恋するマリオネット
(34)

 ヴィーダガーベ国際空港。
 首都にあり、この国唯一の国際空港となっている。
 空は、今朝のスコールが嘘のように、青く晴れ渡っている。
 その空港から、週に一度、日本への直行便が就航されている。
 そして、滑走路を見渡すことができる搭乗待合所に、萌歌たちはいた。
 どうやら、一般の立ち入りを禁じてはいないようで、まわりには人の姿も見える。
 観光シーズンからはもうはずれてしまっているので、その頃のように人であふれかえってはいない。
 萌歌がこの国へ来た時は、人であふれかえっていた。
 ひと月で、こうも有様を変える空港も、珍しく感じる。
 だけど、それが、この国の特徴を顕著にあらわしているようにも思える。
 それでも、警護が難しい程度には、人がいる。
 この国の人々は……王族は、危機感というものがないのだろうか?
 このような開け放たれたところに、容易く王子をつれてきているのだから。
「では、そろそろお時間ですので、参りましょうか」
 滑走路を見つめていた萌歌に、小紅がそう声をかけた。
「え……? あ、はい」
 萌歌は、小紅がさしだすその手に、そっと手をかさねる。
 さすがに、まだ一人で歩くことはままならないよう。
 体がふらふらしている。
 しかし、それをおしてでも帰らないと、このチャンス、もう二度と巡ってはこないだろう。
 巡ってきても、一週間も先。
「心配はいりませんよ。あなたの立場は理解しているつもりです」
 小紅はそっと耳打ちし、萌歌ににっこりと微笑みかける。
 一体、何をどう理解しているのかわからないけれど、とりあえず今は、萌歌は小紅を信じて頼る他ない。
 昨夜から今朝にかけて、状況は一八〇度変わってしまい、萌歌にはもうついていけなくなりつつあるから。
「あ、そうそう。こっそり、楽しいことを教えてさしあげます」
 強化ガラスにそっとふれ、耳打つように小紅がそのようなことを萌歌に言った。
 萌歌は、思わず、がばりと振り向き、小紅を見つめる。
 すると、小紅はちらりと萌歌に視線を向け、それで、窓の外の景色を見ているふりをしていてくださいと、そう告げる。
 萌歌は、素直に、またくるりと首を戻し、窓の外へと視線を移す。
 だけど、耳は、しっかり小紅へかたむけている。
「……わたし、ランバートさまをお慕いしているのです」
 窓の外を見つめたまま、さらりと小紅がそう告げた。
 思わず、萌歌はすっとんきょうな声をあげそうになったけれど、それはすんでのところでこらえた。
 よりにもよって、今このような時に、言うにことかいて、そのようなことを……。
 小紅へと向きたい向きたいと騒ぐ首をなだめ、萌歌は必死に顔を外へと向ける。
 ちょうど、見慣れぬ飛行機が一機、着陸してきた。
「くすくす。やはり、驚きました?」
 萌歌が見るその同じ飛行機を小紅も眺めながら、どこか楽しそうにつぶやく。
 だけど、萌歌の答えなど、はじめから求めてはいない。
 ふと目を細め、おだやかに小紅は続ける。
「それを知られた王子が、少しでもランバートさまに会えるようにと、友人≠ノなってくださったのです。友人ならば、城の出入りはほとんど顔パスですから。――ほら、お二人は、よく一緒にいらっしゃるでしょう?」
 ガラスに映る、向こうからじっとこちらを見つめているランバートを、小紅は愛しそうに見つめる。
 ――フィガロットは、小紅の思いが報われることは決してないと知っているから、だから、陰からそう力を貸している。
 この国の神官とは、とりわけ、最高神官とは、そのように生きることを義務づけられている。
 どのように頑張ろうと、どのようにあがこうと、小紅の思いは報われない。
 ランバートが、最高神官である限り。
 そこで、見かねたフィガロットが、小紅に手を貸している。
 それは同時に、さらに小紅を苦しめるとわかりつつ。
 何が正しいのかわからない中、フィガロットが小紅の気持ちを大切にしていることだけは、小紅にもわかる。
 それゆえ、小紅も、可能な限り、フィガロットの力になりたいと思っている。
 だから、今回も、このように協力している。
「これだけは覚えていてください。フィガロットさまは、そのような方なのです。……いい方です」
 萌歌へすっと視線を送り、小紅は優しく、だけどどこか切なそうに微笑んだ。
 萌歌もちらりと小紅へ視線を向け、複雑そうに顔をゆがめる。
 そのようなこと、今さら聞かされても、萌歌には素直に受け入れることができない。
 いや、そうではなくて、今さらそのようなこをと聞かせないでほしかった。
 そのようなことを聞かされてしまったら、萌歌はもう――。
 そうして、小紅の手をかり、萌歌が歩き出そうとした時だった。
 それまで、萌歌とははなれた所で、透明な壁に触れ、その向こうに広がる、滑走路、離着陸をする飛行機を見つめていたフィガロットが、ゆっくりと萌歌のもとへと歩いてきた。
 そして、すっと、小紅の手をとる右手とは逆の手をとった。
 それから、そこに、その薬指に、小さく光るものをそっとはめた。
 その視線は、萌歌の目線に合わせるようにそそがれている。
「え……?」
 それに驚き、萌歌はぎょっとフィガロットを見つめる。
 フィガロットは、切なそうに萌歌を見つめている。
「餞別……だそうですよ?」
 驚く萌歌に、小紅がそっと耳打つ。
 萌歌はばっと振り返り、小紅を凝視する。
 すると小紅は、困ったように肩をすくめた。
「あなたに差し上げるとおっしゃっているのです。……それくらいは、素直にもらってさしあげてはいかがです?」
 さらに、驚く萌歌へと、どこか冷たくランバートがそう告げる。
 それに、萌歌はびくりと肩を震わせたけれど、またフィガロットの顔を見て、ぷるんと小さく首をふった。
「う、うん」
 そして、小さく、そうつぶやいていた。
 萌歌は、昨夜から、ランバートを妙に恐ろしく感じている。
 フィガロットが、萌歌の帰国を許したその時から……。
 そして、今、萌歌を見つめるフィガロットは、なんだかとても悲しそうに見える。
 たしかに、ランバートの言うとおり、餞別というのなら、これはもらっておいた方がいいのだろう。
 萌歌のためを思いこの決断をしてくれたのだから、せめてもの償い、お礼のために……。
 いや。そうではなくて――。
「ありがとう……」
 どことなく切なそうにふわりと微笑み、萌歌はフィガロットの手から、すいっと左手を抜き取る。
 瞬間、苦しそうにフィガロットの顔がゆがめられたけれど、萌歌はそれにはあえて気づかないふりをする。
 気づいてしまえば、このまま帰れなくなってしまいそうな気がしたから。
 どうして、ようやく帰国できるというのに、このように重い気分になるのだろう。
 まるで、萌歌が、とても悪いことをしているような気にさえさせられる。
 そうして、そのまま、小紅の助けを借り、萌歌は日本への帰国便に乗り込んでいく。
 何か、しっくりこない、胸につかえるものを感じながら。
 搭乗口へと向かうそこで、萌歌はちらっと振り返っていた。
 すると、苦しそうにじっとこちらを見つめるフィガロットの姿が目に入った。
 そっと、左の薬指に右手をかさね、握り締める。
 本当に、このまま帰ってしまってもいいのだろうか……?
 そんな、思ってはいけないようなことが、ふと萌歌の胸によぎる。
 握り締めたリングには、この国の空と海と大地をとじこめたような色を放つ小さな石がはまっている。
 まるで、フィガロットのその瞳の色のように。深い深い優しいブルー。
 そうして、飛行機は、ヴィーダガーベ国際空港をはなれ、萌歌を乗せ、遠い異国の地へと旅立って行った。
 その様子を、かじりつくようにして、フィガロットはガラス越しに見つめていた。
 恐らく、また会うことがあっても、今度は言葉を理解することはできないだろう。
 だって、あの薬は、もう五日もすれば、ききめがきえてなくなってしまうから。
 本当は、薬がきれることがないように、ずっとそばにいたいけれど――。


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update:07/10/25