恋するマリオネット
(56)

「本当に……あの時、非常階段で言ったことは本当なの? わたしは信じてもいいの?」
 どことなく不安げに、まっすぐ見つめる萌歌の瞳がゆらぐ。
 それで、フィガロットは萌歌が何を言いたいのかわかってしまった。
 つまりは、そういうことだろう。
 萌歌は今、とてもゆれている。フィガロットが望む方向へと。
 一歩を踏み出してもいいのか、それをフィガロットに確認しているのだろう。
 まさかこのようにはやくに、このような奇跡が起ころうなど、フィガロットは思っていなかった。
 萌歌に言ったあの長期戦という言葉は、かなり本気だった。
 いつの間に、萌歌はこんなにフィガロットに心を開いていたのだろう?
 ……萌歌を愛しているといっても、まだまだかもしれない。まだまだたりない。
 フィガロットは、萌歌のその心の動きに気づけなかったのだから。
 萌歌の歩み寄りが嬉しいというその思いが、まるで目隠しをするように邪魔してくれていたのだろう。
「何故、信じてくれないの?」
 だけど、萌歌の気持ちがわかってしまったら、同時に淋しくもなった。
 だってそれは、つまりはそういうことだから。
 フィガロットの言葉を、信じてはくれていなかったようだから……。
 まあ、たしかに、このような状態では簡単に信じられないだろうけれど。
 だけど、あのようなふざけた出会いだったけれど、抱く思いは本当。
 ……時を経るにつれ、本当になった。ゆるぎないものになった。
「……そういうきりかえしは、卑怯だわ」
 むっと眉根をよせ、萌歌が責めるようにフィガロットを見つめる。
 まあ、そういう反応が返ってくるとは、フィガロットもわかっていたけれど。
 だけどやっぱり、萌歌のその問いかけは、おもしろくなかったことも事実。
 だから、フィガロットはちょっぴり意地悪してしまう。
「そういう質問も卑怯だと思うよ。僕は本当のことしか萌歌に言っていないよ」
 フィガロットは持っていたカップをソーサーにゆっくり置き、まっすぐに萌歌を見つめる。
 フィガロットのその目は、熱く、萌歌を見つめている。
「え……?」
 あまりにもまっすぐ見つめるフィガロットのその目に、萌歌はたじろいでしまった。
 その返事だけでなく、その仕草に、驚き、戸惑っているのだろう。
 ふうっとひとつ息をはきだし、フィガロットがすっと立ち上がった。
 それを見て、萌歌はびくりと体をふるわせ、ソファから立ち上がろうとする。
 だけど、その前に、フィガロットが萌歌の両腕をつかみ、それはかなわなくなってしまった。
「逃げないで。何もしないから」
 そう言って、どこか切なそうに、苦しそうに、フィガロットは萌歌を見つめる。
 その目は、求めるように萌歌を映している。
 びくんと、萌歌の体がまた震えた。
「……何もしないって言ったじゃない」
 そして、萌歌はぽつりとつぶやく。
 萌歌の胸に、締めつけられるような熱い思いがどっと湧き出した。
 だって、何もしないと言ったそばから、フィガロットは……。
 フィガロットの腕は、包み込むように、だけど力強く、萌歌を抱きしめている。
「だから、何もしていない」
「で、でも……」
 フィガロットの胸の中で、萌歌はどぎまぎとそう答える。
 何故、いきなりこういうことになってしまったのだろう。
 一体、これのどこが何もしていないというのだろう。
 思いっきり、何もしている。
 だけど、何故だか、萌歌はフィガロットを振りほどけない。
 何故などではなくて、萌歌が気づいてしまったその思いのために、フィガロットを振りほどけない。
 だって、萌歌は嫌じゃないから。
 こうして、フィガロットに抱きしめられることは。
 それどころか……。
「しばらくこうしていて欲しい。本当に、本当に僕は……」
 フィガロットは苦しげにそうささやき、萌歌を抱く腕にさらに力がこもる。
 萌歌を包むその腕は、胸は、小刻みに震えているような気がする。
 それに気づいてしまったら、萌歌の胸は壊れそうなほどしめつけられた。
 もうどうすればいいのかわからない。
 どうすればいいのかわからないのではなくて……もしかしたら、萌歌もそうしたいと思っていたのかもしれない。
 フィガロットの腕に抱かれていたいと……。
 でも、こんなの、都合がよすぎる。やっぱり。
 あれほど萌歌はフィガロットを避けていたのに、今さら……。
 だけど、気づいてしまったら、その思い、萌歌にはもうとめられない。
 最初は、たしかに同情のはずだったのに。
 きっと、フィガロットがいけないんだ。
 フィガロットが萌歌をそんなに熱い眼差しでいつも見つめているから、それに気づいてしまったから……だから、萌歌は流されてしまう。
 この胸の中がこんなに心地いいなんて思わなかった。
「……わからないよ……」
 結局、抵抗らしい抵抗すらできず、萌歌はただぽつりとつぶやいていた。
 きゅっと、フィガロットの胸に顔をおしつける。
 ヴィーダガーベの王宮で、フィガロットが萌歌にむりやりキスをした時は、あんなに嫌だと思ったのに。
 だけど、空港での別れ際のフィガロットのあの顔が、萌歌の頭からはなれない。
 そして、今では、その嫌いなはずの男の胸の中が心地いいと、萌歌は思ってしまっている。
 そんな自分自身が、萌歌はわからない。
 まだ素直にこの胸にすがることはできないけれど、だけど、いつかきっと……。
 萌歌は、手に入れたくなってしまった。
 もう、同情でも愛情でも、何でもいい。
 今は、この胸が欲しいと感じるから。
 きっと、いつかは決着をつけなければならないのだろう。
 その時、萌歌はどう判断を下しているのだろうか?
 欲しいと思うけれど、いろいろなことを考えると、怖くなり、ためらわれる。


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update:08/05/13