恋するマリオネット
(69)

 二ヶ月前、この国をやっとの思いで出ることができた時には、まさかこうしてまたやってくるなど、一体誰が思っていただろうか。
 ……きっと、萌歌以外のすべてが確信していたに違いない。
 そう思うと、なんて腹立たしいのだろう。
 結局、萌歌は、この極悪犯罪者たちのいいようにされてしまっているのだから。
 でもまあ、こうなってしまった以上、フィガロットを受け入れてしまった以上、もう仕方がないような気もする。
 だけど、まだまだまだまだ、萌歌はこの国へ渡ってきて暮らすつもりはない。
 とりあえず、大学だけは卒業させてもらう。それだけはゆずれない。
 まだ、もうちょっと、家族と一緒にいたい。友達と一緒にいたい。
 そこまでの勇気は、萌歌はまだもてない。
 それに、その……フィガロットは受け入れたけれど、彼についてくる肩書き、そしてそれによる萌歌に与えられるであろう肩書きは、まだ受け入れる勇気はない。
 本当ならば、そのようなものはない方が望ましい。
 でも、萌歌はそういう肩書きを持つ人を好きになってしまったのだから、ゆっくりでも受け入れていかなければならないだろう。
 そう頭では理解できるものの、気持ちはまだまだついていけていない。
 だって、フィガロットを受け入れて心通わせてから、まだ全然時間がたっていないから。
 今回は、ただ一時的にやってきただけにすぎない。
 あの腹立たしいくらいわが道をいく悪徳神官でさえ、戸惑いを隠せないようなことが起こっているようだから。
 それに、これは、あながち萌歌にも関係ないとは言えないような……。
 だって、フィガロットのお相手は偽物だなんて、そんなことを言われているのだから。
 まあ、それは思い切り事実なのだけれど。
 儀式で選ばれた乙女、という意味でなら。
 でも、フィガロットの心が選んだお相手というのなら、萌歌は間違いなく本物。
 ……萌歌はそうだと信じる。信じられるようになってきた。
 萌歌は、きゅっと、胸元で輝く、空と海と大地をとじこめたその石をにぎりしめる。
「だけど、どうしてばれちゃったの? ランバートほどのくされっぷりをもってすれば、簡単に闇に葬れそうなものを」
 誰にもわからないようにこっそり帰国して、こっそり城へ入り、そしてこっそりフィガロットの私室へやってきた。
 そこに、日本から帰ってきた全員がそろっている。
 ふかふかのソファにどっかり腰を下ろすフィガロットと、抱かれるようにしてそのすぐ隣に腰をおろす萌歌。
 その横のソファに、ライヒがふんぞり返っている。
 ランバートやジョルー、ギリッシュは、そのような三人に向き合うようにして立っている。
「萌歌さん、あなたは一体、わたしを何だとお思いですか?」
 にっこりと、妙に威圧的に、ランバートが萌歌に微笑みかける。
 少し前までの萌歌なら、その微笑みに思わず気おされてしまうこともあっただろうけれど、今の萌歌はその程度ではひるまない。
 ランバートに負けず劣らずにっこり微笑みを浮かべ、きっぱり言い切る。
「え? 極悪犯でしょ」
「極悪犯……どうしてです?」
 はりついたような微笑みを浮かべたまま、ランバートは萌歌へずずいっと迫る。
 ランバートをうっとうしげに見ながら、萌歌は面倒くさそうにため息をもらす。
 その目はすわっているようにも見える。
 フィガロットも、迫ってくるランバートから萌歌を守るように、片足をわずかにあげて、しっしっとふっている。
 このような奴は、手などもったいない、足で十分だとでも言いたげに。
「だって、わたしを監禁して、フィガロットと結婚しろと脅してきたし。フィガロットにあっさり売り渡したし。……これって、立派な人身売買だと思うわ」
 さらりと、だけどたっぷり嫌味をこめて、萌歌はそう言い切る。
 すると、ランバートは迫らせる足をぴたりととめ、もっとにっこり微笑む。
 フィガロットの追い払いはきかなかったというのに、萌歌のその言葉には足をとめずにはいられなかったらしい。
「……どうして、そういう言葉ばかり知っているのでしょうねえ?」
 ランバートは非難するように、やはりにっこり微笑む。
 その額に、ぴくりと青筋が浮かんでいるような気もする。
 ランバートは、笑顔でとってもお怒りらしい。
 どうやら、萌歌はうまい具合に、ランバートの地雷を踏んでしまったよう。……狙い通り。
「あら? だってわたし、日本の普通の女子大学生だもの。あなたたちみたいにお上品にはできていないわ」
 さらに、萌歌の挑発は続く。
 さわやかすぎるくらいさわやかなその微笑みに、背筋に寒いものを感じさせられてならない。
 どうやら、ランバートだけでなく、萌歌もかなりご立腹しているらしい。
 まあ、このようなめちゃくちゃなことをされて、怒らないでいられる方が普通ではないだろう。
「もうそのくらいでいいから。萌歌、ランバートにかまうな。外道がうつる」
 負けじとランバートに喧嘩を売っていく萌歌を、呆れたようにフィガロットが制止する。
 ぐいっと、その胸に顔をおしつけて。
 呆れてはいるけれど、その顔はとってもおもしろくなくゆがんでいる。
 ぷっくりと頬をふくらませ、つんと口をとがらせる。
 どうやら、フィガロットはフィガロットで、萌歌とランバートが楽しそうにいがみ合うその様子がとっても不愉快らしい。
 萌歌をとられたような気がして。
 フィガロットの胸へ抱き寄せられ、萌歌はぽっと頬をあからめて、何故だかぴたりと憎まれ口をたたくことをやめてしまった。
 ゆっくりと、萌歌の手がフィガロットの胸に触れる。
 そして、萌歌はふにゃっと顔をほころばせていた。
 触れるそこから聞こえて来る、とくんとくんという規則正しい命を刻む音が、萌歌は何故だかとても心地よく感じている。
 伝わってくるぬくもりは、とてもあたたかくて、優しい。
 フィガロットが日本をたつ前夜に言っていたことは、どうやら本当だったらしい。
 萌歌を手に入れたら、萌歌がフィガロットを受け入れたら、本当にフィガロットははどめがきかなくなった。
 これまでのどこか遠慮した様子はさらっと消えうせ、当たり前のように萌歌を独り占めしたがる。
 そして、遠慮なくやきもちをやく。
 まだ、萌歌がフィガロットを受け入れてから二日ほどしかたっていないというのに、これでは……。
 萌歌の気持ちは、まだまだそこまでついていけていない。
 だけど、触れるこのぬくもりがとても愛しいと感じることだけは本当。
「まあ、どこから情報がもれたかはおいておいて、とにかく今は、誤解を解かねばなりませんね」
 にらみあう萌歌からすっと視線をそらして、何事もなかったようにランバートがそうつぶやく。
 すると、萌歌ならば目をすわらせるだろうと思われたけれど、どうやらそこまで子供ではなかったらしい。
 ランバート同様、萌歌は何事もなかったようにくいっと首をかしげる。
 ここでさらに挑発を続けては、子供すぎる。
 それは、この悪徳神官に負けたような気がして、おもしろくない。
 だから、萌歌も何事もなかったと装う。
 何事もなかったようにしたのは、フィガロットに対しても。
 フィガロットはこんなに近く萌歌を抱き寄せているのに、萌歌は頬の一つも赤らめてくれない。
「ねえ、ずっと不思議だったのだけれど、どうして、儀式で選んだ人しか駄目なの? そんなに大切なの? その儀式って。たんなるしきたりでしょう?」
「……え?」
 不思議そうに見る萌歌に、フィガロットは言葉を失ってしまった。
 それは、これまで、この国の者すべてが不思議には思っていなかったこと。
 あらためてそう言われると、たしかにそうだと思える。
 どうして、儀式で選んだ者しか駄目なのか……。
 考えもしなかった。
 古より、そうだと定められているから、だから……。
 まあ、フィガロットたちにおいては、その疑問の答えを知っているから、不思議には思っていなかったのだけれど。
「だったら、そんなもの、やぶっちゃえばいいのじゃない? 馬鹿みたいに従うことないわよ。人の思いは操れないわ」
「萌歌……」
 むんと意気込み自信たっぷりにそう言い切る萌歌に、フィガロットは小さく苦笑いを浮かべる。
 たしかに、人の思いは操れない。馬鹿みたいに従うこともない。
 だけど、それは、本当のことを知らないからそう言えるのだろう。
 そう言える萌歌が、うらやましい。
 そして、誇らしくも思える。
 人の思いを大切にする、その心が。
「たしかにそうですね。ですから、我々はこうして、萌歌さんをフィガロットさまの伴侶に仕立て上げているのですよ」
 不服そうに口をとがらせる萌歌に、ランバートは優しく語りかける。
 これまで、フィガロットのまわりに、いや、ランバートのまわりにも、そう言ってくれる人なんていなかった。
 誰もがそれが本来あるべきかたちだとわかっていても、決して口にすることができなかった。
 口にしてしまったら、自らの身に危険が及ぶとわかっているから。
 だから、自らの身を守るために、あえて彼ら王族を犠牲にしてきた。
 最も汚い、処世術。保身の術――。
 それは、わかっている。
 わかっていても、どうすることもできない。
 どうにかする勇気など出せない。
 それによる災いは、己ひとつの身にとどまらず、まわりの大切な人々にも及ぶと、そのDNAに刻み込まれたように知っている。
 だけど、今回、それをあえて否定する道を選んでしまった。
 それには、フィガロットの思い、ランバートの思い、その他各々の思いもある。
 このような、誰かを犠牲にしなければたもてないしきたりなら、ぶち壊してしまえばいい。
 今回のフィガロットのわがままは、そのいいきっかけとなった。


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update:08/08/26