恋するマリオネット
(72)

「マリエル嬢……」
 その姿をみとめた瞬間、フィガロットの顔がすっと険しく曇った。
 けれど、瞬時にふわりとした優しい微笑みに変わる。……仮面のような。
 しかし、フィガロットのその変化にはマリエルは気づいていないようで、にっこりと得意げに微笑みフィガロットへ歩み寄っていく。
 瞬間、萌歌の胸がざわついた。
 それ以上、フィガロットに近づいてほしくないと。
 萌歌は思わず、隠れる柱から飛び出しそうになってしまった。
 だけど、ここで下手に飛び出せば、フィガロットを不利な立場へ追い込むと思い、ぐっとこらえる。
 この場合、萌歌はかかわってはいけない。
 頭のどこかで、そう理性がはたらく。
 はたらけばはたらくほど、胸はずきずきと痛む。
 本当は、それ以上マリエルをフィガロットに近づけたくない。
 だって、その令嬢は萌歌も見覚えがあるから。
 萌歌はフィガロットの妃になると告げられてすぐの頃、庭園の方でその姿を見ている。
 毒針入りの花束を贈ってきた、あの令嬢……。
 一体、今度は何をたくらんでいるのだろうか?
 今もフィガロットを思っているのなら、フィガロットにだけは危害を加えることはないと信じたい。
 だけど、そう思うのに、萌歌の胸のざわつきはどんどん激しくなる。
 萌歌はフィガロットの話す言葉しか理解できないけれど、そこから、今彼らの間で話されていることを推察はできてしまう。
「遠い異国と申しましても、国外からの旅行者は珍しくありませんわ。そして、儀式の時は、城の庭は一般解放されていました。その時に、王子がたぶらかされたと考えられないことはありませんわよね?」
 一瞬、フィガロットの目がぎらりと光ったような気がした。
 とても恐ろしい、殺意を秘めたような怒りの光。
 だけど、やはり瞬時にそれは覆い隠し、型通りの王子を演じる。
「たぶらかされたりなどはしませんよ」
 フィガロットはにっこり微笑み、「楽しい冗談ですね」とくすくす笑い出す。
 そのフィガロットの姿が、萌歌の目にはいたたまれなく映ってしまう。
 ぎゅっと、両手をにぎりしめる。
 きゅっと、唇をかむ。
 この隠れる柱から飛び出し、その胸へ飛び込んでいきたい。
 飛び込んで、そして両腕いっぱいを使いフィガロットを守りたい。
 だけど、それはできない。
 そのような浅はかなことをしては、フィガロットを困らせると萌歌はわかっている。
 ――そう、フィガロットはたぶらかされてなどいない。
 むしろ、たぶらかしたのはフィガロットの方……。
 ふと、自嘲じみた、だけどやわらかい笑みをフィガロットは浮かべる。
 それに、マリエルは目ざとく気づいたらしく、ぴくりと眉をゆがめる。
 この状況で、そのような優しい微笑みを浮かべるなど胡散臭すぎる。
 それに、そのようなおだやかな微笑み、マリエルは見たことがなかった。
 いつもフィガロットが浮かべている笑みは、王子様にぴったりの清楚な笑み。
 同時に、果てしなく冷たい目をしていた。
 マリエルは、ぎりっと奥歯をかみしめる。
「そうおっしゃっている時点で、すでにたぶらかされていらっしゃるのでは? ――わたくし、どうしても腑に落ちませんの。……いいえ、わたくし、知っておりますのよ?」
 マリエルはすっと肩をすくめ、上目遣いにフィガロットをにやりと見つめる。
 明らかに、フィガロットの顔色がかわった。
 それまでのおだやかな微笑みが、一瞬にして険しく染まる。
「マリエル嬢……?」
 フィガロットの変化に、マリエルは今度は気をよくしたよう。
 両手を胸の前でぽんと合わせて、楽しそうに微笑む。
「うふふ。でも、今はまだ黙っていてさしあげますわ。ですから、わたくしにたっぷり感謝してくださいませね、フィガロット王子?」
 マリエルはくいっと首をかしげて、甘えるような眼差しをフィガロットに向ける。
 だけど、その目の奥は陰湿によどんでいる。
 フィガロットの顔から、完全に笑みが消えた。
 同時に、萌歌の顔からも色が失せていた。
 フィガロットのその変化を、姿を見てしまったから。
 ぞくりと、萌歌の背につめたいものがはしる。
 じわじわと、不気味なものが萌歌を覆っていく。
 ……怖い。とても怖い。
 何か得たいの知れない恐ろしいものが、じりじりと近づいてきているよう。
「萌歌……さん……?」
 そのような萌歌を見る、壁に隠れた角から姿を現しばかりのランバートがいた。
 ランバートは切なげにそうつぶやいた。萌歌の視線の先に、フィガロットがいることに気づいて。
 ランバートは萌歌に声をかけようとして、どうやら寸前で止められてしまったらしい。
 一人、何かに必死にたえる萌歌に気づいてしまい。
 ランバートのつぶやきにびくりと体を震わせ、すっと一歩足をひき、萌歌はランバートの方へかけていく。
 うつむき、やはり何かにたえるように。
 すれ違うその時ですら、萌歌はランバートの存在に気づいていないようだった。
 萌歌が先ほどまで見ていたその景色を、ランバートは鋭い眼差しでにらみつける。


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update:08/09/12