恋するマリオネット
(54)

 空は、憎らしいくらいの秋晴れ。
 このような日に、このような閉ざされた教室で講義を受けなければならないなんて、拷問以外のなにものでもない。
 そういう日は、外へ出て思いっきりかけまわりたい。
 ……子供や犬じゃないけれど。
 それに、ただでさえ、もうすぐそこまで楽しいイベントが迫ってきているのだから、学生たちに、そわそわするな、うわつくな、という方が無理なはなし。
 本当なら、こんな講義なんてさぼって、みんなそちらへといきたいところだろう。
 しかし、さぼれば単位があぶなくなる。
 よりにもよって、出席点が重視される講義だなんて……。
 なんて意地が悪い講義なのか。
「萌歌っ!」
 あと数分で次の講義がはじまろうという時、萌歌はふいに背後からそう声をかけられた。
 その優しく萌歌の名を呼ぶ声に、どくんと心臓がおかしな動きをした。
 まるではじかれるように萌歌が振り向くと、そこには意外な顔があった。
 だけど、その声から予想通りの顔でもある。
「え? フィ、フィガロット!? フィガロットもこの講義をとっていたの?」
「うん。一緒に受けよう」
 ぎょっと目を見開く萌歌のもとへ、フィガロットはするりと身をすべらせる。
 後期がはじまってもうそろそろひと月はたとうというのに、これまでこの講義でフィガロットの姿など見たことがなかったのに、何故今頃になって?
 一体、どのような裏技を使ったのか。
 もとは、フィガロットにはこの講義の単位をとる気がなかったとか?
 それとも、どこからか、この講義を萌歌がとっているとききつけ、そしてやってきた……なんてそんな自信過剰なこと、この男なら思いっきりあり得そうだけれど。
 近頃、萌歌はなんだか、フィガロットというこの王子様のことがわかるようになってきたよう。
「お邪魔虫がきたわ」
 萌歌を嬉しそうに見下ろすフィガロットへ、じとりととっても不服そうに真央子が視線を送る。
 フィガロットのストーカーっぷりに、真央子の親友があらぬ言いがかりをつけられているのだから、真央子としてはおもしろくない。
 ……まあ、あらぬ≠ニいうところは、あやしいところだけれど。
 だって、萌歌もまんざらでは……むしろ、思い切りそのよう≠轤オいから。
 いい加減素直になればいいのに、と思わないこともないけれど、素直になれない何かが、この二人の間にはありそうに思えることも、また事実。
 一体、ヴィーダガーベで行方不明になっていたそのひと月の間に、何があったのか……。
 それは、真央子には知ることはきっとできないだろう。
 萌歌もフィガロットも、きっとそれは真央子に教えてくれないだろうから。
「大丈夫だよ。僕は萌歌のこちら側の隣に座るから。二人の間にはわりこまないよ」
 うっとうしげににらみつける真央子に、フィガロットはにっこり微笑みながら、その言葉通り真央子とは逆の萌歌の横に腰をおろしていく。
 まるで当たり前のようにそうされているように見えるから、真央子はなんだか腹が立ってくる。
「いや、そういう問題じゃないし」
 同時に、真央子はとってもあきれてもいた。
 ここまであからさまに、萌歌への思いをひけらかされては。
 ここまで思われているのに、萌歌もどうしてなかなか素直にならないのだろうか。
 にこにこと嬉しそうに萌歌の横に腰をおろし、ノートとペンケースの準備をすませたフィガロットは満足そうに微笑む。
 そして、楽しそうに、萌歌と真央子へ顔を向けた。
「そうそう。大谷くんが言っていたけれど、今日、講義がすべて終わったら第二講堂に集合だって。下準備はできたから、あとはかたちにしていくだけだとか。――いよいよ明後日だね」
 ほくほくと、まるで運動会やら遠足の日を翌日に控えた小学生のように、フィガロットは嬉しげに微笑む。
 そのあまりにも無邪気すぎる微笑みに、萌歌は一瞬ぽかんと口をあけてしまった。
 それから、やっぱりくすりと肩をすくめることになる。
 むちゃくちゃなことをされたはずなのに、萌歌はフィガロットをどうにも憎めなくなってしまう。
 こんな無垢な微笑みを見せられては。
「フィガロット、いつの間に大谷くんとそんなに仲良くなったの?」
「ん? はじめからだよ。学生ホールでナンパされてから」
 ちょっぴり不思議そうに尋ねる萌歌に、フィガロットはあっけらかんと答える。
「あれ? やっぱりナンパなんだ?」
 すると、ひょいっと上体をつきだし、真央子が楽しそうに問いかけた。
 どうやら、フィガロットが口にしたそのことは、真央子の興味をひきつけるものだったらしい。
 それまでのおもしろくない感情を、吹き飛ばせる程度に。
「そうですよー。あの時はびっくりしたよ。いきなり、俺とお茶しない?とか言われたのだよ? 僕、女の子と間違われちゃったのかと思ったよ」
 むむーと眉間にしわを寄せ、フィガロットは恐ろしそうな表情をつくってみせる。
 おどけたようなフィガロットの仕草と口調に、真央子はぶはっと吹き出していた。
 そして、けらけら笑いはじめる。
「ないない。そんなごつい男を女の子なんて!」
 フィガロットも、真央子と一緒になって、くすくす笑い出してしまった。
 そのような二人にはさまれ、萌歌はどことなくおもしろくなさそうにちょっぴり頬をふくらませている。
 それから、ぽつりとつぶやく。
「……真央子、いつの間にフィガロットとそんなに仲良くなったの?」
 そして、ほんの少し前にした質問とほぼ同じものを、今度は真央子にしていた。
 本当に、いつの間に、こんな冗談が言い合える仲になっていたのか。萌歌の知らないところで。
 なんだか、萌歌の胸がむかむかして仕方がない。
「あれ? 萌歌、あんた、もしかして……やいている?」
 笑いすぎたために目ににじんだ涙をぬぐいながら、真央子は楽しそうに萌歌を見つめる。
「え……?」
 さらには、その言葉に反応したのか、反対側のすぐ横では、なんだか照れたように、嬉しそうにぱっと顔をはなやがせるフィガロットまでいる。
 フィガロットの頬が、ピンク色に染まっている。
 瞬間、萌歌の顔がざあっと赤く染まっていた。
 そして、ぐいっとフィガロットの顔をおしやりながら、
「あり得ない!」
力いっぱいそう叫んでいた。
 本当に、あり得ない。
 萌歌がフィガロットにやきもちをやくだなんて……。
 まだまだそんな気持ちのはずはないのに。
 ……まだまだ≠ニいうことは、それはこれから≠ネらあるということ?
「はいはい。もう、この子は、素直じゃないのだから」
 真央子は適当にそう萌歌をあしらう。
 けらけらと、やっぱり笑いながら。
「素直ですー」
 萌歌はぷっくりと頬をふくらませる。
 悔しそうに真央子をにらみつける。
「悲しいな。せっかく、萌歌が僕を受け入れてくれたと思っていたのに……」
 萌歌が真央子をにらみつけていると、背後から、ぼそりと、覇気がない声が聞こえてきた。
 それにはっとなり振り返ると、そこには、まるで捨てられた子犬のようにしゅんと身を縮ませ、恨めしそうに萌歌を見つめるフィガロットの姿があった。
 瞬間、ぼんと、萌歌の頭が噴火した。
「な!? フィ、フィガロット!?」
「これじゃあ、何のために日本までやってきたのか……」
 いじいじといじけながら、だけど萌歌に見えないように、フィガロットはにやりと笑っていた。
 どうやら、真央子と一緒になって萌歌をからかっているらしい。
 ――その、たちが悪すぎる冗談を言って。
 今の萌歌には、それは冗談になどならないというのに。
 だって、フィガロットは本当に、萌歌を追って、萌歌に会うために、日本までやってきたのだから。
「――ん? あれ? じゃあ、やっぱり、ここへは萌歌を追いかけて……というのは本当なんだ?」
「うん」
 ふとそのことに気づいたように問いかける真央子に、フィガロットはさらっと即答していた。
 こくんと首をたてに振る。
 それから二人、萌歌越しに顔を見合わせ、にやりと微笑みくすくす笑い出す。
 そこでようやく、萌歌は何かにはっと気づき、どかんと噴火した。
「フィ、フィガロット! 真央子ー!」
「あはは。この子、照れているよー!」
 顔を真っ赤にして憤る萌歌を、真央子はさらにそうしてからかって遊び出す。
 それとは逆の横では、フィガロットも楽しそうにくすくす笑っている。
 愛しそうに萌歌を見つめながら。
「ちがーう!」
 だけどやっぱり、萌歌はそう怒鳴り、力いっぱいめいっぱい否定する。
 その時、ちょうどチャイムが鳴り、講義のはじまりを告げた。


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update:08/04/28