恋するマリオネット
(82)

「ねえ、返して欲しい?」
 引き上げた萌歌をそのまま抱き寄せ、今にも顔と顔が触れそうな距離で、ライヒは静かにささやいた。
 妙に艶かしい視線を萌歌に向けながら。
 すると、萌歌は変わらず悔しそうに、だけど素直にこくんとうなずいていた。
 どうにも、抱く思いは複雑なのだろう。
 何しろ、その指輪を欲するということは、王妃たる証を欲するということになるから。
 だけど、萌歌は王妃になりたいわけではない。そのような地位も名誉もいらない。
 萌歌が欲しているのは、もっと違ったもの。
 まだ認めたくないけれど、その指輪がフィガロットから贈られた時からずっと、萌歌の大切なものになっていたことは本当。
 だから、萌歌は今それを失うことなんてできない。考えられない。
 このすぐ上のバルコニーでそれを失った時、そのことに気づいてしまった。
 それが、どれほど萌歌にとって大切なものになっていたのか。
 ……大切じゃないはずがない。
 だって、あの時から、萌歌は肌身離さずずっと持っているのだから。
 持っていれば、罪悪感のようなものが少しはぬぐえるような気がする。
 そして、フィガロットを受け入れると決めたその瞬間から、萌歌の宝物になっていた。
 フィガロット自身の次に。
「いいよ。だけど、俺の言うことを聞いてくれたらだけれどね」
 素直にこくんとうなずく萌歌に、ライヒは皮肉めいた笑みを浮かべる。
 それは、その反応が返ってくることなど、はじめからわかっていたというように。
 だけど、頭のどこかでは、返ってきてほしくないと思っていたのかもしれない。
「……言うこと……?」
「そう、言うこと……。――この手をとって」
 不思議そうに見つめる萌歌に、ライヒはにっこり微笑む。
 そして、すいっと右手を差し出す。
「え……?」
 やはり、萌歌は不思議そうにライヒを見つめる。
 ライヒの言動の意味がわからず、戸惑っているようにも見える。
「とれないの? じゃあ、この指輪、いらないんだ?」
 ライヒは、たたみかけるように続ける。
 萌歌が意味を理解していないことなど承知しているはずなのに、それでも先をせかすようにそう告げる。
「な……っ。ちょ……っ。ああ、もう、わかったわよ。だけど、手をとったら、ちゃんと指輪を返してよね!」
 多少なげやりに、萌歌はライヒの手に手を重ねる。
 ばちんと、たたくように。乱暴に。
「いいよ」
 ライヒは重ねられた萌歌の手を、ぎゅっと握り締める。
 瞬間、萌歌の手が、そこから逃れるようにびくんとゆれる。
 だけど、ライヒはその手をはなそうとはせず、そのままぐいっと引き寄せる。
 ぼすんと、萌歌の体が、ライヒの胸の中へ飛び込んだ。
 さっき、着ていたシャツを萌歌に進呈してしまったから、そのむきだしになった胸へと。
 ふわりと、萌歌の頬がそこに触れる。
 ひんやりと、冷たいぬくもりがライヒの胸に伝わる。
 どうやら、思いのほか、萌歌の体は冷え切っているらしい。
 ライヒはそのまま萌歌をぎゅっと抱きしめ、すいっと萌歌の耳元に顔を寄せる。
「……浅慮だね。この手をとるということがどういうことか、君にはわかっていない」
 ライヒはどこか嘲笑じみた笑みを浮かべる。
 そして、抱き寄せた萌歌の手に指輪を持たせる。
 同時に、萌歌はその手をぎゅっとにぎりしめていた。
 ようやく戻ってきた大切なものを、もう二度となくしたりしないように。
 そのような萌歌を確認し、ライヒはにやりと笑う。
 萌歌の頬に手を触れ、そのままぐいっと引き上げる。
 目と目が、ばちりと合う。
「たとえこの指輪が君の手に戻ろうとも、君はもうフィガロットのもとへは戻れないよ」
「え……?」
 瞬間、萌歌の顔が険しくゆがむ。
 その顔からも、さっと色が失われる。
 それは、体が冷え切ってしまったためによるものでないことくらい、容易にわかる。
「おいで」
 ライヒは萌歌からするりと視線をそらし、萌歌の腕をぐいっとひき、すたすた歩き出す。
「ちょ、ちょっと。ライヒさん!?」
 やはり、まだこの状況を理解できていないようで、萌歌は足をとられながらライヒに引っ張られていく。
 萌歌が去った後には、水の足跡が、たくさん残されていた。


 ほわほわとほのかに湯気をたちのぼらせ、萌歌はバスローブに身を包んでいる。
 さすがに、頭のてっぺんから足の先までびしょぬれのままでは風邪をひいてしまう。
 そこで、ひとまず、熱々のシャワーを浴びることになった。
 強引に、ライヒによって、バスルームへ放り込まれたから。
 そして、萌歌が体をあたためでてくると、ライヒが我が物顔でソファにふんぞり返っていた。
 この部屋は、あくまで客間であって、ライヒの部屋ではないはずなのに。
 先ほど、侍女の一人をつかまえて、半分脅すようにして、ライヒはこの部屋を用意させた。
 ドアを開け、萌歌がちょんと顔をのぞかせると、ライヒはすかさず気づき、ちょいちょいと手招きする。
 くいっと首をかしげながらも、何の疑いもなく、萌歌はライヒへ歩み寄っていく。
 そして、ライヒの前までいくと、腕をぐいっとひかれその胸の中へ誘われてしまった。
 萌歌はちょっぴりどきりとしたけれど、やっぱり疑うことを知らないようで、不思議そうに首をかしげている。
 さすがにそこまでこの状況に危機感を抱かれないと、ライヒもがっくり肩を落としてしまう。立つ瀬がない。
 何だか……やる気が失せる。
 だけど同時に、ちょっぴりムカっという気持ちもわいてきた。
 ここまで危機感を抱かれないということは、ライヒは、萌歌に男としてさっぱり見られていない。すなわち、魅力のない男と言われているようで……。
 この国の女性たちからは、普段、放っておいても向こうから群がってくるライヒなだけに、何だかおもしろくない。
 ライヒはどことなく危なく目をすわらせ、萌歌を抱き寄せたまま、すっと立ち上がる。
 そして、萌歌をひょいっと抱き上げ、前方に見えるベッドへ歩いていく。
 だけど、それでもやっぱり、萌歌は不思議そうに首をかしげている。
 ムカムカムカーと、瞬時にライヒの怒りのバロメーターが振り切ってしまいそうになる。
 ライヒはベッドまで来ると、多少乱暴に、その上へ萌歌を放り投げる。
 すると萌歌は、「痛いじゃない!」と、予定通りにライヒに怒りをぶつける。
 萌歌の様子に少しだけ気をよくして、ライヒはそのまま、萌歌をとらえるように自らの体もベッドへ落としていく。
 そして、ぎゅっと、萌歌の右手首をつかみ、反対側の手で左肩をベッドへおしつける。
 さすがに、そこまですれば、萌歌もそろそろ危機感を覚えはじめるようで、ぎょっと目を見開いた。
 ようやく、これで舞台が整った。
 何しろ、萌歌に危機感を抱いてもらわないことには、何もはじまらない。おもしろくない。
 これから、ライヒがしようとしていることを思えば。


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update:08/11/19