恋するマリオネット
(81)

 開け放たれた廊下を、ライヒが歩いている時だった。
 花々が咲き誇る庭園の前を通りかかるとちょうど、どこからともなく女性が言い争うような声が聞こえてきた。
 ライヒはそれに気づき、ふと耳を澄ませていると、そのうちの一人は聞きなれた声をもっていた。
 何やら、その聞きなれた声の女性が、一方的に理不尽に責められているように思える。
 まあ、それは、あながち理不尽ともいえないような気もするけれど。
 儀式で選ばれていないなら、王子の伴侶になることは大罪だと責められているのだから。
 たしかに、この国のしきたりからすると、それは大逆に値するだろう。
 ただ、だからといって、それをその女性が望んではいないことをライヒは知っているだけに、口汚くののしるその言葉はあまりにも残虐に聞こえる。
 ライヒは思わず、すっと足を踏み出していた。
 何を思ったか、その責められる女性の助勢をしようと思ってしまい。
 その時、頭上からきらりと光る小さなものが落ちてきた。
 そして、それはそのまま、足元の池の中へぽちゃりと落ちた。
 ゆっくりと、音もなく、それは小さく小さく池の底へ沈んでいく。
 水底で、陽の光を受け、きらりと鈍く何かが光った。
 ライヒがちらりと上を見上げると、そこにはてすりにしがみつき、呆然としながらぽろぽろ涙をこぼす女性の姿があった。
 てすりをにぎったまま、ずるずるとくずおれていく。
 その様子から、その女性は、こちらのことなどまったく気づいていないように見える。
 ライヒは眉間を寄せ、きゅっと唇をかみしめる。
 そして、その女性がもうこちらを見ていないことを確認し、ゆっくり池の中へ手を入れていく。
 肩まで水につかった頃、指先にこつっと小さなものがあたった。
 そのままそれをつまみ、すうっと腕を上げてくる。
 指先につままれたものは、きらきら輝く小さなリングだった。
 それは、ライヒも何度か見たことがある、とても深い意味を持つ指輪。二つとない、この国の宝。――宝の女性にのみ与えられるもの。
 この国の女性ならば、誰もがそれを自らの指に通すことを望んでやまない、そのような指輪だった。
 ライヒはそのままそれをぎゅっと握り締める。
 ぎらりと、その目が妖しく光る。
 何かとてもおもしろいことを思いついたように。


 ぴちゃん、ぱしゃぱしゃ。ぱしゃり……と、どこからともなく水音が、ライヒの耳に聞こえてくる。
 それはまるで、天女が水浴びをしているような、そのような澄んだ音。
 陽の光をたっぷりと浴び、飛び散る水滴がきらきら光っている。
 腰の下まで水につかり、しきりに腕を水中に入れたり出したりする女性の姿がある。
 時々、勢いのまま顔までぽちゃりとつかって、慌てて上体をあげてくる。
 同時に、ぷはっと苦しそうな息を小さくもらす。
 それは、何かを探すように、何度も何度も繰り返されている。
 そのようなことをもう何十分もしているのだから、いくら温暖な気候のこの国でもそろそろ体がひえてくるだろう。
 女性は両腕で自らをかき抱き、ぶるるっと身震いする。
 そうかと思うと、またぼちゃんと水の中へ腕を入れていく。
 そんなことを繰り返しているから、上から下までもうびっしょり。
 ぬれる髪からぴちゃりと水滴が落ち、波打つ水面に小さな波紋を描く。
 流れ落ちた水滴が目に入ろうと気にせず、また池の中へぼちゃりとつかる。
 だけど、そのようなこと、何度繰り返そうと、永遠に求めているものは見つからないだろう。
 ――無駄。
 だって、探しているものは、もうそこにはないのだから。
 そろそろ日も落ちはじめ、西の空が真っ赤に染まっている。
 同時に気温もぐんと下がってきた。
 このままでは、間違いなく風邪をひいてしまう。
 いや、もうひいてしまっているかもしれない。
 だって、ライヒが知る限り、彼女はもう一時間はそうしているのだから。
 これから、どんどん日が落ちて気温が下がり真っ暗になろうとも、きっと彼女はそれをやめないだろう。
 求めるものが見つかるまでは。
 池を見つめるその目が、そう真摯に語っている。
 ふうっと一つ大きな吐息をもらし、ライヒは身を隠していた建物の陰からすっと姿を現した。
「いつまでそうしているつもり?」
 そして、呆れ顔をつくり、呆れた眼差しを、池に身をひたす女性へ向ける。
 すると、ぴたりとその動きがとまり、ライヒの方へゆっくりと振り返った。
 どこか怯えたように、だけど不思議そうに、ライヒを見つめる。
「え……? あ、ライヒさん?」
 怯えたように見えたのは、間違いなくその探しているものに気づかれたくなくて。
 そして、不思議そうに見えるのは、きっとここにライヒが現れたことに驚いて。
 そのようなこと、言われなくてもライヒにもすぐにわかる。
 だって、ライヒは一時間前の、この上のバルコニーでの出来事を知っているのだから。
 そして、今彼女が何を探し求めているのかも。
 くっと、ライヒはのどの奥で小さく笑う。
 それは、何か苦いものをかみしめるようにもらされたのかもしれない。
 ライヒは胸の内から小さく光るものをすっととりだし、それを女性――萌歌の目の前へもっていく。
「探しているのは、これでしょう?」
 それから、どこか意地悪げにそう言った。
「あ……っ!」
 その光る小さなものを目に入れた刹那、萌歌の顔がぱあっとはなやいでいた。
 同時に、じわりと目にににじむものがあったことを、ライヒは見逃さなかった。
 これまで、それを必死にこらえていたことも、ライヒは気づいている。
「ありがとうございます。ライヒさんが見つけてくれたのね。よかった……」
 萌歌はほわりと笑みを浮かべ、ライヒへがばっと両手をのばす。
 だけど、その手が到達しないうちに、ライヒはすっと手を引いていた。
 その手につまむ小さく光るもの――指輪とともに。
「ライヒさん……?」
 所在なげに腕をのばしたまま、萌歌が訝しげな視線をライヒへ向ける。
 ライヒはやはり意地悪くにやりと笑みを浮かべる。
 自らの口元へ、すっと指輪を持っていく。
「返してほしい?」
「あ、当たり前じゃないですか」
 即座に、萌歌がそう言い切った。
 ライヒは少し驚いたように目を見開き、すぐにすっと閉じていく。
 閉じた目を、すうっと開く。
「当たり前……か。ほんの一週間ほど前まで、フィガロットを拒絶していた女性の言葉とは思えないね」
 そして、するどい眼差しで萌歌をとらえる。
 びくりと、萌歌の体が震えた。
 何しろ、間違いなく、ライヒは萌歌の図星をついたのだから。
 そして、萌歌にとっては触れられたくないことだろう。
「ど、どうして、そこでフィガロットが……」
 しどろもどろに、萌歌はそう非難をする。
「フィガロットに決まっているでしょう。だって、この指輪は、代々王妃に受け継がれてきた、王妃たる証の指輪なのだから」
 ライヒは、ふわりと口づけるように、指輪に唇を寄せる。
 瞬間、萌歌の顔がかっと真っ赤に染まった。
 そして、悔しそうに唇を結ぶ。
 寒さのためか、ぶるるっと身震いをしている。
 そのような萌歌を見て、ライヒはやれやれと肩をすくめる。
 そして、羽織っていた薄いシャツを、萌歌の肩にするりとかけてやる。
 シャツがなくなったそこには、ひきしまった肢体が現れた。
 恐らく、そのような裸体を見せられては、たいていの女性はその腕に抱き寄せられたい衝動にかられるところだろう。
 しかし、萌歌はそこにはさっぱり目をくれていない。
 変わらず、悔しそうにきゅっと唇を強く結び、つかったままになっている池の水面をにらみつけている。
 ライヒはふうっと吐息をもらす。
 そして、萌歌の腕をつかみ、ぐいっと引き上げる。
 シャツを肩にかけてやっても、いつまでもそうして水につかられていては意味がないというように。


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update:08/11/11