恋するマリオネット
(36)

「へえ。萌歌、案外うまいじゃないか」
 のろりのろりと紙にフェルトペンをおしつける萌歌の手もとをのぞきながら、光也が感心したようにつぶやいた。
 はっと気づき、萌歌は、がばりと紙を覆うように机に上体をかぶせる。
 そして、ちらりと視線を上げて、へらりと微笑む。
「光也くん……。そうかな? えへへ……」
 萌歌は、心なしなどではなく、思い切り、顔を真っ赤にしている。
 画用紙を隠すようにして、ゆっくりと上体を戻していく。
 どうやら、何があっても、その画用紙の落書きを見せる気はないらしい。
 さりげなくのばされた光也の手をすっとよけ、何がなんでも死守するかまえでいる。
 ……誰にも見せられないものなど、宣伝ポスターの意味がまったくないというのに。
 そのようなおかしなところで頑固な萌歌に、光也はくすりと笑う。
 そして、萌歌が座る横の椅子をひき、そこにすっと腰をおろした。
 それから、こつんと片肘を机につけ、じっと萌歌を見つめる。
「なあ、それにしても、このひと月、お前、一体どこにいたんだ? 何とかという国で行方不明になっていたとか……。真央子も、お前がいなくなった時のことは、よく覚えていないと言うし……」
「そうみたいだね」
 急に真剣みを帯びた眼差しで見つめだした光也に、萌歌はたじろいでしまった。
 しかし、それでもどうにか誤魔化し、とぼけてみせる。
 ――そう、萌歌は、このひと月の間、行方不明になっていたことになっている。
 けれど、実際は、帰国した時、両親はこれといって慌ててはいなかった。
 どうやら、フィガロットたちが、いいように誤魔化していたらしい。
 そして、真央子の記憶の欠落は、あのおかしな国に伝わるおかしな薬によるものらしい。
 人一人の記憶をなくしたり、人一人行方不明となったのに誰も慌てなかったり、本当に、あの国の人々は、どのようなからくりを使ったのか……。
 もしかすると、両親が動じていなかったのは、誤魔化したのではなく、言葉が通じたり、記憶をなくしたりといった、その辺りのいかがわしい薬と同じようなものを使ったからかもしれない。
 あの国は、やはり、萌歌の常識外を闊歩している。
「……あのね、わたしにもわからないのよ。その間の記憶がすっぽり……」
 ことんと持っていたフェルトペンを机の上におき、萌歌は苦笑いをしてみせる。
 すると、光也は、やってしまった……というような、気まずそうな表情を浮かべた。
 まさか、萌歌までも、記憶を失っているとは思っていなかったらしい。
 ――それは、本当ではないけれど。
 萌歌は、ちゃんと、あのひと月のことを覚えている。
 最後の辺りはあやふやな部分もあるけれど、だけど、しっかりと覚えている。
 苦しかった、恐怖したあの日々を。
 だけど、それだけでもなかったような気がする日々を……。
 あの時は、本当に、あの王子の伴侶にされてしまうのではないかと、萌歌はびくびくしていた。
 同時に、そわそわと落ち着かなくもあった。
 けれど、それは、誰かに語ろうとは思わない。
 言ったところで、あのようなこと、誰も信じはしないだろう。
 あの国では、あれが普通なのかもしれないけれど、萌歌が住む日本では、あり得ない。あってはならない。
 それこそ、まるでおとぎ話……不思議の国のことのよう。
 そして、もっと不思議なことは、萌歌の足。
 ジョルーに撃たれた、その左足。
 傷はもうすっかり治っているのに、そこがずきずき痛み、うまく歩けない。
 あの国にいた時は、全然痛まなかった。
 だけど、あの国を飛び立ち、はなれていくにつれて、その足が痛むようになってきた。
 そして、日本についた頃には、今のようにずきずきと痛んでいた。
 一体、これは、どういうことだろう?
 もしかして、あのおかしな薬たちと同じように、そういう効果をもたらす薬を、この傷の治療に使われていたとか……?
 まさか、さすがに、そのようなことはないだろう。……ないと信じたい。
「そうか……。大変だったな、お前も」
 くしゃりと萌歌の頭をなで、光也は困ったように微笑む。
 知らなかったこととはいえ、もしかしたら、萌歌の傷をえぐってしまったことになるかもしれない、そう気づいたから。
 たったのひと月といっても、記憶を失ってしまったということは、一体、どれだけ辛いことだろう。負担が大きいことだろう。
 ……記憶を失わなければならないような、苦しい思いをしたのだろう。
 光也は、思わず、それを想像してしまった。
 浅慮な自分自身をあざけり笑う。
「光也くん……?」
 急に、どこか苦しそうに微笑んだ光也を、萌歌は不思議そうに見つめる。
 ほんの少し前までは、あれほど明るかったのに、今は沈んでいるようにすら光也は見えるから。
 不思議そうに、ちょっぴり心配そうに顔をのぞきこむ萌歌に、光也はまた苦笑いを浮かべる。
 そして、首をかしげた時に、ふわりと落ちてきた萌歌の髪を、ひと房きゅっとにぎりしめた。
 その手に、少しだけ力をいれ、わずかに引き寄せる。
 じっと萌歌を見つめる。
「なあ、萌歌。俺たち……つき合わないか?」
「え……?」
 ざわざわとざわついていたこの部屋が、一瞬にして静まり返ったような感覚に萌歌は襲われた。
 目を見開き、光也を凝視する。
 一体、今、光也は何と言っただろうか……?
 萌歌の脳は、まだその言葉の意味を処理することができていない。
 光也は、頬をあからめ、くしゃりと顔をくずす。
 どうやら、それが、萌歌の疑問の答えらしい。


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update:07/11/15