恋するマリオネット
(47)

 学生食堂。
 ちょうどお昼時ともなると、ここはにぎわいを増す。
 お昼休みをはさみ、二限目から三限目にかけてがピークになるだろうか。
 ざわざわと、学生たちの楽しそうに騒ぐ声が、そこらじゅうから聞こえてくる。
 それにまざり、壁にとりつけられたテレビから、ステレオで音が流れてくる。
 複数あるテレビすべてが同じチャンネルを映しているなら問題ないが、中には、ひとつふたつ、違うチャンネルになっていたりすると、ちょっぴり頭が混乱しそうになる。
 でもまあ、たいていは、うきうきなお昼番組を流すチャンネルか、お堅いお昼のニュースを流すチャンネルなのだけれど。
 その雑多な騒音ともとれるざわめきをBGMに、萌歌はサンドイッチをほおばっていた。
 騒音よりもさらに公害だと感じるそれを目の前にして。
 何故だか、さっきからずっと、そこでにこにこ微笑んでいる。
「……何見ているのよ?」
 萌歌はふと手をとめ、じとりとその公害をにらみつける。
 すると、やっぱり、犯罪めいた微笑みで、さらりと返される。
「萌歌」
「だから、それはわかっているわよ。わたしが言いたいのは、見ないでということよ」
 ぱふっとサンドイッチをトレイに戻し、萌歌は疲れたようにもらす。
 今日は、一限目から講義があって、とってもお腹がすいているはずなのに、サンドイッチがのどを通ってくれない。
 それもこれもすべて、目の前のこの公害が原因なのだけれど。
「どうして?」
 くいっと首をかしげて、その公害――フィガロットは、にこにこ笑いながら萌歌を見つめる。
 まったく、わからないはずがないだろうに。
 それに、そのような仕草と微笑みで、そのようなことを聞いても、まったく真実みに欠ける。
「あのねー。食べているところを、そうじろじろと見られていたら、落ち着かないでしょう」
 萌歌はふうと大きくため息をもらし、トレイにおいていた食べかけのサンドイッチを再び手に持つ。
 本当に、萌歌が大好きなクロワッサンサンドだというのに、食べる邪魔をするなど、一体どういう了見だろうか?
 日本には、「食べ物の恨みは恐ろしい」という言葉があることを、是非とも、このヌケサクな王子に教えてあげねばなるまい。
 じろりと、恨みがましく萌歌がにらみつけても、フィガロットは何がそんなに嬉しいのか、幸せそうに微笑んでいる。
 とうとう、萌歌の肩ががっくり落ちてしまった。
「……何、この王子。頭がおかしいのじゃない?」
 そして、思わず、ぼそりとそうもらしていた。
 もちろん、このような至近距離で、その悪態をフィガロットが聞き逃すはずはない。
 一瞬、驚いたように目を見開いたかと思うと、フィガロットはやっぱり楽しそうにくすくす笑い出した。
「こ、今度は何よ。笑い出しちゃって」
 その不気味なフィガロットの反応に、萌歌はびくりと体をふるわす。
 このような暴言をはいたのだから、当然、むっとされるだろうと萌歌は思っていた。むっとさせようと思って言った。
 それなのに、期待に反して、まるで一八〇度違うそのような反応をフィガロットがするなんて……。
 なんだか、どことなく、悔しい。
 これでは、さりげなく喧嘩を売った甲斐がない。
「嬉しいなと思ってね。こうして萌歌と話ができることが」
 さらりともたらされたフィガロットのその言葉に、今度は萌歌が目を見開く番となった。
 だけど、フィガロットのように、その後にくすくす笑い出すことはない。
 ぷいっと顔をそむけて、すぐそこの壁でうきうきなお昼番組を流すテレビへ視線を移す。
 もちろん、その内容が頭に入ってくるはずはない。
 もとから、観ようとも思っていない。
「べ、別に、話したくて話しているわけじゃないわよ。フィガロットが勝手にわたしの前に座っているのでしょう。……許可を出した覚えはないのに」
 ぶつぶつと萌歌がそうもらすと、今度は先ほどより大きく、フィガロットが目を見開いた。
 驚いたように、だけどとても嬉しそうに。
「だ、だから、さっきから何よ!?」
 それを横目でちらっと見てしまったから、萌歌はやっぱりそう毒づかずにはいられない。
 なんだか、ここのところ、萌歌は調子がくずれっぱなし。
 萌歌は、こんなにフィガロットを受け入れていたはずがないのに……。
 そう、たしかに、再び萌歌の前に姿を現したその時は、まだフィガロットを警戒していたはず。
 なのに、その後、夕陽の中で気づいたあの思い。
 フィガロットが萌歌へ寄せるあの思い。
 そして、何より、萌歌自身が抱いている、フィガロットへの思い。
 どうして、そういう思いが芽生えてしまっていたのか、萌歌にもまだわからない。
 あんなにひどいことをされたのに、どうして……?
 きっと、あれが間違いだったのだろう。
 昨夜、連れ込まれたホテルで、フィガロットたちとの会話が楽しい……とか、そう思ってしまったことが。
 そう思ってしまったら、もう気づかずにはいられない。
 ずっと否定してきたその思いに。
「あ、うん。あまりにも嬉しくて。萌歌が、はじめて名前を呼んでくれた」
「なあ……っ!?」
 にっこりと無邪気に微笑むフィガロットに、瞬間、萌歌はがばっと視線を戻し、顔を真っ赤にして噴火していた。
 よくまあ、そのような恥ずかしいことを、照れもせず……。
 ――ああ。でも、言われてみれば、そうかもしれない。
 萌歌は、はじめて、フィガロットを、フィガロットと呼んだのかも……。
 これまでは、名前すら口にしたくないと萌歌は思っていたから。
 でも、名前を口にすることが、気づいたら、こんなに恥ずかしいことだったなんて……。
 そして、それだけで、フィガロットは、こんなにたくさん喜んでくれるの? 嬉しそうに笑うの?
 何故だか、萌歌の胸がほこほこしてくる。
 ふうっとため息をもらし、萌歌は、ぱくりと食べかけのクロワッサンサンドを口へ放り込む。
 その様子を、フィガロットはまた楽しそうに見ている。
 やっぱり、何がそんなに楽しいのだか……。
「……食べる?」
 そう思った瞬間、萌歌は、もうひとつあったクロワッサンサンドを、ついっとフィガロットへ差し出していた。
 だって、そうじろじろ見ていられたら、萌歌だけ食べにくいもの。
「ありがとう」
 フィガロットは驚いたように萌歌を見つめ、そしてふわりと包み込むように微笑む。
 同時に、萌歌の手を包むように触れながら、両手でクロワッサンサンドを受け取っていた。
 触れた手が、妙にあたたかい。……熱い。
 萌歌はまた、ぷいっと顔をそらしてしまった。
 だけど、ちらちらと、目はフィガロットを見てしまう。
 幸せそうにクロワッサンサンドを食べていく、フィガロットを。
 ……また、萌歌の胸が、ぽかぽかしてくる。


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update:08/02/23