恋するマリオネット
(48)

 クロワッサンサンドを食べ終わり、食堂の自動販売機で買ったカップのアイスティーへ手をのばそうとした時だった。
 その横に、どんとテーブルを打ちつけるようにして、手が置かれた。
 思わず、萌歌はびくんと手をひっこめてしまう。
「昨日のあれ、一体何?」
 そして、頭上から、どこか威圧のある声が降ってくる。
 萌歌は手をひいたまま、恐る恐る顔をあげていくと、そこには光也の顔があった。
「光也くん……?」
「やっぱりよくわからない。あの女性は誰なんだ? 萌歌、いつもと様子が違った」
 そう言いながら、光也は萌歌の横の椅子をひき、ずだんと腰かける。
 そして、じいっと萌歌を見つめる。
 すぐ目の前で、フィガロットがあからさまに顔を不機嫌に変えたことに気づいているはずなのに、まるで、その姿を、存在を、無視したように。
「え……?」
 光也の問いかけに、萌歌の顔がくもる。顔色が悪くなっていく。
 誰なんだと聞かれても、萌歌に答えられるわけがない。――答えたくない。
 だって、それに答えようとすると、あのことも、あの人のことも、言わなければならなくなるから。
 目の前で、そわそわと落ち着かない、その王子様のことも。
 それは、言いたくない。知られたくない。……なんだか恥ずかしいから。
「それ、わたしも聞きたいわ」
 萌歌がためらっていると、光也とは逆隣に、誰かが腰を下ろす気配がした。
 驚き、がばっと振り返ると、問い詰めるように見つめる萌歌の親友の姿があった。
「ま、真央子……」
「わたしも知りたい。昨日のあの人が言っていたことは何? あの人が言っていたフィガロットって、このヴィーダガーベからの留学生のことでしょう? 昨日の今日で、こんなに仲良さそうにしているということは。あんた、あの国で行方不明になっている間、何があったの? 記憶がないというのは嘘でしょう? なんだかいろいろとできすぎなのよね」
 真央子は、萌歌の横に座るなり、いきなりそう早口でまくしたてはじめた。
 どうやら、一晩、いろいろと考え、そういきついたのだろう。
 たしかに、真央子にとっては、腑に落ちない点がいろいろあるだろう。
 萌歌にすれば、別にフィガロットと仲良くしているつもりはないのだけれど、きっと、はたからみれば、真央子と同じ感想を覚えるだろうことも否定できない。
 昨日やってきたばかりの留学生と、以前からの知り合いのように話をしていたのだから。
 何よりも、ヴィーダガーベというその国がついてまわっている。
 思わず、萌歌は、ふとフィガロットへ視線を送ってしまった。
 困ったように、すがるように、じっと見つめる。
 それにフィガロットも気づき、助け船を出そうと口をひらこうとする。
 さすがに、萌歌をこのままにしておくのは気がひけるのだろう。
 もとはといえば、フィガロットがすべての原因のようなものだから。
 だけど、口をひらきかけたその時、いきなり背後からにゅるっと手がのびてきて、フィガロットの口はふさがれてしまった。
 その気配から、その手が誰のものかなど、フィガロットにはすぐにわかる。
 フィガロットにこのような軽いふるまいができる者など限られている。
 間違いなく、ヴィーダガーベの悪徳神官、ランバートしかいない。
 ぎろりと、フィガロットが背後へにらみを入れると、やはり、そこには不気味ににっこり微笑むランバートの顔があった。
 一瞬、フィガロットの顔から色がさあっとひきそうになったけれど、そこはぐっとこらえて、もがもがともがきはじめる。
 このままランバートに邪魔をされていては、萌歌を助けられない。
 困っている萌歌をフィガロットが助けなくて、一体誰が助けるというのだろう。
 だけど、フィガロットの奮闘むなしく、すぐ目の前では、萌歌が諦めたように小さく息をはきだしていた。
 ランバートのその所業に、早々に諦めてしまったらしい。フィガロットに助けを求めることは。
 どうやら、ランバートは、萌歌を助けるどころか、邪魔をする気でいるらしい。
 本当、なんと憎らしい神官なのだろう。
「あ、あのね……」
 ふいっとフィガロットから視線をそらし、萌歌はおずおずと口を開いていく。
 少し目線をそらすようにして、真央子を見ている。
 その萌歌のさりげないふるまいに、真央子は眉間にしわを寄せたけれど、すぐに諦めてしまったらしい。
 まあ、今は、目をあわせられなくても仕方がないと、どこかで気づいているように。
 実際、言いたがらない萌歌からむりやり聞き出そうとしているのだから、目くらいそらされても仕方がないだろう。
「あのね……わたし、ひと月ほど行方不明になっていたでしょう? あの時、ヴィーダガーベのお城にいたの」
「やっぱり……」
 恐る恐る告げた萌歌の言葉に、真央子は即座にそうつぶやいていた。
 瞬間、ぎょっとし、萌歌は目を大きく見開き、真央子を見つめる。
 やっぱりとは、一体……?
 そう言うということは、もしかして、真央子は薄々感づいていた?
 だけど、何故?
 ――いや、なんとなくわかる。
 だって、ここまで、不自然なキーワードがそろっているのだから。
 すべてが、あのヴィーダガーベという国にいきついてしまう。
「……ごめん。このことは秘密にしておきたかったの」
 きゅっと唇をかみ、萌歌は複雑そうな笑みをもらす。
 そしてまた、すっと真央子から視線をそらしていく。
 アイスティーが入ったカップを、両手でぎゅっとにぎりしめる。
「わたしね、その時に言われたの。ここにいるフィガロットと結婚しなければならないって。もうそう決まっているって。そして、それを実感した。だから……」
「じ、実感って、あんた、そんなむちゃくちゃなことを受け入れるの!?」
 がたんと音を立て椅子を蹴散らし、真央子が乱暴に立ち上がる。
 そして、萌歌の両肩をつかみ、迫る。
 その顔からは色が失われている。
 焦りの色が見える。
 無理もない。
 萌歌自身も、むちゃくちゃなことを言っているとわかっているのだから。
 わかっているけれど、だけど、それでも……。
「わからないの……。わからないけれど……でも、逃げられないのは、きっと本当だから。――そういうしきたりらしいの」
 顔を少しあげて、萌歌はふと、自らを皮肉るような笑みを浮かべる。
「しきたり……? って、そんなの、あんたには関係ないじゃない」
 ぎりっと奥歯をならし、納得がいかないと真央子が顔をゆがめる。
 その言葉がもたらされた瞬間、ともにここにいるフィガロットとランバートの顔が、わずかにくもったような気がした。
 たしかに、萌歌には関係がない。
 それは、あくまで、ヴィーダガーベという遠い異国の、しかも王家のしきたりで……。
 日本の一般庶民の萌歌になど、関係がないはず。
 だけど、あんなに激しく求められて、どうしてそう思えようか。
 ――え?
 それこそ、どうしてそう思うのだろう?
 関係がなくなんてない……なんて。
 矛盾ばかりの自分自身に気づき、萌歌はカップを握る手に力をこめていく。
 ぐにゃりと、わずかにカップがゆがむ。
 もう少し力を入れれば、中味があふれだしてしまう。


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update:08/03/02