恋するマリオネット
(88)

 ほのかに光が差し込む回廊を、ぱたぱた走る。
 今日は、今にも雨が降り出しそうなほど、不気味な天気をしている。
 このように南の海に浮かぶ島というものは、スコールはあってもからっと晴れ渡った青空というイメージがあるので、何だか気味が悪く感じてしまう。
 少しよそ見をしながら、ほてる頬に両手をそえ、萌歌は懸命に走る。
 すぐ横には、七色の蝶が舞う花園。
 そして、向かう先には、白亜の建物が見える。
 そういえば、あの建物は、運命の神殿だとかフィガロットたちが言っていた。
 そこで、次の王となる者の伴侶を選ぶ儀式が行われるという……。
 ふと、萌歌の胸に冷たいものがよぎった。
「萌歌っ!」
 同時に、萌歌を呼ぶ声が聞こえてきた。
 この声は、振り向かなくたって、萌歌にはもうわかる。
「なっ!? フィ、フィガロット!? どうして追ってくるのよー!?」
 さらに走る速度をあげ、萌歌は悲鳴を上げるように叫んだ。
 このような情けない顔、フィガロットには見られたくない。
 悔しくて、恥ずかしすぎる。
 しかも、あのようなことがあったすぐ後なのだから、それはなおのこと。
 よりにもよって、萌歌が、フィガロットがいつも身につけているその布に――。
 というか、よく考えれば、あの布を、どのようにすればあそこに落とせるのだろう?
 しかも、実にタイミングよくフィガロットは現れてくれた。
 考えたくはないけれど、もしかして作為的に……?
 そう思うと、萌歌のお腹がむかむかしてきた。
 そりゃあ、しばっているわけでも何かでとめているわけでもなく、ただその肩にかけているだけだけれど、落としたのならすぐに気づくだろう。いや、気づくべきだ。気づかないなど、よほど抜けている。――あり得ない。
 そうすると、もしかして、フィガロットは落としてすぐに気づき拾いにきた?
 だから、あのようにタイミングよく……。
 再び、萌歌の顔が真っ赤に染まる。
 なんと恥ずかしいことに気づいてしまったのだろうか。
「いいから、待て。それ以上一人になると危ない!」
 ばたばた乱暴に追いかけながら、フィガロットは切羽詰ったように叫ぶ。
 思わず、萌歌はぴたりと足をとめていた。
「え……?」
 そして、くるりと振り返る。
 すると、フィガロットはほっと小さく吐息をはき、胸をなでおろした。
 それから、ゆっくり萌歌に近づく。
 もう萌歌は逃げないと、そう確信しているように。
 事実、萌歌の頭からは、フィガロットから逃げるという考えは、もうすっぽり抜けてしまっていた。
 フィガロットが告げたその言葉によって。
 そして、胸を撫で下ろすその姿によって。
 何故だか、萌歌はその姿がとても愛しく思えてしまった。
 だって、そこまで取り乱して萌歌を追いかけて来たのだから。その身を案じ。
 ……え? その身を案じ……?
 胸に抱き寄せようと、フィガロットの腕が萌歌へのびる。
 どくんと、萌歌の胸が大きくひとつ鳴る。
 しかし、のばされたフィガロットの手は萌歌に触れることなく、かすめるようにしてずるりと床へ落ちていった。
 瞬間、萌歌の目が驚きに見開かれる。
「フィ、フィガロット!!」
 同時に、がばりとしゃがみこみ、床に落ちた手を――フィガロットを萌歌は抱き起こし、胸に抱き包む。
 萌歌が不安げに見つめたフィガロットの顔は、真っ青だった。
 さあと、萌歌の顔からも色が失われる。
「ランバート! ジョルー! お願い、誰か来て……!!」
 今にも泣いてしまいそうな萌歌の悲痛な叫びが、誰もいない回廊に響き渡る。
 すぐ横で、なまぬるい風に揺らされ、花々が呪いの言葉を吐いているようだった。
 ざわざわと、得たいの知れない不気味なものが、鎌首をもたげるように萌歌に襲いかかる。
 ざあと、恐怖が駆け抜けていく。


 窓の外は、もう暗くなっている。
 空には、幾千幾万、数え切れないほどの星が輝いている。
 相変わらず、この国の夜空は美しい。
 夜空だけでなく、昼の空も、そして広がる景色も。
 だけど、そこで暮らす者たちの心の内には、まるで闇が巣くっているよう。
 ……世界中の他の国と変わらず。
 うっすらと明かりがともされたそこだけは、ぼんやり明るい。
 天蓋から垂れる更紗(さらさ)に、おぼろに浮かび上がる人の姿がある。
 ベッドに横たわる者を、どことなく苦しげに、けれど愛しそうに見つめるその姿。
 見つめるその視線の先で、ふと目が開かれた。
 そして、瞬間、驚いたように見開かれる。
 それに気づいた見つめていたその人影が、胸をなでおろすそぶりを見せた。
「フィガロット……。大丈夫? だいぶ無理がたまっているということよ……」
 そして、人影――萌歌はそうつぶやき、ふわりとまくらにうまるその頬に触れる。
 ふれると同時に、その頬は瞬時に朱に染まり、目は極上の幸福に細められる。
「そうか。情けないな」
 すっと、フィガロットは苦く笑ってみせる。
 幸福と同時に、恥じらいも生まれたらしい。
 羞恥というよりは、情けなさ、ばつの悪さかもしれない。
 このような情けない姿、萌歌にだけは見せたくなかったのに……と。
 だけど、フィガロットのその言葉に、優しげに見下ろされていた萌歌の目がさっと険しくなる。
「馬鹿。何を言っているのよ。仕方がないわ。だけど……あまり無理しないで」
 そして、悲しそうに細められる。
 フィガロットの頬に触れる萌歌の手に、きゅっと力がこもる。
 その手に触れるように、フィガロットの手が重ねられる。
 それから、もう一方の手を萌歌の腰にまわし、フィガロットはそのままぐいっと萌歌を抱き寄せる。
 ぽすんと、萌歌の体がフィガロットの胸にたおれこむ。
「無理くらいするよ。そうしないと、萌歌が……」
「どうして、そう自分を犠牲にしたがるの?」
 フィガロットがふわりと萌歌の髪に顔をうずめささやくと、瞬時に萌歌はそう切り返した。
 フィガロットの胸の上で、不服とばかりにもぞもぞと萌歌の体が動く。
 くるりと顔だけをまわしフィガロットに向けられたその目には、どこか非難の色も含まれている。
「え……?」
 予想外の萌歌の反応に、フィガロットは戸惑いの色を見せる。
 すると、萌歌はたたみかけるように言葉をはきだす。
「だってそうでしょう。フィガロットを見ていたら、そういう気がしてくるの」
 それから、がばりとフィガロットの胸の上にあった上体をおこし、そこからやはり非難するように見下ろす。
 フィガロットはどこか自嘲気味な笑みを浮かべ、だけどすぐに険しい顔つきになり、ゆっくりと上体を起こしていく。
 それを、慌てて萌歌がとめようとしたけれど、フィガロットはやんわりと制止し、強行する。
「……犠牲か……。まあ、しているのかもしれないね。俺は、そういうふうに教育されてきたから」
 フィガロットは、掟やしきたりとは破るためにあるのだよと、ランバートと一緒に笑って楽しんでいるふりをしているけれど、本当はまだどこかで吹っ切れていない。こだわっている。
 ランバートやライヒにおいても、平気なふりをして、だけどやっぱりどこかではこだわっているのかもしれないと思う時がある。
 けれど、本当の意味で、縛られたままなのは、もしかしたらフィガロットだけかもしれない。
 王やその后を見ていても、二人はちゃんとわりきり、そしてそれを己のものとしている。
 ランバート兄弟たちだって、そう。
 ただ一人、フィガロットだけが、まだそれにとらわれたまま。
 まわりの人たちを心配させたくないと、不安にさせたくないと、ただ強いふりをしているにすぎない。
 いつか、フィガロットがそれから解放される日はやってくるのだろうか?
 ありのままを、自らの運命を受け入れ、そして乗り越えていく日が――。


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update:08/12/29