恋するマリオネット
(44)

 ランバートがふいに、がしっと萌歌の肩を握った。
 そして、きゅっと小さな音がしたかと思うと同時に、ぐいっと萌歌のあごはあげられ、唇にかたいものがおしあてられた。
 そこから、つうっと、甘い液体が口内へ入った。
 あごをあげられた状態では、耐え切れず、萌歌はそれを飲み下してしまう。
 ごくりと、のどが動いた。
 それに、さあっと顔の色を失い、ようやく我に返り、萌歌はどんとランバートをつきとばす。
「な、何をするのよ!?」
 その液体は、一体何だったのか……。
 いや、わかる。だって、萌歌は、その液体をもう何度も飲んだことがあるから。
 この味は――。
「安心してください。例の薬ですよ。毒薬でも媚薬でもありません」
 萌歌につきとばされたそこで、ランバートは左手の甲に視線を落としている。
 そこには、ひっかかれたような傷痕があり、血がにじんでいる。
 どうやら、つきとばずと同時に、萌歌の爪が、ランバートの手の甲をひっかいていたらしい。
 ランバートのその手には、たしかに、小瓶がもたれている。
 例の言葉を解するという薬の小瓶が。
 ――それにしても、今、たしか、媚薬とか、そのような危険な言葉が……?
 ひっかかれた傷をぺろりとなめて、ランバートは責めるように萌歌をじっと見つめる。
 その傷に気づいたジョルーが、あわててハンカチを取り出し、ランバートのそこにあてようとしていることなど、さらっと無視して。
 ランバートの見つめる目には、まるで親の敵でも見るかのような光がこめられている。
 その目が、萌歌をとらえる。
 びくりと、萌歌は体を大きく震わせた。
 ……恐ろしい。今のランバートは、萌歌にはとても恐ろしく感じる。
「あなたには、フィガロットさまのここまでされるお気持ちがわからないのですか? フィガロットさまは、あの時は、あなたのことを思い、一時、国へ帰すとおっしゃったのですよ」
 その迫力に気おされるように、声をつまらせ、萌歌はランバートを見つめる。
 悔しそうに、きゅっと唇をかむ。
 そのようなこと、言われなくても、心のどこかでは、萌歌もきっと気づいていた。
 そして、気づいていた自分に気づき、何だかとても悔しい思いが萌歌を侵食していく。
 いつの間に、萌歌はこんなにもフィガロットを受け入れてしまっていたのだろう?
 あれほどひどいことをされていたのに。
 ……そう、ひどいことのはず。
 これでは、なんだか都合がよすぎる。
 簡単には、意思を変えたくない。
 なんだかそれは、負けたような気すら萌歌はするから。
 ひどいことをした人を、どうして、いつの間に、こんなに――。
 萌歌は、ふいっと、ランバートから視線をそらした。
 耐えられないから。それ以上、気づかされるのは。
 辛いから。それ以上、つきつけられるのは。
 その思いを。
「大切でもない女性を、ご自分が苦しくなるとわかっていて、手もとからはなされたりするものですか」
 そして、とうとう、とどめをさされた。
 ふらりと、萌歌の足元がゆらぐ。
 それに目ざとく気づいたランバートは、さらに萌歌へ詰め寄る。
 その目には、たしかに厳しいものを感じるはずなのに、どこか嬉々とした光もこめられているような気がする。
 しかし、さすがに、このままランバートを野放しにしていては駄目だと思ったのだろう。これ以上放っておくと、ランバートは萌歌を傷つけてしまうと思ったのだろう。フィガロットが慌てて制止をいれる。
 すると、多少荒い息をしながら、ランバートは大きく息をはきだした。
 どこかばつが悪そうに。どこか不服そうに。
 言い聞かせたいことはまだたっぷりあるのに、そう言っているようにすら見える。
 痛いくらい、萌歌の顔が苦しげにゆがむ。
 どうやら、それでもう十分、萌歌には伝わっているらしい。
 ……伝わらないわけがない。もともと、認めたくなどないけれど、萌歌自身も、どこかでは気づいていたことなのだから。
 とても悔しそうに、苦しそうに、萌歌は顔をゆがめている。
 それが、フィガロットには少し不思議に思えているよう。
 フィガロットは、複雑に微笑みを浮かべている。
 そして、広がる。胸に小さなぬくもりが。
 フィガロットは、ぎゅっと唇をかみしめる萌歌を、困ったように、だけど優しく見つめる。
 ランバートが告げたその言葉、萌歌に理解されていない方が、むしろ、フィガロットにとっては好ましい。
 きっと、それは、また萌歌を追い詰めることになるだろうから。
 今はまだ、追い詰めたりなどしない。そっと見守ることにした。
 そのために、フィガロットはやってきた。
 少しでも近くで、萌歌を見守るために。
 そして――。
「どうして、わたしにそんなことを言うのよ」
 萌歌は、ぎりっと唇をかみ、つんと顔をそむける。
 そのようなことを言われても、やはり萌歌はまだまだ認めたくない。
 この程度で認めては、あまりにも軽すぎるではないか。
 腹が立つ。
 一方的に、むちゃくちゃなことを言ったりしたりしているのはフィガロットたちの方なのに、どうしてこんなに、萌歌がこのようなおかしな気持ちにならなければいけないのか……。
 責められるべきは、間違いなく、フィガロットたちの方なのに。
 もう、自分自身が何を考えているのかすら、萌歌にはわからなくなってくる。頭がぐちゃぐちゃ。
「あなたが、まったくフィガロットさまのことをわかっていないからです」
 とめるフィガロットの腕をするりとはらいのけ、ランバートは執拗に食い下がる。
 その目が、先ほどまでとは違い、悲痛にゆれている。
 萌歌は、ランバートを、ランバートの目を、見ることができない。
「別に、そのようなこと教えてなど、わたしはほしくないわよ。わかりたいとも思わない」
 ついっと顔をそらし、萌歌は口をとがらせる。
 本当に、どうしてこの人たちは、こうも強引なのだろうか。
 萌歌の意志など、まるで無視なのだから。
 はじめから、そうだった。
 それは決まっていると、そう告げて。
 そのようなこと、当の萌歌を無視して、勝手に決めないでほしい。
 このように強引でなければ、萌歌だって、もう少しくらいは、素直になってもいいと思えるのに。
 ――え? じゃあ、強引でなければいいの……?
 ぶるると、萌歌は首を小さくふる。
 今気づいてしまった、そのことをふりはらうように。
「そこが腹立たしいのですよ」
 ランバートが、萌歌へすっと手をのばす。
 それに気づき、萌歌は即座にばちんとたたきはらった。
 ランバートなどに触れられては、次は一体、どのようなことをされるか……。
 先ほどだって、飲みたくもないのに、あんな薬を萌歌はむりやり飲まされたのだから。
「あなたたちがどれほど慕っているかは知らないけれど、わたしにとっては、あなたも含め、みんな、敵なの、悪人なの。あなたたちがしていることは、めちゃくちゃよ!」
 胸の前で両腕をくみ、ついっと壁にもたれて、萌歌はじとりとランバートたちをみまわす。
「……まあ、否定はしませんが」
 すると、何故だかあっさりと、ランバートがそう認めた。
「ってそこ、しなさいよ。その王子をかばいたいのでしょう!?」
 さすがに、その予想だにしていなかった返答には、懸命に虚勢をはっていた萌歌の体からも、がっくりと力が抜ける。
 そこは、是非とも、否定していただきたかった。
 じゃないと、なんだか調子が狂う。
 ……じゃなくて、じゃあ、つまりは、悪いことだとわかっていて、あえてこういうことをしている……?
 嗚呼、まったく、たちが悪すぎる。
 これじゃあ、その悪徳をつきつけて、追い返すこともままならない。できない。
 だって、相手は、悪いことと自覚して、このような無茶なことをしているのだから。
 計画犯を、どうして追い払うことができようか。
 そして、そこまでしてでも、フィガロットは萌歌を……?
 きゅっと、胸がしめつけられる。
 きゅっと、胸の辺りをにぎりしめる。
 にぎる萌歌の手の中には、服に包まれるように、小さくかたいものがある。
 フィガロットも、ランバートのその言葉には、さすがにがくりと膝がおれていた。
 フィガロットにまで、そのような反応をさせてしまうとは……。
「別に、かばいたいとは思っていませんよ。ただ、理解していただきたいだけです。あなたが思っているほど、悪い人ではありません。とても思いやり深い方ですよ。ただ、今回はちょっとわがままが過ぎただけです」
 がっくり力が抜けるフィガロットをちらっと見ながら、ランバートはにっこり微笑む。
 本当に、先ほどの凍えるような冷たい視線を萌歌へ向けていた男と、同一人物だとは思えない。
 この神官は、一体何を考えているのだろう?
 そして、何をしたい?
 わかっていることは、とりあえず今は、萌歌をフィガロットへ……。
「これのどこがちょっとなのよ……」
 さすがに、その拍子抜けもいいところな言葉には、萌歌も思わずつっこみを入れてしまう。
 この神官と話をしていると、なんだか調子が狂わされっぱなしに思えてならない。
 恐ろしいかと思えば、無駄にふざけていて……。
「もう少し、心の目を開いてみてください。そうすれば、あなたもきっとわかります」
 ふわりと優しい眼差しを、ランバートはフィガロットへ向ける。
 それに気づいたフィガロットは、少し照れたように頬をそめ、ぷいっと顔をそらした。
「え……?」
 だけど、萌歌には、ランバートの言おうとしていることが理解できない。
 心の目とは……?
 わかるとは……?
 いつか、萌歌が、フィガロットという王子を理解する日がやってくるというのだろうか?
 そんなことは、あるはずがない。
 このようなことをされて許せるほど、萌歌は心が広くない。
 そのはずだから――。


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update:08/01/25