恋するマリオネット
(49)

「……関係ないんだよね。でも……。最初は、本当に怖かったの。だけど最近は、なんだかそれだけじゃないような気がするの。このひと月、いろいろ考えて……」
 萌歌は、ぎゅうっとカップをにぎりしめる。
 とうとう、その中味があふれだし、テーブルの上に広がっていく。
 だけど、誰もそれを慌ててとめようとする者はいなかった。もちろん、ぬぐう者も。
 ただ、今は、萌歌の矛盾ばかりのその告白に耳を傾けるだけ。
 それだけしか、考えられない。
 拘束するランバートに抗うフィガロットでさえ、それを忘れて、じっと萌歌を見つめている。
「だから、わからないのよ。わたしも、どうすればいいのか……自分の気持ちが。ただわかることは、もう逃げられないのかもしれないということだけ」
 そして、多少なげやりに、萌歌はそう言い放った。
 それに今は、それほど、あの時ほど、萌歌はフィガロットを拒否していないような気がする。
 むしろ、今は……。
 そこが、やはり不思議。
 このひと月の間、萌歌はヴィーダガーベでの出来事を考えていた。
 そして、ふと気づいてしまった。
 あの日々は怖かったけれど、気づかないほど小さくゆっくりと、萌歌の中で何かがかわっていっていたことを。
 そして、フィガロットのおかれた状況を知った時、それはゆるやかに花ひらきはじめていたのかもしれない。
 その時は、きっと、まだ同情という花だったかもしれない。
 だけど、今は……。
 はっと我に返り、フィガロットは口をふさぐその手をがじりとかじった。
 そして、がばりとランバートをふりはらう。
「僕は本気だよ! 萌歌以外は考えられないと、もう何度も言っているよね!?」
 次の瞬間、フィガロットはだんとテーブルに両手をつき、萌歌に迫るようにそう叫んでいた。
 その迫力に、萌歌は思わずのけぞっていた。
 だけど、その頬が、何故だか熱い。
 萌歌の両横では、真央子と光也がぎょっと目を見開いている。
 だけどすぐに、その顔は不審げにゆがめられた。
「……あなた、萌歌を連れ戻しにきたの?」
 真央子は、どんとフィガロットの肩をおし、押し戻す。
 同時に、守るように萌歌の肩を抱き寄せていた。
 瞬間、衝撃を受けたように、ひどく傷ついたように、フィガロットの顔は青く染められていた。
 ゆっくり上体を戻していき、苦しそうに言葉をはきだす。
「今は……その気はない。萌歌の生活を尊重するよ。しかし……いずれは……」
「勝手なことを言わないでよ。萌歌は嫌がっているじゃない」
 ぎゅうっと萌歌を抱きしめ、真央子は汚らわしそうにはき捨てる。
 本当に、先ほどから聞いていると、このヴィーダガーベからの留学生は、一体何様のつもりなのだろうか。
 人一人の人生を、何だと思っているのだろうか。
 この留学生に、萌歌の人生をどうにかできる権利などありはしないのに。
 そのような思いをこめて、真央子は憎らしげにフィガロットをにらみつける。
 すると、その真央子がにらみつける顔が、ふとやわらかくほぐれた。
「……そんなことはないよ」
 妙にゆったりとおだやかに、そうつぶやきながら。
 萌歌へとその手がすっとのばされる。
 そして、萌歌の胸元から、しゃらりとネックレスのようなものが取り出されてきた。
 瞬間、萌歌の顔がかっと真っ赤に染まる。
「この指輪……。僕があの時にあげたものだよね?」
「あ……っ」
 どこか悔しそうにそう小さく叫び、萌歌はフィガロットの指にからむそれを奪い返す。
 そして、ふいっと顔をそらし、それをきゅっとにぎりしめる。
 だけどすぐに、ちらちらと、フィガロットを盗み見はじめる。
 その様子に、真央子も光也もすぐに気づいてしまった。
 それから、悟ってしまった。
「だ、だって……。フィガロット、あの時……」
 きゅうっと、萌歌は目をつむる。
 涙がにじんでくる。
 どうして、萌歌がこんな気持ちにならなければならないのか。
 なんだかとっても、ばつが悪くて……そして、恥ずかしい。
 それでは、萌歌の気持ちを見透かされてしまったようなもの。
 本当に、どうして、萌歌は、こんなものをこんなふうにして持ってしまっていたのか……。
 でも、手放せなかったのだから、いつも持っていたいと何故だか思ってしまったのだから、仕方ないじゃないか。
 それにしても、どうして、服の中にずっとしまっていたのに、フィガロットは気づいていたのだろう? ……気づかれていたのだろう?
 そこが、なんだかいちばん、悔しい。恥ずかしい。
 むむむーと恥ずかしさのあまり眉間にしわを寄せていく萌歌に気づき、フィガロットがテーブルをまわり、すっと萌歌へ寄ってきた。
 そして、そのまま、真央子の腕の中から奪い取り、一気に抱き寄せる。
「あ、あの……っ」
 もちろん、抱き寄せられた瞬間、萌歌はさらに顔を赤くして、おろおろとフィガロットを見つめてしまった。
 さすがに、このように人がたくさんいるところでこのようなことをされては、戸惑わない、恥ずかしがらない者などいない。
 あふれはじめていた涙まで、驚きのあまり、ぴたっととまってしまった。
 萌歌が抱き寄せられた胸は、とてもあたたかい。
 胸の中で、どうにか抗おうと萌歌は身じろぎする。
 だけど、それは、あまり本気ではないみたいに、体に全然力が入ってくれない。
 逆に、フィガロットの腕にどんどん力がこめられていく。
 苦しいくらいに。
 でも……やっぱり、不思議と、萌歌は嫌だとは思えなくて……。
 抱きしめるフィガロットの腕に、萌歌の手がそっと触れていた。気づいた時には。
 その光景を、真央子も光也も困ったように見つめる。
 どうすればいいのか、わからなくて。
 だって、萌歌は嫌がっているようには見えないから。
 嫌がっているように少しでも見えるならば、即座に、その腕の中から萌歌を取り戻していようはずだけれど……。
 ふうっと、真央子の唇から大きな吐息がもれる。
「そう、そうなのね……。わかった、もう何も言わないわ」
「ま、真央子?」
 くいっとフィガロットの腕をおし、萌歌は不思議そうに真央子を見つめる。
 腕からはなれたその手が、真央子へ触れたいとのびていく。
 それに気づいたフィガロットは、小さく苦く笑うと、あっさりその腕を解放していく。
 同時に、萌歌はがばっと真央子に抱きついていた。
「あんたって……本当、馬鹿。不器用」
 抱きつかれた真央子は、困ったように微笑み、そう優しく毒づいていた。
 萌歌は、複雑そうに微笑みかえしていた。
 今にも泣き出してしまいそうな、だけど、どこか嬉しそうなその微笑み。
 そのような二人を、フィガロットもまた、複雑そうに見守っている。


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update:08/03/10