恋するマリオネット
(50)

 西の空で、うろこ雲が真っ赤に燃えている。
 今日の夕焼けは、不気味なほどに赤い。
 こういう日の翌日は、たいてい雨が降る。
「光也、本当によかったの?」
 窓越しに赤く黒く染まる空へ視線を向け、真央子がぽつりとつぶやいた。
 横を歩いていた光也が、ふと表情を曇らせる。
「何が?」
 何を言っているのかわかっているけれど、何故だか、光也はそう聞き返してしまう。
 よかった?≠ニきくそれが真央子から返されなければ、光也も答えないですむだろうと、どこかでそんな逃げのような思いにとらわれている。
 しかし、ぴたりと足をとめ、すっと窓に手を触れ、真央子は静かにつぶやいた。
 その表情が、窓に映っている。
 真央子は、どことなく苦しそう。
「だって、あんた……。萌歌のこと、あきらめるの?」
 真央子がゆっくりと光也へ顔を向ける。
 すると光也は、観念したかのように、ふうっとひとつ大きく息をはきだした。
「あきらめ……なければならないだろうな?」
「光也……?」
 あきらめたようだけれど、あきらめきれてもいないようで……。
 複雑に微笑む光也を、真央子は困惑気味に見つめる。
 光也の顔が、差し込む夕陽に赤く染まっている。
「真央子も見ただろう? 萌歌のあれ。あの留学生にもらったとかいう指輪を、あんなに大切に胸に忍ばせていたなんて……。俺、知らなかったよ」
 光也は、真央子の横に並ぶようにやってきて、そこから、窓の外に広がる夕焼け空を苦しげににらみつける。
 遠くの方では、烏が棲み処の山へと急いで飛んで帰っていく。
「あ……」
 その言葉に、今ようやくそれを思い出したように、そして、それがどれだけ重大なことかと気づいたように、真央子はばつが悪そうに光也の顔を見つめる。
 その目が、困惑気味に大きくゆらいでいる。
 戸惑う真央子の頭をぽんとなで、光也は肩をすくめる。
「つまりは、そういうことだろう? きっと、あの様子じゃ、もらった時から片時もはなさず持っていると思ってもいいだろうな?」
 すっと、光也は真央子へ背を向ける。
 そして、ゆっくり歩き出す。
 赤い夕陽が差し込む、長い長い廊下を。
 いつもなら、短いと思うその廊下が、今日はやけに長く感じる。
「光也……。あんた……」
 ゆっくりと歩き出した光也の背に、真央子は苦しげな視線を向ける。
 そして、たっと駆け、光也へ寄っていく。
「あれじゃあ、俺に勝ち目なんてないよ。何より、萌歌が幸せなら、それでいいしね」
 追いついてきた真央子をちらっと見て、光也はやはり肩をすくめてみせる。
 あのような萌歌を見せつけられては、光也だって嫌でも気づかざるを得ない。
 男からもらった指輪がどれほど深い意味が込められているか、そして、その指輪を胸に近いところで常に持っているというその意味が、どれほど大変なことかも光也にはわかる。
 だから、嫌でもわかってしまう。つきつけられてしまう。
 萌歌をこのまま思い続けても、無駄だと。
 あきらめなければならないと。
 それほど強く思う相手がいるのに、これ以上思い続けるのは辛すぎる。やりきれない。
「あんたも、あきれるほどのお人よしで、大馬鹿者ね」
 ぽんと光也の背をたたき、真央子は憎まれ口をたたくようにそうつぶやいた。
 光也の眉尻が、きゅっと下がる。
「サンキュ。誉め言葉としてもらっておくよ」
 そして、おどけたようにそう言うと、あははと乾いた笑いをもらす。
 その姿が、見ていて、なんと痛々しいことか。
「お馬鹿。けなしているのよ」
 真央子もおどけて、そう切り返す。
 けれどすぐに、辛そうに光也の背を見つめる。
 真央子は別に、この男友達にそういう気持ちを持っているわけではないけれど、さすがに、人として見ていて辛い。
 光也の思いがどれほどか、そばで見てきたから真央子にはわかる。
 そして、光也の優しさも知っている。
 だから、友達として、胸が痛む。
「萌歌、幸せになれるかなー?」
 もう一度ぱしんと光也の背をたたき、真央子はひょいっとその顔をのぞきこむ。
 すると、光也は驚いたように真央子を凝視し、ふとおだやかに微笑んだ。
「なってもらわないと困るよ」
 光也のその言葉に、真央子はくすりと笑い肩をすくめる。
 本当に、この友達は、一体どれほどお人よしなのだろうかと。
 どうしてそこまで、自分をふった相手を思いやることができるのだろうか。
 真央子には、きっとできない。
 悔しくて、辛くて、いっそ、相手も不幸になってしまえばいい、なんて思うかもしれない。
 真央子はまだ、そういう気持ちは味わったことがないから、よくわからないけれど。
「……だって、あれ、本人、まだ気づいていないわよ?」
「まーねー……」
 すっと視線を落とした光也と、真央子の目がばちりと合った。
 そして、二人、くすりと苦く笑う。
 そういえば、いちばんの問題はそこにあったかと。
 当の萌歌が、抱く思いに気づいていないように見える。
 どうして胸に指輪を忍ばせているのかすら、萌歌は気づいていない。
 ……きっと。あの様子では。
「気づいていないのは本人だけだね。まあ、だからって、教えてやるほど俺はお人よしじゃないけれど。あの留学生、じりじりじれていればいいんだ。まだまだ幸せになどなられてたまるか」
「うわっ。ブラック光也降臨ね」
 にやっと意地悪く微笑む光也に、真央子は楽しそうにくすくす笑う。
「そうそう、降臨降臨。俺は、俺をふった女にまで優しくできるほど、人ができていないのです」
 すっとまっすぐ前を向き、廊下の突き当たりを見つめながら、光也は得意げにそう語る。
 その横で、真央子は肩をすくめながら、くすくす笑い続ける。
「……嘘ばっかり」
 そう、さりげなくつぶやいて。
 そのつぶやきに、光也は困ったように微笑んでいた。
 本当に、嘘ばかりだと。矛盾していると。
 もう、光也では駄目だと悟ったその時から、馬鹿みたいに萌歌の幸せを願ってしまっていた。
 どうして、これほど、まぬけなほど、人がよすぎるのだろうかと、光也は自らでも思ってしまう。
 今は、こうしてともにいて、慰めようとしてくれる友達が、少しは光也の救いになっている。
 皮肉にも、失恋してしまったその女性の親友だけれど。
 だけど、それを抜きにしても、仲がいい友達にはかわりない。


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update:08/03/21