというのだから。
 それは、ギリッシュでなくても、信じがたいものがある。
「……まったく、あの方は。――行くぞ。ギリッシュ」
 そうつぶやいて、ランバートも、くるりと踵を返した。
 すると、ギリッシュは、また余計に慌てて、こくんとうなずく。
 ふと、ランバートの視線が、萌歌に落とされた。
 それに、萌歌も気づき、思わず、きっとにらみ返していた。
「これで、満足ですか?」
 そう冷たく言いおき、ランバートも、すべるようにこの部屋から出て行った。
 ギリッシュが、慌ててその後を追う。
 ベッドの上で、萌歌はただ、ぶるぶるとふるえるしかできなかった。
 ランバートのその目は、あまりにも冷たく、恐ろしかったから。
 そして、何故だか、このような事態に胸を痛めているようだから。
 先ほどのフィガロットの顔が、萌歌の脳裏にやきついて、はなれない。
 あのような顔をさせるつもりなど、まったくなかったのに……。
 得たいの知れない罪悪感が、萌歌の胸へ、怒濤のように押し寄せる。
 どうして、このようなことになっているのだろう?


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update:07/10/10