恋するマリオネット
(62)

 やはり、まったく平気じゃなかった。
 萌歌の方が正しかった。
 ……と思いたいのに、どうにもそうは思わせてくれないらしい。
 たしかに、きらきらの髪をなびかせ颯爽と歩くその吸血鬼――王子様の姿は、人目をひく。
 人目をひくけれど、このような奇天烈な男に声をかける勇者もなかなかいないよう。
 みんな、物珍しそうに眺めるだけで、これといって声はかけていない。
 さすがに、お化け屋敷の前でそのような格好をしていれば、呼び込みの看板でも持っていれば、それは客寄せで、きゃあきゃあと楽しんでもいいと判断できるけれど、こうして普通にキャンパスを歩かれては、声もかけづらい。楽しみづらい。
 何よりも、一緒に女性の姿があるのだから、下手に声などかけられようはずがない。
 声はかけられずとも、奇妙な格好の留学生を好奇の目で見るその視線だけはあるようで、普段人の注目に慣れていない萌歌はとっても疲れてしまう。
 フィガロットは国へ帰れば王子なので、普段から人目にさらされ、とりあえずは慣れているのだろうけれど。
 だって、疲れを見せはじめた萌歌とは違い、フィガロットは相変わらずぴんぴんとして元気なのだから。
 先ほど、第二講堂三階バルコニーに現れたよれよれ王子と同一人物とは思えない。
 消耗しきってしまったはずなのに、そのパワー、一体どこからくるのか……。
 もしかしたら、フィガロットは、地球人ではなく宇宙人なのかもしれない。
 こどものようにはしゃぐフィガロットに萌歌は手をひかれ、気づけばキャンパス一周の旅が終わっていた。
 所要時間、わずか一時間にも満たなかった。
 あまり広くはないとはいっても、さすがにこれだけ人が多い場所を、そのような短時間でまわってしまうなど、普通じゃない。
 もとから、フィガロットが普通じゃないことくらい、萌歌だってわかっていたけれど。
 さすがに疲れの色を見せはじめた萌歌に気づき、フィガロットは再び第二講堂三階バルコニーへささっと逃げ込んでいく。
 学祭のこの三日間においては、ここは文化研究サークルメンバー以外は立ち入れないことになっているので、とりあえずキャンパス内ではここがいちばん安全だろうとそう思い。
 この暗がりでは、人の目を気にするどころではない。
 まずはこの暗さに目を慣らさなければならない。
 まだ元気まんまんのフィガロットの腕には、ぐったりとよりかかるように抱きつく萌歌がいた。
 フィガロットは置いてある荷物をけちらし、萌歌の肩をすっと抱き、ゆっくりと床へ座らせていく。
 それから、フィガロットもすぐ横に座れるスペースを作り、腰をおろしていく。
 すると、ぽすんと、フィガロットの肩に萌歌の頭がよりかかった。
 普段なら考えられない萌歌のこの行動に、フィガロットの思考は一瞬にして地球を一周してきてしまった。
 それに、心臓もおともしていたかもしれない。
 必要以上に、動悸がはやくなる。
「疲れた? 萌歌?」
 実はいっぱいいっぱいな自分に気づかれないように、フィガロットはいたって平静を装う。
 だけど、にじみ出てきてしまう嬉しさはどうにも隠せない。
 思わずフィガロットの顔がほころんでしまう。
「疲れたに決まっているじゃない。だから、その奇天烈な格好でわまるのはよせと言ったのに……」
 ずるずるずるーと、萌歌はさらにフィガロットにもたれかかる。
 その思いがけない萌歌の歩み寄りに、フィガロットはさりげなさを装い抱き寄せる。
 このまま萌歌につきとばされてしまいそうな気がするけれど、もしもの奇跡を信じて。
 すると、意外にも、あっさり奇跡は起こってしまった。
「あはは。でも、楽しかったよね?」
「もうっ、このお馬鹿王子は!」
 抱き寄せた胸をぽんとたたき、そこで萌歌が憤ってみせる。
 それは、ぽんと優しく触れたただけ、つきとばそうとしたものではない。
 つまりは、フィガロットがこのまま抱き寄せ続けることを、萌歌も了承したということだろう。
 フィガロットは気づけば、ふわりと、ぷうとふくれる萌歌の頬に触れていた。
 すると、萌歌の体がぴくんと反応し、じっとフィガロットを見つめる。
 そのまっすぐな萌歌の目に、フィガロットの目がとらわれてしまう。
 ぞくぞくぞくっと、フィガロットの体の底から得たいの知れない快感が駆け上ってくる。
 同時に、とても危険な衝動にかられそうになる。
 だけど、それは今はぐっとこらえなければならない。
 このまま萌歌にキスをしたくなってしまったなんて、そんなことは……。
 以前、フィガロットはそれで大失敗をしている。
 あの時は、あまりにも萌歌がつれなくて、悲しくて、それが情動とかわってしまって、気づけばあのようなことをしてしまっていた。
 その後、萌歌の涙を見て、フィガロットはすぐに後悔した。罪悪感に支配された。
 萌歌にたたかれた頬がひどく熱かったことを、フィガロットは覚えている。
 だから、もう二度と衝動にまかせ萌歌に手を出したりはしないと、フィガロットは自分自身に誓った。
 もう萌歌を泣かせたりはしたくない。
 妙な恍惚感を払拭するように、フィガロットはぶるんと首を一度大きくふる。
 それから、抱き寄せる萌歌を多少名残惜しく解放して、立ち上がる。
 すると、萌歌は不思議そうにフィガロットを見上げた。
「ここでちょっと待っていて、何か飲み物を買ってくるから。……のど乾いたでしょう?」
「え? う、うん……」
 フィガロットがにっこり微笑みそう告げると、萌歌は戸惑ったように答える。
 きっと、あのままずっと、その腕を解かずそこに包み込んでいると、萌歌はそう思っていたのだろう。
 それが、フィガロットをとても嬉しくさせる。
 だけど、実際にはちょっと違っていたらしい。
 萌歌は、その格好のままで行ってはまたもみくちゃにされちゃうわよ?と、助言しようと思ったけれど、ふと、またもまれればいいなんて、そんないじわる心もついつい芽生え、だから、そのようなあやふやな返事になったらしい。
 ううん、そうではなくて……。ふわりと優しく微笑むフィガロットのその目に、萌歌は思わずひかれてしまって、何も言えなくなったから……?
 どちらにしても、フィガロットの嬉しさは、間違いではないということだけは本当。
 薄暗い景色の中に消えていくフィガロットの後ろ姿を、萌歌はただじっと見つめていた。きゅっと両手をにぎりしめて。
 そうしないと、その背に、今にもかけより、とびついてしまいそうになったから。
 まさか、こんな感情に支配されるなんて。
 ……まだ、駄目。
 まだ、わからないから。
 萌歌の中の何かが、まだ駄目だと言っている。
 だけど同時に、そのようなものなどさっさと蹴散らしてやりたいと思う萌歌もいる。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:08/07/07