恋するマリオネット
(78)

 時計の針は、もう真夜中をさそうとしている。
 萌歌は、用意された部屋から夜空を眺めている。
 空に浮かんでいるのは、ぽっかりと真丸い月。
 この部屋は、フィガロットの私室がある館の、いちばんきれいに庭が見えるところにある。
 ちょうど南向きで、お日様もよくあたる。
 きっと、この館の中でいちばんいい部屋を用意されたのだろう。
 萌歌はそう思うと同時に、やっぱり胸がぽかぽかあたたかくなるのを感じる。
 そのさりげない優しさが、広がる大海原よりも、大空よりも、もっと深く大きく感じられる。
 そこに、フィガロットが萌歌に寄せる思いがあると思うだけで。
 昼間、ジョルーに告げられたことが、萌歌の頭からはなれてくれなくて眠れない。
 たまたまそういうことになり聞いてしまったことは、とても大きくて重いもののように思える。
 ……いや、そのような簡単な言葉で片づけられるようなものではないのだろう、きっと。彼らにとっては。
 萌歌はまだまだ、その辺りのことを理解できていないのだろう。それが、どれほど深く彼らを苦しめているものなのか……。
 萌歌はこの国で生まれ育っていないから、彼らに刻まれたそれがどれほど大きなものか理解できない。
 理解しようとしても。理解したいと思っても。
 それが、萌歌は苦しくて辛い。
 ぎゅっと胸がしめつけられる。
 萌歌はいつの間に、こんなに知りたいと、フィガロットのことを理解したいと、欲張りになったのだろう。
 けれど、今はそう願ってしまう。
 そのようなことが萌歌の頭の中をとめどなくめぐり、睡魔が逃げていく。
 萌歌がふと、数多の星が輝く空の中にぽっかり浮かぶ月へ視線を向けた時だった。
 この部屋の扉がかたんと小さな音を鳴らすのに気づき、萌歌は思わず開けていた窓を閉めてしまった。
 それから、どうしようかときょろきょろと辺りを見まわし、そのままベッドの中へもぐりこんでいく。
 まだ起きていることを、その扉を鳴らした人に気づかれたくないと思い。
 気づかれたら、心配されるだろうから。理由を聞かれるだろうから。
 それだけは、されたくない。されては、困る。
 何故だか、その理由は言ってはならないような気がする。
 そして、それがとても怖く感じる。
 きっと、それは、萌歌にその理由を告げる勇気がないからだろうと、なんとなく気づいている。
 萌歌はベッドにもぐりこむと同時に、頭からすっぽりとブランケットをかぶった。
 すると、そのすぐ後に、扉がすうっと開けられ、ゆっくりと誰かが近づいてくる気配がする。
 意識して足音を消しているのではないのだろうけれど、音を鳴らさないその歩き方が、とても気品があるように感じられる。
 きっと、そのような歩き方をする人は、あの人しかいない。
 いや、萌歌の部屋に無断で入ってこられるのは、あの人しかいてはならない。
 音のない足音が、ちょうど萌歌の枕元でとまった。
 ふわりと、ブランケットからわずかにのぞく髪に手が触れた。
 びくんと、萌歌の体がゆらいだ。
 だけど、その小さな変化に、その手の主は気づいていないよう。
「萌歌……」
 澄んだ声が、静まり返ったこの部屋に響いた。
 あまく優しい音色をかなでる。
 それは、今ではいつも耳元できく、あの声。
 フィガロットの声――。
 そう、フィガロットしかあるはずがない。
 この部屋の扉には鍵をかけてあったのだから、それこそ簡単にあけてこうして入ってこられる者など限られている。
 それは、フィガロットと……そして、あの傍若無人なランバートくらいだろう。
 本当はフィガロットだけしかあってはならないのだろうけれど、あの悪徳神官ならば、この部屋の鍵くらいたわいなく手に入れるだろう。
 むしろ、もう偽造済みかもしれない。
 いや、そもそも、鍵など必要としないかもしれない。
 だけど、あのように上品に、あの唯我独尊男は歩かない。ならば……。
 フィガロットが触れる髪に、萌歌の全神経が集中してしまっているような気がする。
 そこが、妙にどきどき大きく脈打っているようにすら思える。
 そのようなところに、弾む胸があるはずはないのに。
「俺が守るから。必ず、俺が守るから。だから……」
 フィガロットは苦しそうにそうつぶやき、ふわりとそこへキスを落とす。
 瞬間、萌歌は甘いしびれに襲われた。
 思わず、びくりと、大きく体をふるわせてしまった。
 すると、数秒ぴたりと動きが止まったような気配がして、次に、ぎしりと顔のすぐ横のベッドが小さく泣く。
 どくんと、萌歌の心臓が飛び出しそうになる。
 体中が心臓になってしまったかのように、どくどくばくばくいっている。
 さすがに、今度ばかりは、フィガロットに気づかれてしまったらしい。
 気づかれないはずがない。
 だって、萌歌はこんなにも体いっぱいで主張してしまっているのだから。
 ブランケットが、ばさりとはぎとられた。
「……萌歌、眠れないの?」
 同時に、萌歌の体は抱き起こされ、あたたかくてやわらかいものにきゅうっと包まれていた。
 萌歌が顔をあげると、そこにはこの世でいちばん優しいものがあった。
「フィ、フィガロット……?」
 きゅっと唇をむすび、すがるようにフィガロットを見つめる。
 その手も、おずおずと、フィガロットの背にまわしていく。
 このまま、もっとずっといっぱい、抱きしめていて欲しいと望んでしまう。
 フィガロットは、どこか困ったように小さく微笑んだ。
 そして、萌歌の願いをさりげなく拒み、そのまままた、ゆっくりとベッドへ萌歌を横たえていく。
「ついていてあげるから、ちゃんと眠って?」
 くしゃりと髪をなで、困ったように微笑むフィガロットの目が萌歌を見つめる。
「フィガロット……」
 だけどやっぱり、フィガロットのその優しさですら、萌歌は拒否してしまう。
 だって、今欲しいものは、それではないから。
 浅い眠りなどではなく、触れるこの人のぬくもり。
 萌歌は、きゅっとフィガロットのシャツの裾をにぎる。
 フィガロットは、やっぱり困ったように微笑む。
 それから、数秒……数十秒、いやもっとだったかもしれない。
 それくらいたくさん見つめ合い、萌歌が促すでもなく、フィガロットが押し切るでもなく、どちらからともなく、自然、二人同じベッドに身をしずめていた。
 抱きしめるフィガロットの胸にぎゅっと顔をうずめて、萌歌は小さく肩をゆらしている。
 何かに怯えるように震える萌歌を、フィガロットは愛しそうに抱きしめる。
 同時に、その目が苦しげにゆらめく。
 フィガロットは、知っているから。
 萌歌が、何にそのように怯えているのか。震えているのか。
 先ほど、ようやく今日の予定すべてを済ませ、萌歌の寝顔を見て休もうとした時、ジョルーがフィガロットに告げてきた。
 昼間、萌歌にあったこと。
 そして、それにより、萌歌に告げてしまったこと。
 そこから、全てを萌歌に悟られてしまった。
 今、萌歌がどのような状況におかれているかすらも。
 だからフィガロットは、萌歌は眠ってなどいないとわかっていて、あえて騙されたふりをしていた。
 騙されたふりをして、ああ告げた。
 少しでも、萌歌の不安をやわらげることができればと思い。
 また、告げたことは嘘ではない。
 フィガロットの心からの思い――。
 何があろうとも、どのようなことをしようとも、萌歌だけは守り抜く。


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update:08/10/24