恋するマリオネット
(42)

 ふいに、医務室のドアがノックされた。
 それから、返事も待たずに、ドアを開け、一人の女性が入ってきた。
 そして、一通りみまわした後、ベッドに寝かされる萌歌に気づき、歩み寄る。
「萌歌さん、失礼しますね。こちらにいらっしゃるとうかがい、やってまいりました」
 そう言って、女性は萌歌のもとまでくると、にこりと微笑む。
 瞬間、不思議そうに見る真央子をおしのけるようにして、萌歌はその女性につかみかかっていた。
 今の今まで、あれほど顔色が優れなかった人間と、同一とは思えないほど勢いよく。
「小紅さん! これは、一体どういうことですか!?」
 萌歌は女性――小紅の両腕をぎゅっとつかみ、責めるようにそう叫ぶ。
 いきなりここへ現れたのは、萌歌をヴィーダガーベから連れ帰った、あの小紅だった。
 小紅は、気おされるように一歩後退する。
 すいっと、どこかばつが悪そうに萌歌から顔をそむける。
「……申し訳ありません。しかし、フィガロット王――フィガロットさんが、どうしてもとおっしゃいまして。それに、もうそろそろ、萌歌さんの体調も回復されたのではないかと……」
 するりと力なく、小紅の腕から萌歌の手がはなれる。
 萌歌の胸元で、しゃらりと小さな音が鳴る。
 同時に、服の中で、小さく硬いものが、萌歌の胸をすべった。
 小紅の腕からはなした萌歌の手が、ぱたんと、ベッドの上に落ちる。
 ぎゅっと、シーツを握り締める。
 その手は、ふるふる震えていた。
 それは、果たして、怯えのためか、はたまた、憤りのためか。
「……じゃあ、最初から……」
「はい。諦めたわけではないのです。萌歌さんの体調を考え、一時、帰国を許しただけです」
 微苦笑を浮かべ、だけどまっすぐ萌歌を見つめ、小紅はきっぱりと言った。
 瞬間、苦痛に萌歌の顔がゆがむ。
 たしかに、あのままで終わるにしては、なんだかあっけないような気が萌歌もしていた。違和感を覚えていた。
 だけど、本気で、あのまま萌歌を解放するわけでもなかったなんて……。
 それじゃあ、萌歌はもう、フィガロットからは逃げられないと言われているようなもので……。
 ――もしかしたら、はじめから、萌歌には逃げ道など用意されていなかったのではないだろうか。
 ならば、どうして、フィガロットは、あんなに苦しそうな顔をしていたのだろう。
 このつもりだったのなら。
 そして、ランバートは、どうして、あんなに責めるように萌歌をみらみつけていたのだろう。
 こうする予定だったのなら。
 これでは、萌歌はぬか喜びをさせられたも同じ。
 そう……。はじめから、逃すつもりなどなかったのなら。
 だけど、そうだと改めて気づくと、何故だか萌歌の肩から力がふうと抜けた。胸がほんわりとあたたかくなる。
 いきなりの萌歌の迫力に、ぽけらっとしていた真央子が、はっと我に返った。
 そして、慌てて、萌歌をかばうように抱き寄せ、小紅へ怪訝な視線を向ける。
 その横で、光也も不審げな視線を小紅へ送っていた。
 小紅は二人に気づき、訝しむように光也を見つめる。
 その目にこめられた光は、いいものではない。
「あなたは、萌歌さんとどういうご関係ですか? もし、特別な関係でしたら、その……」
「小紅さん!」
 そこまで言いかけた小紅に、真央子をおしのけ、萌歌はその腕を握り締め牽制する。
 じっと、まるで責めるように小紅を見つめる。
 その鬼気迫ったような様子に、小紅はふうっと息をはきだした。
 萌歌の言いたいことが、求めていることが、小紅にもわかったのだろう。
 この二人の前で、それ以上余計なことは言わないでと、そう萌歌の目がいっている。
「……わかりました。わたしからは何も言いません。――しかし、覚悟はしておいてください。今は、フィガロットさんも大人しくされていますが、それもいつまでもつかわかりませんよ? ……その様子では……」
 意味深長な視線を萌歌へ向け、小紅はゆっくりと医務室を出て行った。
 それを見届けると、萌歌はほっと胸をなでおろした。
 しかし、次の瞬間には、心臓が飛び出しそうなほどの驚きと恐怖が萌歌に襲いかかった。
「萌歌……? 何だったの? 今のは……」
 そう真央子が問うたから。
 光也も、不思議そうに萌歌を見つめている。
 それは、萌歌にとっては、とても恐ろしい問いかけ。
 そして、どのようなことがあっても、答えたくはない問いかけ。
 だって、それは、萌歌には、忘れたくて仕方がない恐ろしいことだから……。ううん、わからないことだから。
 だけど、同時に萌歌にはわかってしまった。決着がついてしまった。
 まさか、こんなに簡単に決着がつくなど思わなかったのに。
 決着がついてしまえば、萌歌にだって理解できる。心が妙におだやかになる。
 きっと、そういうことだったのだろう。
 あんなに反発していたのに、もしかしたら、萌歌は、その中に楽しみを見出してしまっていた……?
 ううん、そんなことは、やっぱりあって欲しくない。……欲しくないはず。
 萌歌は視線を二人からすっとそらし、きゅっと唇を結んだ。
 胸元を、ぎゅっとにぎりしめる。
 その萌歌の姿を見て、真央子と光也は困ったように顔を見合わせる。
 どうして萌歌は、こんなにも苦しそうなのだろうか?
 そして、小紅が言っていたことも、二人には気にかかる。
 萌歌と小紅二人の間に、一体何があるというのだろう?
 いや、二人の間にではない。小紅が口にしていたフィガロット≠ニいうその人物も、恐らく深く関わっているのだろう。


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update:08/01/07