恋するマリオネット
(80)

 バルコニーから見渡す限りに広がる花々。
 南国にありがちな極彩色のそれらではなく、ここに広がるものは、あわい、だけど決して見劣ることはない色を放っている。
 まるで吸い込まれそうな、それでいてあたたかい景色が広がっている。
 時折、その花々の中から、七色に光る蝶がちらちら舞い出てくる。
 そして、バルコニーにいる萌歌を見つけると、蝶たちは、一羽また一羽と、萌歌のもとへと集まってくる。
 それが、萌歌は不思議でならない。
 この蝶は、とりわけ王妃を気に入る傾向があると聞く。
 そして、蝶に気に入られた者は、幸せになれると……。
 ふわりふわり舞う蝶たちとたわむれていると、萌歌はふと胸元にきらりとした光を感じた。
 そこには、四ヶ月ほど前、この国をたつ時にフィガロットから贈られたリングがある。
 萌歌は思わず、それを取り出してきてしまった。
 先ほど、見もせずに、フィガロットがそこにあると言い切ったそのリング。
 手のひらにおくと、何故か、その指輪が自らの存在を主張するように、萌歌を見つめてくるように感じる。
 だけど、それは決して嫌な気分になどさせず、むしろ、ふわふわとした、この舞う蝶たちのような気分にさせる。
 その中の一羽が、手のひらにのせるリングにちょんととまった。
 萌歌は思わず顔をほころばせると、次の瞬間には、その蝶だけでなく、まわりで優雅に舞っていた蝶たちすべて、かき消えるように姿を消していった。
 萌歌の胸はよくないことを感じ、訝しげに顔をゆがめる。
「ちょっと、そこのあなた」
 同時に、萌歌にそう声がかかった。
 聞いたことのない女性の声だった。
 この国で、言葉を理解できる女性など今はいないはずなのに。
 帰国前には萌歌の世話にあてられた侍女数人の言葉は理解できていたけれど、このような状況なので万全を期しそれも今ではない。
 たしかに、ヴィーダガーベの言葉なのに、萌歌はその言葉を理解できてしまう。
 嫌な予感がして、がばっと振り返った。
 すると、萌歌の目の前に、腰に両手をやり高慢に胸をはる女性が立っていた。
 透けるようななめらかな生地の、ふわふわドレスを身にまとっている。
 まるで、おとぎ話の中から飛び出してきたお姫様のような女性だった。
「あなたに、お話がありますの」
「え……?」
 そして、そのお姫様は、ぎろりと萌歌をにらみつけ、つっけんどんにそう告げる。
 怪訝に顔をゆがめる萌歌に、お姫様はひくりと頬の筋肉をひきつらせる。
 このお姫様には、萌歌も見覚えがある。
 たしか、萌歌はフィガロットのお妃になると告げられたすぐ後に、中庭でフィガロットとともにいるところを目にした……。
 そして、毒針入りの花束を贈ってきた、あの恐ろしいお嬢様。
 名を、たしかマリエルといったはず。
 それに気づき、萌歌の顔はさらに怪訝にゆがむ。
 同時に、警戒心もあらわになる。
「侮らないでいただけます? ギリッシュに薬をもらいましたわ」
 びくびく怯える萌歌に、マリエルはあからさまに不愉快な顔をする。
 そのようにされては、まるでマリエルが化け物のようではないか。このどこからどう見ても完璧なマリエルを前に、なんて無礼な!とでも言いたいのだろう。
「え、あ、ああ……」
 マリエルのその言葉に、萌歌は妙に納得したようにうなずく。
 ギリッシュにあのいかがわしい薬をもらい飲んだというのなら、萌歌がその言葉を理解できても不思議ではない。
 ふと少しだけ警戒をゆるめてしまった萌歌へ、マリエルはここぞとばかりに攻める。
 こつんと、わざとらしく靴のヒールをひとつ鳴らす。
「それにしても、あなた、ヴィーダガーベの言葉を習っているのですって? そのような無駄なことは、おやめになられたら?」
「え?」
 マリエルのその言葉に、萌歌がきょとんと首をかしげる。
 一体、そのようなこと、誰から聞いたのか……。
 まあ、ギリッシュに会ったというのなら、そこからもれたのかもしれないけれど。
 だけど、萌歌がひそかにヴィーダガーベの言葉を習おうかなと思いはじめて≠「ることを、まさかギリッシュが知っているはずはなく……。
 むしろ、ギリッシュだけでなく、知っている者がいてはおかしい。
 だって、それは、まだ誰にも言っていないのだから。まだ決心ができていないのだから。
 このまま、この国にとどまり、この国の王妃になることは。
 フィガロットの恋人になることは、心に決めたけれど。……諦めたけれど。
 フィガロットは好きになったけれど、未来の王はまだ好きになれていない。
 その辛く険しい道をともに歩む勇気は、萌歌にはまだない。
 急速に、めまぐるしく変わる萌歌のまわりに、そうそう順応できるわけがない。
「まったく、愚弄するにもほどがありましてよ。あなた、儀式で選ばれた正統な王子の伴侶ではないのでしょう。王やこの国の者をたばかるなど、大罪に値しますわ」
 マリエルは萌歌にずいっと詰め寄り、蔑むように汚らわしそうににらみつける。
 悪意に満ちたその眼差しに、萌歌は思わず一歩後退してしまった。
 その拍子に、右手にゆるりとにぎっていた指輪が、ぽろりとこぼれ落ちた。
 それに、マリエルがめざとく気づき、目を見開く。
 同時に、その顔が真っ赤に染まり、凄まじい憎しみの形相にかわる。
「ちょ、ちょっと、あなた! どうして、あなたのような者が、代々王妃に受け継がれてきたその指輪を持っているのよ! 許せないわ! およこしなさい!!」
 そして、萌歌の手からこぼれる指輪へと、ばっと手をのばす。
「ちょ、やめて! これは、わたしがフィガロットからもらった、大切な指輪なのよ!」
 間一髪、萌歌の手の中に再びその指輪がにぎられた。
 思わず、萌歌の口からほうっと安堵の吐息がもれる。
 別にこの指輪が何だって萌歌はかまわないけれど、萌歌以外の人に触らせたくないと瞬時に思ってしまった。ただ、それだけ。
 それにしても、この指輪が、そのようなものだったなんて……。
 急に、萌歌の手の中のものに、ずしりと重みが加わる。
「まあ、なんと恥知らずな! それは、あなたのような下賤な者が持つにふさわしくない指輪よ! 身をわきまえなさい! 偽物の分際で!」
 しかし、マリエルもそこで引き下がるはずもなく、萌歌の腕をぎりっと力をこめつかむ。
 そして、握る萌歌の手の中から、指輪をぐいぐいと抜き取ろうとする。
 懸命に指輪を守る萌歌の手に、手入れの行き届いたマリエルの爪がたてられる。
「……つっ」
 萌歌が思わず、その痛みに力をゆるめてしまった時だった。
 そのすきをつき、手の中から指輪を奪い取られてしまった。
「やめて! 返して!」
 萌歌は反射的に、奪われた指輪を取り返そうと、マリエルにつかみかかっていく。
 すると、マリエルもせっかく奪ったものを取り返されるものかと、その高いヒールの靴で萌歌の足をけりつける。
 萌歌もまたそこでひくわけにいかず、指輪をにぎるマリエルの手をたたきつける。
 その拍子に、マリエルの手にあった指輪が、ぽろりとこぼれ落ちた。
 カツーンと甲高い音をひとつならし、コツンコツンと数度床の上をころがり、バルコニーのてすりの隙間から、指輪はそのまま下へと落ちていく。
 数秒後、ぽちゃーんと、水に落ちたような小さな音がした。
 萌歌がてすりをつかみがばりと下をのぞきこむと、最悪なことにそこは小さな池になっていた。
 循環設備を施された人口の小さな滝からじょぼじょぼと水が流れ落ち、そして吸水口へ余分な水が吸い込まれていく。
 さあっと、顔から血の気がひいていく。
 ざあっと、頭から思考がとんでいく。
「な、なんてことを……っ!」
 同時にてすりをつかみ下を見下ろしたマリエルが、絶叫じみた非難の声を上げる。
 そして、何かにはっと気づき、ばっとてすりから身をはなす。
 それから、ささっと乱れたドレスをととのえ、すすすっとバルコニーから去っていく。
「わ、わたくしは知りませんわよ。あなたが乱暴なことをしなければ、指輪だって……。すべて、あなたのせいよ!!」
 マリエルはそう叫び散らし、良家の令嬢にあるまじき乱暴な振る舞いで、だだだっと慌てて去っていく。
 どうやら、池に落としてしまった指輪の価値を知っているだけに、それがいかに大変なことか理解し、さっさと逃げていったらしい。
 責任すべてを、萌歌におしつけて。
 もし、あの指輪がそのまま行方不明になれば、とても恐ろしいことになる。大変なことになる。
 それを知っているだけに、マリエルはその責任を負わされないうちに、素知らぬふりを決め込むことにしたらしい。
 萌歌はただ呆然と、足元の池を見下ろしていた。


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update:08/11/05