恋するマリオネット
(33)

 翌朝。
 早くから、スコールに見舞われている。
 窓に、乱暴に雨がうちつけてくる。
 その窓を背に、萌歌はソファーに座らされていた。
 昨夜からうたれていた点滴のおかげで、とりあえず、体を起こす程度はできるようになっている。
 ソファーに座る萌歌の前に、その女性が現れた。
 黒髪黒瞳の女性。
 その容姿は、萌歌の国の人間に近いものがある。
 ……いや、その女性を、萌歌は知っている。
「おひさしぶりです、萌歌さん。ひと月ぶりでしょうか?」
 にっこり微笑み、萌歌の前に現れた女性は、そう言った。
 たしかに、萌歌がこの女性に会うのは、それくらいぶりだろう。
 今萌歌の前にいるのは、フィガロットが萌歌の前に現れる直前まで、真央子とともにいたその女性。
 日本人が極めて少ないこの国で、運のいいことに、萌歌たちがあたった日本人ガイドの小紅。
 萌歌は、目の前に立つ小紅を、すっと見上げる。
 一体、どうして、小紅がここにいるのだろうかと、首をかしげながら。
 その口は、間抜けに、ぽかんとあけられている。
 まるで要領を得ていないような萌歌の様子に、小紅は小さく肩をすくめる。
「お迎えに上がったのですよ。あなたは、これから日本へ帰るのです」
 それが告げられた瞬間、萌歌の口はさらに大きくひらいた。
 予想もしていなかったというように、ひらかれている。
 昨夜、ベッドの中でそれが告げられていたはずだろうに、萌歌の中では、理解できていなかったらしい。
 最後に見た、あのフィガロットの涙が忘れられず。
 それに、思考すべてが奪われて。
 驚く萌歌の前に、小紅はすっと両膝をつく。
 そして、膝の上におかれた萌歌の両手を、自らのそれでそっと包み込む。
「わたしは、日頃より、王子方と親しくさせていただいております。ご安心ください。責任をもって、お宅までお送りいたします」
 小紅は、きゅっと萌歌の両手をにぎりしめ、にっこりと微笑む。
 萌歌は、相変わらず、狐につままれたかのように、ぽかんと小紅を見つめている。
「え? でも、あの時は……」
 寄せられた小紅の顔の前で、萌歌は思わずぽつりとつぶやいていた。
 日頃より親しくというわりには、ランバートとはじめて会った時、小紅は彼が最高神官であることを知らないようだった。
 親しくしている者が、よもや、知らないはずなどないだろうに……。
 これでは、辻褄が合わない。
 難しい顔をする萌歌に、小紅は申し訳なさそうに肩をすくめる。
「知らないふりをするよう、ランバートさまに脅さ……頼まれていましたので。ごめんなさい」
 そして、萌歌にしか聞こえないように、耳打つように、こっそりとそう言った。
 瞬間、悲しいことに、萌歌はすべてを理解できてしまったように思えた。
 つまりは、あの出会いからして仕組まれたことだった、というのだろう。
 たしかに、仕組まれていなければ、あのような出会いができるはずがない。
 一体、いつからそう仕向けられていたのか……。
 向こうの方で無表情にこちらを見つめてくるあの神官が、やはり憎らしい。
 萌歌は、ちらりとランバートへ視線を向け、だけど、慌てて戻してくる。
 すると、横に控えていたギリッシュが、すっと腰をかがめ、小紅の横から耳打つように萌歌に告げた。
「あなたをお送りするために、フィガロットさまが要請されたのです。この方は、あなたと同じ日本人ですから、安心してください」
 ギリッシュは、どこか複雑そうに、にこりと微笑む。
 どうやら、ギリッシュは、萌歌と小紅がすでに顔見知りだとは知らないらしい。
「じゃあ、わたしは……帰れるの?」
 不安げに、だけど希望をにじませ、萌歌はギリッシュを見つめる。
 すると、ギリッシュは、にっこり微笑み、こくりとうなずいた。
 瞬間、それまで強張っていた萌歌の体から、すうっと力が抜けていく。
 安堵したようにわずかな笑みを浮かべる。
「帰れる……。帰れるんだ……」
 そうしている間に、その目から、ぽろぽろと涙がこぼれはじめた。
 小紅とギリッシュは、苦笑いを浮かべる。
 その様子を見ていたランバートとジョルーは、ぎりっと奥歯をかみしめた。
 ランバートにいたっては、とても冷たい、凍えるような視線を、じっと萌歌へ向けている。
 その二人に隠れるようにして、椅子に腰かけるフィガロットは、ここへやってきてから、まだ一度も萌歌を見ていない。
 ただ、じっと、床をにらみつけている。
 そのような三人に気づき、小紅は不安げに声をかけた。
「それにしても、本当によろしいのですか? フィガロット王子。こちらの国のことは、わたしも承知しているつもりなのですが……」
 それは、確認するように問われている。
 本当に、このまま萌歌を帰国させて、後悔しないのか?と。
 そのようなもの、すると決まりきっているのに、それでも確認せずにはいられないよう。
 フィガロットは、ゆっくりと顔をあげてきた。
 すっと、萌歌へと視線を向ける。
 ここへやってきて、ようやく、フィガロットは、その目に萌歌を入れた。
 見てしまうと、決心がゆるむような気がして、見ることができないでいた。
 だけど、ゆるんだところで、一度決めたこと、そして、何より萌歌のため、ここは何がなんでもこらえなければならない。
「かまわない。……今は、何よりも、萌歌の体が大切だ」
 フィガロットは、そう考えるから。
「そう……ですか……」
 困ったように、小紅が相槌をうつ。
 すっと、また、フィガロットの視線がそらされる。
 喜びを浮かべていた萌歌の表情が、ふとくもる。
 どことなく申し訳なさそうに、フィガロットを見つめる。
 本当は、これがあるべきかたちのはずなのに、どこかためらわれてならない。
 萌歌が、きゅっと唇をかむ。
 その横で、ギリッシュが、小紅にそっと耳打ちをしていた。
「後でお話がありますので。別室へ……」
「え?」
 小紅は、きょとんとギリッシュを見て、そして、ランバートとジョルーへも視線を向ける。
 すると、そこでは、まっすぐに小紅を見つめる二人がいた。
 それに、小紅は、ふと何かを考え込んでしまった。


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update:07/10/16