恋するマリオネット
(55)

 萌歌はまた、フィガロットが滞在するホテルへとやってきた。
 領事館や大使館があるのならばそちらへ身を寄せた方が経済的だろうに、どうやら今回のこれはお忍びらしく、それもままならないよう。
 王子のわがままで、実行されたらしい。
 ……そのように、ランバートがフィガロットに内緒で萌歌に耳打った。
 つまりは、下手に騒ぎ立てるな、という脅しでもあったのだろう。
 本当に、この悪徳神官は侮れない。
 また同時に、ホテルに滞在しているということは、それほど長くこの国にとどまらせる気はないのかもしれない。
 一応、マンションを探してはいるらしいけれど、それもどうにも本気には思えない。
 とりあえず、一国の王族というのならば、それくらいすぐにどうにかできるくらいの力はあるだろう。
 それを、どうにかしないということは、つまりはそういうことだろう。
 急がないと言っているのはフィガロットだけで、間違いなく、まわりの者たちは急がせたいのだろう。
 萌歌にもわかってしまうから。
 次の王となるその王子を、そう長く、国をはなれさせるわけにいかないだろうことくらい。
 何よりも、萌歌はランバートから教えられてしまっている。
 ヴィーダガーベでいうところの、王とは、次の王とは、どういうことなのか。
 彼らは、ヴィーダガーベ全国民の犠牲になるためだけに、生きている。……生かされている。
 マリオネットにすぎない。
 そのようなフィガロットが、萌歌を求めている。
 ランバートは、そう言っていた。
 萌歌ははじめの頃はその意味がわからなかったけれど、今ではなんとなくわかるような気がする。
 フィガロットの心に触れてしまったから。
 ……これは、きっと、失態。
 本当は、萌歌はフィガロットにこんなに近寄る気なんてなかったのに。
 だけど、フィガロットがストーカーのように萌歌を追いかけるから、だから……。
 これではまるで、追いかけっこで鬼につかまってしまったような気分。
 そう、つかまっても、なんだかわくわくしてしまうような……。
 ――あれ? 萌歌は、わくわくしているの?
 そのようないろいろな疑問が頭によぎり、そして、萌歌の微笑みひとつで笑顔を見せるその王子が気になってしまった。
 それで、もっと話が聞きたいと、したいと、萌歌は思ってしまった。
 ……ただ、話を聞きたいだけ。したいだけ。
 だから萌歌は、フィガロットが滞在するホテルへ一緒にやってきている。
 まだそうとしか認めない。
 胸にともる火には気づいてしまったけれど……だけど、やっぱり素直にはなれない。
 どことなく難しそうに顔をくもらせ、だけどもう逃げなくなった萌歌に、フィガロットは嬉しそうに微笑んでいる。
 その微笑みを見ると、萌歌の胸は、どきんとおかしな動きをしてしまう。
 ……やっぱり、どことなく、おもしろくない。
 流されているみたいで。
「でもすごいよね、本当……。どうすれば、そんなに短期間で、言葉を覚えられるの?」
 萌歌はぽすんとソファにうずまり、どこかおもしろくなさそうに、目の前に座るフィガロットを見る。
 ランバートたちは、何やら用があると言って、この部屋に帰ってきたらすぐにどこかへ出かけて行ってしまった。
 フィガロットが言うには、恐らく、国と連絡をとっているのだろうということ。
 王子のわがままはきいたとはいえ、さすがに放っておいてはくれないらしい。
 まあ、それは当たり前だけれど。
 ――しかし、ランバートたちのその行動に、他意を感じてしまうのも事実。
 何しろ、あの男は悪徳神官だから。
 フィガロットはコーヒーカップを唇からはなし、小さく微笑む。
 どことなく、ぎこちなく。
 いつもなら、国にいる時ならば、この時間はアルコールを飲んでいるところだけれど、今は萌歌がこうしてやってきてくれているので、萌歌に合わせフィガロットもコーヒーで我慢している。
 嫌なことをアルコールで忘れるために、時折口にしていた。
 日本へ来てからは、アルコールを飲む必要があることもないので、ノンアルコールでも辛くはない。
 それに、酔ってしまっては、まともな思考で萌歌を見ることができない。
 こうして言葉をかわすことは本当に嬉しいから、できるならばしっかりと向き合いたい。
 だから、フィガロットはアルコールを我慢する。
 ……まあ、もともと、アルコールはたしなみ程度にしかしないけれど。
 時々、自棄酒はするけれど。
「さあ……? わからないなあ。気づいたら覚えていた」
 フィガロットは、くすりと笑い肩をすくめる。
 本当に、そのようなことを聞かれても、フィガロットにはわからない。
 ただ、無我夢中だったから。
 萌歌と話をしたいというその一心で、フィガロットは日本語を覚えた。
 まさか、恋≠ニいうものが、このように不可能を可能にしてしまうなど、フィガロットはこれまで思いもしなかったけれど……。
 だけど、もしかしたら、それが普通なのかもしれない。恋≠ニいうものは。
 こうして、犯罪めいて強引に事をすすめてしまえる程度に。
 それすらも厭わなくさせる。理性を失わせる。
「気づいたら……? 生意気っ」
 どうやら、フィガロットのその答えは、萌歌としてはとってもおもしろくないものだったらしい。
 ふんと憤って、むむっと眉根を寄せていく。
 この女性の怒りのつぼが、フィガロットにはいまいちよくわからない。
 怒ると思ったことでも怒らなかったり、大丈夫だろうと思ったことで予想以上に怒ったり……。
 まあ、そういうわからないところをひとつひとつ解明し理解していくのも、またおもしろいのだけれど。
 だって、萌歌を知れば知るほど、フィガロットの思いは大きくなっていくから。そうわかるから。
 それに、近頃の萌歌の歩み寄りが、フィガロットはとても嬉しい。
 ついつい、くすくすくす……と声に出して笑ってしまう。
「……だけど、不思議。まさか、萌歌とこうして話ができるようになるなんて……」
 フィガロットはぴたりと笑いをやめ、むうとふくれる萌歌をじっと見つめる。
 すると、瞬間、萌歌は慌ててフィガロットから顔をそらした。
 頬をほんのり桜色に染めている。
 それが、フィガロットをさらに嬉しくする。
「だ、だったら、話してなんてやらないわ。っていうか、そんなに見つめないでよ!」
 萌歌はすぐ横においてあったクッションを乱暴にとり、ぼふっとフィガロットへ投げつける。
 フィガロットはそれを難なくキャッチして、そこにぽすっと顔をうずめる。
 そして、そこから、申し訳なさそうに萌歌を見つめる。
 ……申し訳なくなどまったく思っていないから、そう振る舞っているにすぎないけれど。
 だって、このような萌歌の反応に、フィガロットは嬉しく思うことはあっても、申し訳なくなんて思えない。
「……ごめん。だけど、本当に嬉しくて」
 その言葉に、萌歌はふいっと顔を戻した。
 そして、フィガロットをじっと見つめる。
 妙に真剣に。妙にまっすぐに。


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update:08/05/05