恋するマリオネット
(51)

 街を一望することができるホテルの最上階。
 そこに、今夜もフィガロットたちは帰ってきた。
 一応留学していることになっているので、そう長くはホテルにはいられない。
 そこでそろそろ、ランバートたちもともに住めるくらいの広さの賃貸マンションを探しはじめているようだけれど、そのような都合のいい物件はなかなか見つからないらしい。
 だから、ホテル暮らしがまだ続いている。
 リビングでは、くすくす笑うフィガロット相手に、萌歌が頬をふくらませ何やらご立腹している。
 どうやら、ルームサービスで頼んだスウィーツをめぐって、口喧嘩をしているよう。
 フルーツゼリーにそえられたぶどうの皮を、うまい具合にむけない萌歌の助けをしようと手を出したフィガロットに、萌歌が敵意をぎらぎらとむきだしにしている。
 「こどもじゃないのだから手出し無用よ!」と……。
 意地になっている萌歌を、フィガロットは楽しそうに見ている。
 ランバートは、窓辺に立ち街を見下ろしながら、それをちらっと横目で見る。
 その横には、ジョルーがともにいる。
「なかなかよい傾向のようですね」
 くすくす笑いながら、ランバートがつぶやいた。
 ジョルーの顔が怪訝げにゆがむ。
「それは、どういう意味ですか? ランバートさま」
 どこか険しく見つめるジョルーに、ランバートはおや?と首をかしげる。
 何故、そのように敵視するように見られなければならないのだろうかと。
「そのままですよ。萌歌さんは徐々に、フィガロットさまを受け入れはじめている。最初はどうなることかと思いましたけれど……」
 窓に映る、背での、萌歌の格闘と、それを見守るフィガロットを見て、ランバートはやはり楽しそうにくすくす笑う。
 恐らく、あの二人、窓にその姿が映っていることになど気づかずに、そうして口喧嘩を続けているのだろう。
 しかし、ランバートのその言葉に、ジョルーはどこか考え込んでしまった。
 そして、険しい顔で、同じく、窓に映る萌歌とフィガロットをにらみつけるように見ながら、ぽつりとつぶやく。
「そう上手くいくでしょうか……?」
 それは、ジョルーがずっと懸念していること。
 はじめの頃の萌歌の警戒ぶりを知っているだけに、ジョルーには今のこの状況がはめられたもののように思えてならない。
 まるで、人形劇を見ているような……。
 そう、マリオネットの王子の横にいるその女性までも、操り人形に見えて仕方がない。
 たしかに今、二人は一見幸せそうだけれど、それはジョルーには砂上のものに見えて仕方がない。
 今にも壊れてしまいそうな、危ういひと時の幸福に見えて……。
「上手くいってもらわねば、我々がここまで来た意味がないでしょう」
 険しく顔をくもらせるジョルーを横目でちらりと見て、ランバートはきっぱり言い放つ。
 どこか険しい表情を浮かべていた。
 ランバートにもまた、背にする二人のその姿はまるでガラス細工のようだと、嫌というほどわかってしまうから。
 萌歌の心は、まだフィガロットのそばにはない。


 しとしとと霧雨が降っている。
 昨日の夕方の不気味なほどの赤い空は、やはり雨をもたらした。
 まだ昼前だというのに、外は夕暮れ間近のように暗い。
 どことなく恐ろしいものを感じてしまう。
 ぶるるっと、身が自然震える。
 そのような雨の中、二週間後に学祭を控えているとあれば、やはり、萌歌たちも強制的にここに集められてしまうわけで……。
 さすがに、講義がある時間帯は強制連行されることはないけれど。
 たとえ、相手があのめちゃくちゃな大谷代表だとしても。
「へえー。日本の学校には、そんな行事があるのか……」
 しみじみと、感心したように、フィガロットがつぶやいた。
 一体、今までどこに目をつけていた!?と問いただしたくなるほど、きょとんとして。
 足元に広がる血まみれの物体をのんびりながめながら。
 そろそろ、このサークルにナンパされて二週間がたとうかというのに、フィガロットはこれまでその存在に気づかなかったらしい。
 まあ、これまでは、初日から一度も足を踏み入れていなかったようだけれど。
 だって、そこには萌歌がいなかったから。
 萌歌は、あの日からここ――文化研究サークル部室を避ける傾向にあった。
 それは何故なのか、今ではフィガロットにもなんとなくわかるような気がする。
 ……きっと、初日にも見たあの男が、今も萌歌と真央子とともにいるその男が、大きく影響しているのだろう。
 その男に接する萌歌は、どことなくぎこちない。
 フィガロットに対してもぎこちないけれど、そのぎこちなさとはまた違ったもの。
 感心したように血みどろ物体を見つめるフィガロットに、女子学生たちがすすすっとすり寄っていく。
 それを、男子学生たちが、何故だかひゅーひゅーとはやしたてたりなどしている。
「ねえ、フィガロットくん。こっちへ来て、一緒に準備しよう」
 中には、そうしてフィガロットへ腕をのばしてくる女子学生もいる。
 だけど、その腕をつかまれる前に、フィガロットはすっとよけた。
 今度は、ここに萌歌がいるから。
 まあ、萌歌がいなくたって、萌歌以外の女性に簡単に触れさせたくはないけれど。
 しかし、そう簡単にはいかないようで、腕は回避できたものの、今度は背をぐいぐいとおされてしまった。
 どうやら、違う女子学生に後ろにまわりこまれていたらしい。
 気づかれないように、フィガロットは舌打ちをする。
「もてもてね……」
 その様子を一歩はなれたところで見ながら、真央子がどこかおもしろくなさそうにつぶやいた。
 そして、ちらりと、横でたんたんと作業をこなしていく萌歌へ視線を移す。
 そこには、今の萌歌の心境をあらわしているかのように、まるで般若のようににらみつける不気味な女の姿が描かれている。
 どうやらまだ、のんびりとポスターの作業をしていたらしい。
「それにしても、いいわけ? あの金髪野郎、あの通り、無駄に愛想をふりまいているけれど?」
 くすくす意地悪く笑いながら、真央子は萌歌にそっと耳打つ。
 真央子には、ちやほやされるあの金髪野郎を見るのはおもしろくないけれど、それを気にしないようにと必死に目をそらしている萌歌はなんだかおもしろく思えてしまう。
 結局は、真央子は、萌歌の味方なのかどうかは、この件に関してはよくわかっていない。
「ま、真央子!?」
 瞬間、萌歌はかっと顔を真っ赤にそめ、真央子を凝視した。
 それで、確定。
 これは、楽しめそうな予感がする。
 まあ、光也には悪いけれど、このようにおもしろそうなこと、真央子は楽しまずにはいられない。
「冗談よ。だけど、あんたも気をつけておきなさいよ。逆恨みをして因縁をつけてくる女がどこにいるかわからないからね」
 くすくす笑いながら、非難するように見つめる萌歌のおでこを、真央子はこつんと小突く。
 萌歌は気が強くてしっかりしているように見えて、だけどどこかにぶいところがあることを、真央子はよく知っている。
 そして、からかうとおもしろいことも。
「え……?」
 瞬間、萌歌の顔が訝しげにゆがんだ。
 それを見て、真央子はふうとため息をつく。
 呆れたように萌歌を見ている。
「あら? 知らぬは本人ばかりなり、ね。あんた、女子学生の目の敵になっているわよ、今。あの金髪男、言ったみたいよ? この国には愛しい人を追いかけて……と。それで、その相手はあんただってまるわかりじゃない。ストーカーよろしく、あれだけつきまとわれていちゃ」
 けろりとそう告げる真央子を、萌歌は惜しみなく凝視する。
 その顔からは色が失われている。
「うそ……」
「本当」
 またしても、やけにあっさりと真央子はそう言い切る。
「で、どうなの? あんたのダーリン、取り返してこなくていいの?」
 そして、またくすくす笑いながら、からかうような眼差しを萌歌へ向ける。
「ダ、ダーリンって、何!?」
 からかう真央子に、萌歌はあからさまに動揺をみせる。
 もちろん、その顔は真っ赤にそまっている。
 萌歌は持っていた赤い絵の具がたっぷりついた筆を、ぽろりと落としてしまった。
 そうして、以前のように、やけにリアルなポスターができあがってしまった。
 そこに偶然にも描かれたものは、なんとリアルな血溜りのことか。


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update:08/03/30