恋するマリオネット
(64)

 ライヒが、すっと唇を開いた時だった。
 どたばたと、階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
 同時に、血相を変えた真央子が飛び込んできた。
 じりじり後退し、階下へつづく階段にちょうどさしかかっていた三人の女子学生を突き飛ばし。
「萌歌……!!」
 次の瞬間には、真央子に突き飛ばされバランスを崩した女子学生たちの体が、がしりと支えられた。まるで拘束するかのように。
 真央子のすぐ後からやってきた光也と大谷に、その腕ががっちり握られている。
 女子学生たちは、悔しそうに二人をにらみつける。
 そこへ、わらわらと、サークルのメンバーたちもやってきた。
 そのような背での行動など気にもとめず、真央子はまっすぐにフィガロットに抱かれる萌歌へ駆け寄る。
 そして、フィガロットの胸の中から、多少乱暴に萌歌を奪い取った。
 そのまま、苦しそうに、ぎゅうっと抱きしめる。
 真央子の胸に、気を失った萌歌の顔がうずめられる。
 その様子を見て、フィガロットもまた苦しそうに顔をゆがめた。
「大丈夫だよ。萌歌は気を失っているだけだから……」
「フィガロットくん……」
 ぶるぶる震えながら萌歌を抱きしめる真央子の肩に、フィガロットの手がそっとおかれる。
 それは、その言葉通り、真央子を安心させようとしている。
 思わずがばっと上げた真央子の顔が、くしゃくしゃに涙に濡れていく。
 ぽろぽろと、その目から涙があふれだす。
 そのような真央子に、フィガロットは複雑そうに微笑むことしかできなかった。
 真央子の萌歌を思う優しい気持ちにうたれ、だけど同時に、この状況を招いてしまった自分の不甲斐なさに気づき。
 ここにあの女子学生三人がいたことから、このような事態になるまでの過程が、フィガロットには容易に想像できる。
 想像できるだけに、自分を責めずにはいられない。
 同時に、もっとフィガロットが気をつけてやっておけば、このような事態は避けられたかもしれないのにと、後悔が怒濤のように押し寄せてくる。
 がくんと、思わず膝がおれそうになる。
 だけど、ここでフィガロットまでも正気を失ってはならないと、必死に理性をたもつ。
 正気を失ったところでどうにもならないことくらい、やはりフィガロットにもわかるから。
 あの時、萌歌を非常階段に連れ出した時、うまくはぐらかされてしまったけれど……。
 そして、そこから、萌歌は、フィガロットにはこれについては手出しをしてほしくないのだろうとそう気づき、だから萌歌にまかせていた。
 けれど、萌歌を怒らせてでも、フィガロットがあの三人の女子学生の始末をつけておくべきだった。
「……やりすぎだな……」
 女子学生の腕をにぎる手にぐりっと力をこめ、光也がぽつりとつぶやく。
 女子学生の顔が痛みにゆがんだけれど、そのようなものはさらりと無視する。
 今萌歌と真央子が受けている痛みを思えば、たいしたことはない。
 むしろ、これくらいでは足りないくらいだ。
 この女子学生たちは、一歩間違えば、萌歌の命を奪うところだったのだから。
「お前たち、やりすぎなんだよ! いくら萌歌が気に入らないからって、まさか殺す気だったのか!?」
 そう思った瞬間、光也のおさえていた怒りが一気に噴き出した。
 握っていた腕を乱暴にふりはらい、そのままその胸倉をつかむ。
 ぎゅうとしめあげていく。
「ち、違う……っ」
 苦しそうに顔をゆがめながら女子学生はそう否定しようとし、すぐにぐっと言葉をのんだ。
 それは、光也につかみあげられ息苦しいからなどではない。
 もっと恐ろしいものに気づいてしまったから。目に入れてしまったから。
 すぐそこから、この世のものとは思えないほど不気味な視線を向けてくる、その男に。――フィガロットに。
 その目には、まるで、慈悲というものを忘れた魔物が宿っているよう。
「これ以上萌歌に何かしてみろ。その時は、僕がお前たちをただではすまさない」
 フィガロットは、女子学生たちがその姿を目に入れたことを確認すると、射殺すようににらみつけ、だけど静かにそうつぶやいた。
 瞬間、この状況にざわついていたその場が、しんと静まり返る。
 フィガロットのその姿があまりにも恐ろしかったのか、女子学生たちをつかまえていた光也と大谷の手からするりと力がぬけた。
 同時に、千載一遇のチャンスとばかりに、女子学生たちは、やってきた他のサークルのメンバーたちをつきとばし、ばたばたと逃げ去っていった。
 けれど、誰一人として女子学生たちの後を追えなかった。
 先ほどのフィガロットの不気味な目に、まだとらわれたままだから。
 微動だすらできないほど、恐ろしいものだった。
 女子学生たちが脱兎の如く逃げ去ったことを確認すると、フィガロットは真央子の胸の中にいる萌歌へゆっくりと歩み寄る。
 そして、そこにすっとひざまずく。
 萌歌の耳に、フィガロットの苦しそうな顔が近づく。
 そこには、先ほどまでの恐ろしいものは一切なかった。
 かわりに、海よりも深い苦しみが感じられる。
「萌歌、ごめん。僕がもっとしっかりしていれば……」
 フィガロットはふわりと萌歌の頬にふれ、そっとささやいた。
 ゆっくり萌歌の顔からはなれていくフィガロットの頬に、つうっと、涙がつたっていた。
 真央子も光也も目を見開き、フィガロットを凝視する。
 まさかそこまで深く萌歌を思っているなど、二人は思いもしなかった。
 もしかすると、真央子と光也が想像するよりもはるかに強く、フィガロットは萌歌を思っているのかもしれない。
 真央子の腕からフィガロットの胸へと、萌歌の体がゆっくり移されていく。
 その胸に萌歌をおさめたフィガロットの顔が、ふと小さな笑みを、安堵を浮かべる。
 ライヒと呼ばれたその男は、その光景をただ静かに見つめていた。


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update:08/07/27