恋するマリオネット
(79)

 翌日。朝食の席。
 カランと音を鳴らせ、萌歌はオレンジジュースがたっぷり注がれたグラスを持ち上げる。
 そして、そこにささるストローに、ちょんと唇を触れさせる。
 ちらちらと、フィガロットではない他の男性へ視線を向けている。
 そのうかがうように向けるまなざしに、テーブルの角をはさみ萌歌の右隣に座るフィガロットは、どことなくおもしろくなさそうに見える。
 萌歌の正面、そして、フィガロットの角をはさんだ右隣には、何故だかライヒがいるから。
 ライヒは、ミントをそえたアイスティーを優雅にすすりながら、ともに朝食をとっている。
 時折、ライヒに話しかけられた萌歌が、どきまぎと頬をほんのり染めるのが、やっぱりとてつもなくフィガロットはおもしろくない。
 どうして、そのような、思わず食べて……いやいや、ぎゅうとしたくなってしまうようなかわいらしい反応をライヒに見せるのか。
 そのような仕草は、フィガロットの前でだけ見せれば十分だというのに。
 萌歌の心をもらってからというもの、フィガロットはどうにも欲張りになって仕方がない。
 だけど、それを望める特権が、フィガロットにはあると信じている。
 だって、萌歌はもうフィガロットのものなのだから。
 たとえ、まわりがどう言おうとも。どのような状況であろうとも。
「そういえば、ライヒさん、この前言っていたことはどういうことなの? ランバートもまた、犠牲になっているって……」
「え……?」
 突如ふられたその話題に、ライヒは食事の手をぴたりととめる。
 そして、ふうっと大きく息をはきだし、ナイフとフォークを皿の上におく。
 高く澄んだ小さな音が鳴る。
 ライヒがちらりと左側を見ると、フィガロットがあからさまに不愉快をあらわしている。
 ――無理もない。
 よりにもよってあんな悪徳神官を、萌歌は気にしているのだから。
 あのようなくさりきった男のことなど、気にする価値もない。
 とりわけ、フィガロットのいる場では気にしてはいけない。
「だって、気になるもの。この国の掟というものは、フィガロットにだけじゃなくランバートにも、その……」
 萌歌はグラスをぎゅっとにぎりしめ、そこで口ごもってしまった。
 言わずとも、その後に続けようとしていた言葉など容易に想像できる。
 フィガロットだけでなくランバートもまた、この国の犠牲になっているのか、そう問いたいのだろう。
 まったく、萌歌はなんてお人よしなのだろう。
 あのようなくされ外道のことまで心配してやるなんて。
 まあ、しかし、気にならないはずはないだろう。
 それは、少なからず萌歌にも関係していることだから。
「ええーっと、たしか、ジョルーにだいたいのことは聞いたのだよね?」
「え? う、うん?」
 ライヒは、片肘をつきそこに顔をのせる。
 そして、そこから、微苦笑まじりに萌歌へ視線を注ぐ。
 あのことを知ってしまっているのなら、下手に隠す必要もないだろう。
 そして、萌歌もまた、まきこまれてしまっている。逃げられないところまできてしまっている。
 ならば、素直に教えてやった方が、萌歌のためになるのかもしれない。
 中途半端に知っているこの状況が、いちばん危険だろう。
 まっすぐにライヒを見つめるその目が、萌歌自らかかわることを望んでいると告げているよう。
 そこまで決意しているのならば、仲間はずれはよくない。
 萌歌は、不思議そうにこくんとうなずく。
 やはり、その様子にライヒは苦く笑う。
 フィガロットも、そしてこの場に控えるランバートとジョルーも、どこか辛そうに、だけど諦めたように薄い笑みを浮かべている。
 そのような三人を確認し、ライヒはゆっくり口をひらいていく。
「じゃあ、話は早い。運命の乙女を召喚する役にあるのが、最高神官。つまり、そこのくされ外道。そして、その最高神官も王族の中から選ばれると決まっている。何しろ、力を有するのは、少なからず王の血筋だけだから」
 ライヒは、萌歌の後ろに控えるランバートをついっとあごで示す。
 すると、萌歌の頭のすぐ上で、ランバートが憎たらしくにやりと微笑む。
 本当に、このまま殴り倒してやりたいほどに腹立たしい態度ばかりを、ランバートはとる。
 これが兄かと思うと、ライヒは穴を掘って入っても入り足りない。
 頭の上でろくでもないことが行われていると本能で察知したのか、瞬時に萌歌の顔がゆがむ。
 そして、いまいましげにぼそりとつぶやく。
「……このろくでなしが、王の血筋……?」
「何をどう間違ったのか、不愉快なことに、その外道男は俺のいとこにあたるんだ」
 がっくり肩を落とし、フィガロットがげんなりとそうつぶやく。
 瞬間、萌歌の頬はこれ以上ないというほどひきつり、同情の眼差しをフィガロットへ向ける。
 このままこの現実から逃避してしまいたいと、そう告げるように。
 しかし、萌歌、フィガロット、ライヒのその素晴らしい評価に、ランバートは何故だか上機嫌。にこにこと楽しそうに笑っている。
 不愉快きわまりなく笑うランバートをちらりと見て、萌歌はがっくり肩を落とす。
 ふうっと細く息をはき、ストローに唇をつんと触れさせる。
 それから、ぼそりとつぶやいた。
「でも、そっか……。じゃあ、フィガロットだけじゃなく、王族の人みんな、戦っているんだね」
「……え?」
 瞬間、そこにいる者すべてが目を見開き、萌歌を見つめる。
 今萌歌の口からもれたその言葉が、まるで聞き間違いというように。信じられないというように。
 萌歌はたしか、戦っている≠ニ言った……?
「違うの?」
 萌歌はくいっと首をかしげ、つんと口をとがらせる。
 まさか、わたしの言っていることが間違いであるはずがないと、そう傲慢に主張するように。
 だけど、その傲慢さは、フィガロットの胸も、ランバートとライヒ、そしてジョルーの胸までも、あたたかくさせる。
 そう、押しつけられた運命から逃げているのではなく、フィガロットたちは戦っているのだと、萌歌はちゃんとわかってくれている。
 それが、とても嬉しい。
 わかってくれる人が一人いるというだけで、こんなにも胸があたたかくなるものだろうか。こんなにも目頭が熱くなるものだろうか。
 フィガロットはすっと手をのばし、オレンジジュースのグラスをにぎりしめたままの萌歌の手にそっと触れる。包み込むように、いたわるように。
 そのような二人を、ライヒは優しげに見つめている。だけど、どこか辛そうに。
 ランバートはやはり、にたにたと楽しそうに笑っている。
 ジョルーの顔も、自然ほころんでいた。
「そういえば、あの指輪はちゃんと持ってくれているよね?」
 握る萌歌の手をそのままくいっと引き寄せながら、フィガロットは妙にあまい視線を注ぐ。
 そのような何の脈絡もないことを言いながら。
 ランバートはやはり楽しそうに笑い、ライヒとジョルーは瞬間目をすわらせた。
 どうやら、この王子様は、外野のことなどさらっと無視して、さくさくっと二人だけの世界へ突入する気らしい。
 いくら先ほど萌歌が言ったことがとても嬉しかったといっても、これは馬鹿すぎる。
 この王子様がここまで、色恋ひとつで馬鹿になれるとは思っていなかったけれど……。
 まあ、普段抑圧されている分、一度たががはずれるとそのまま弾けとんでしまうのかもしれない。
 ――まったく、迷惑な。
「え……?」
 当然、萌歌もフィガロットの突然のその言葉についていけていない。
 怪訝にフィガロットを見つめる。
 だけど、それすらも、フィガロットは気にしていないようで、一人うんうんと首をたてに振る。満足そうに。
「うん、あるね」
「って、見えていないでしょう?」
 瞬間、呆れたような萌歌の視線がフィガロットへ送られる。
 たしかに、見えていない。見えるわけがない。
 今日の萌歌は、いちばん上までブラウスのボタンをしめて、さらにスカーフまで巻いているのだから。
 これでは、その内にしまってあるあの指輪を見られるはずがない。
 ……エスパーでもない限り。透視でもしない限り。
「見なくてもわかるから。愛の力で」
 フィガロットはにっこり微笑み、けろりとそう告げた。
「……なっ!?」
 もちろん、ずざっとのけぞり、萌歌は声にならない非難の言葉を投げかける。
 顔を真っ赤にそめて。
 よりにもよって、どうして、そのようなめちゃくちゃに恥ずかしいことを、フィガロットはけろりと言ってしまうのか。
 やっぱり、フィガロットは演技など抜きで、本当の王子様なのかもしれない。
 このような気障な台詞を、気障な振る舞いつきで、平気で言ってのけてしまうのだから。
 萌歌はぎゅっと唇をかみしめ、悔しそうにフィガロットをにらみつける。
 ぐいぐい手をひっぱり、その手の中から引き抜こうとしているのに、まったく甲斐がない。
 求めるように、フィガロットの手が萌歌の手を握っているから。
 その時、このダイニングの扉がノックされたような音がしたけれど、フィガロットははばかることなく萌歌に愛を注ぎ続ける。
 そのような二人を、ランバートは楽しそうににこにこ笑い見つめ、ライヒは勝手にやっていろと完全にあきれている。
 ジョルーはジョルーで、我関せず、むしろ、このような現実は目に入っていないと、平然とそこに控えている。
 どっしりした小さな音を鳴らせ、ダイニングの扉がゆっくりと開かれる。
 人一人が、こっそりと、その隙間から中をのぞける程度に。
 そして、そこには内を見つめる眼が一つ。
 愛しそうに、だけど憎らしそうに、ぎらりと光っていた。
 萌歌の姿を映し。


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update:08/10/30