恋するマリオネット
(89)

「フィガロット……?」
 ふと、萌歌の顔に不安そうな陰りが落ちた。
 フィガロットが言っている言葉の意味がわからない。いや、わかりすぎてしまったから、だから……。
 そのようなことを言われては、萌歌はもうフィガロットを非難できない。
 ……いや、もとから非難をする気などない。
 ただ、もう少し、自分自身を大切にして欲しい、そう願うだけ。
 悔しそうに、苦しそうに、きゅっと唇をかむ萌歌を、フィガロットは複雑な笑みを浮かべ、ふわりと抱き寄せる。
 そして、胸の内に寄せた萌歌を、愛しそうに見つめる。
 ぴくりと、萌歌の体が反応し、ばっとフィガロットを見つめる。
 まるで衝撃を受けたように、その目が見開かれている。
 フィガロットはどこか諦めたような光を目にこめ、おざなりにつぶやく。
「俺はどうせ、国のための操り人形だから……」
「でも、操り人形でも、心はある。――恋はする」
 間髪をいれず、自信たっぷりに、萌歌がそう言い切った。
「え?」
 予想外の萌歌の言葉に、フィガロットは目を見開きまじまじ見つめる。
 フィガロットは、何かに戸惑っているようにも見える。
 萌歌はやはり自信たっぷりに、にっこり微笑む。
「違う?」
 先ほどまで、不安そうにフィガロットを見つめていた女性と同一人物だとはとうてい思えない、自信に満ちた微笑み。
 その微笑みに、フィガロットの心は、真綿のぬくもりに包まれるよう、癒されていくように感じる。
「……違わない」
 どこかばつが悪そうに、だけどいたずらっぽく、フィガロットはくすりと笑う。
 そのようなこと、フィガロットは気づかなかった。萌歌に言われるまで。
 そのような考え方もあったことすら、フィガロットは気づく余裕がなくなってしまっていた。
 そして、萌歌の言葉によって気づいてしまった。
 もしかして、フィガロットは自分で自分を追い込んでいただけなのでは……?
 そうあるべきだと。
 抱き寄せられたフィガロットの胸に頬を寄せ、萌歌も自ら背に腕をまわしてく。
 だけど、フィガロットの胸は、背は、予想以上にがっしりしていて、くるりと腕をまわしきることができない。
 そこが、萌歌の中で、さらに愛しいという思いを深めていく。
 萌歌は思わず、すりっと、そのあたたかい胸に頬をすり寄せる。
「どうなるかわからないことや、考えても仕方がないことなら、くよくよ考えない。その神様の力、利用できるなら利用しようじゃない。発想の転換よ。神に利用されるのではなく、フィガロットたちが神を利用するのよ。人間にやきもちをやく神なんて、その程度の扱いで十分。ケ・セラ・セラよ」
 やはり自信たっぷりに、どこかいたずらちっくに、萌歌はけろりと言い放つ。
 もちろん、フィガロットはまた目を見開くことになる。
 フィガロットではとうてい想像できなかった、その突飛な考え方に。
 ……そう、そうだった。
 どうして今まで、フィガロットはそう考えることができなかったのだろう。
 人から言われれば、萌歌から言われれば、こんなに簡単なことだと思えるのに。
 そう考えれば、あれほど鉛のように重かった胸が、羽のようにすっと軽くなる。
「ははっ。萌歌にはかなわないな」
 自嘲気味に、だけど先ほどまでとは違いどこか晴れ晴れとした思いで、フィガロットはにっこり微笑んでいた。
 萌歌は得心したように、フィガロットに優しい眼差しを向ける。
 今の今まで、いたずら小僧のように笑っていた萌歌とはまったく違う。
 その微笑は、フィガロットの目には、まるで聖女のようにすら見えた。――慈悲深い、すべてを優しく包み込む、穢れない乙女。
 フィガロットは、真剣な眼差しを萌歌へ向け返す。
「……ねえ、フィガロット。わたし、決めたわ。わたしももう逃げないから、これから一緒に頑張っていこう?」
「……え?」
 突如もたらされたその言葉に、フィガロットは不思議そうに首をかしげる。
 萌歌が言っていることはわかるけれど、だけど、どうしてそのようなことを、今……?
 いや、今だからこそ?
 とぼけたふうのフィガロットに、萌歌は一瞬むっと頬をふくらませた。
 だけど、すぐにきっと表情をひきしめ、胸の内からフィガロットを見上げる。
「ただひとつ、ゆずれないものだけはゆずらない。その心があれば、それは決して操り人形などではないわ。――わたしも一緒に戦う。フィガロットが目指しているものへと。たとえどんな困難があろうとも、一緒にこの因縁を解き放とう?」
「……一緒に……?」
 驚いたように、だけど嬉しさに満たされたように、フィガロットはくしゃりと顔をくずす。
 萌歌は困ったように肩をすくめフィガロットを見つめ、こくんとうなずく。
 瞬間、フィガロットの顔がぱあっとはなやぎを見せる。
 フィガロットは、すべてから解放されたような心地になった。
 萌歌の言葉だけで、ここまで救われるなんて――。
 これまで散々悩んできたフィガロットが、まるで馬鹿みたいに思えてくる。
 だけど、それでいい。きっと、それがいいのだろう。
 気づくまでに時間はかかったけれど、だけど気づいたら、あとは……。
 気づかせてくれたのが萌歌ということが、フィガロットは何よりも幸せだと思える。
「……それに、大丈夫。フィガロットがいく時は、わたしも一緒にいってあげる。二人の方がご利益も倍という気がしない?」
 うなずくと同時に、どこかおどけたように、萌歌はそう言っていた。
 ぺろりと舌をだして。
「え?」
 フィガロットは、鳩が豆鉄砲を食ったように萌歌を見つめる。
 だって、それは、最高の愛の告白の言葉。
 ともに生き、ともに死ぬ。その命をかけた思いだということだから。
 萌歌は愛しげに目を細める。
「フィガロットが気にしているのは、そこでしょう?」
 そして、背にまわしていた手のひとつを、フィガロットの頬にすっと添える。
 その手を、フィガロットはぎゅっと握り締める。
「萌歌……」
 それからそのまま、両腕いっぱいを使い、求めるように萌歌を抱きしめる。
 フィガロットの胸の内で萌歌が少し苦しそうに身じろいだけれど、それにはあえて気づいていないふりをする。
 たしかに、自分一人の命でたくさんの民を救えるなら、王としてこれほど喜ばしいことはない。
 喜んでこの命を差し出そう。
 常々、フィガロットはそう思っている。
 ただ、それによって悲しむ人がいることは確かだから、そうだと信じているから……。
 何よりも、誰よりも大切な人を悲しませることが耐えられないから、だから……。
 だけど、その大切な人がそう言ってくれるのなら、フィガロットも少しは気が楽になる。
 もちろん、本当にともに連れていく気などないけれど、そう言ってくれる気持ちが、決意が嬉しい。
 だから、そのためなら、フィガロットはこのとりとめない不安にも耐えられるような気がする。
 いつその時がやってくるとも知れない、その不安にも。
 考え方を変えても、そこだけは一生変わることはないだろう。
 やはり、死を恐れないわけはないのだから。
 王としては喜ばしく思えても、一人の人間としては、それほど恐ろしいことはない。
 たとえ、それは、すべての人の上に、平等にいつかはやってくるものだとわかっていても。
 わかっていても、気持ちはまだそこまで成長しきれていない。強くなれていない。
 だけど、フィガロットはこれから強くなっていけそうな気がする。
 だって、萌歌はフィガロットに言ってくれたから。
 たしかに、萌歌の言う通り、あるかすらわからないことで気をもむ必要はない。胸を痛める必要はない。
 歴代の王だって、そうそうその力を使わなければならなかったことなどないのだから。
 神から与えられた人々を救う力、むしろ、ありがたく思わねば……。
 呪う必要などない。
 ――依り代になることは、嫌じゃない。
 それが、人々を救うことになるのならば。
 それが、王の義務なのならば。
 だけど、フィガロットがどうにも合点がいかないのが、伴侶を選ぶ儀式。
 フィガロットは、そのようなことなどなく、普通に恋をして結婚したい。
 自由がないのだから、それくらい自由にさせてもらう。
 いつまでも、神の言いなりになっているつもりなどない。
 まずは、これが手始め。
 萌歌の存在が。
 そして、そこから、新しい、みんなが幸せになれる道を探っていけばいいじゃないか。
 同じことなら、そう考えた方が、幸せな気分になれるじゃないか。
 マリオネットでもかまわない。
 ゆずれないものさえゆずらなければ。
 大切なものさえ見失わなければ。
 萌歌がそう言ってくれたから、フィガロットもそれを信じ、これからも生きていける。
 今まで以上に、今までになく、きっと幸福に満たされて。
 何よりも、マリオネットだから、フィガロットは無二の愛しい存在を手に入れることができた。
 ならば、マリオネットもそう悪いものではないかもしれない。
 フィガロットがそう思えるようになったのは、きっと、このゆずれないものに出会えたからだろう。
 この世でたった一人、誰よりも愛しい存在に――。
 フィガロットは、ゆっくりと、胸に抱く萌歌をベッドへ横たえていく。
 まだフィガロットのぬくもりが残るシーツの上に、萌歌のやわらかい黒髪が広がっていく。波打つように。
 ほんのりうるんだその黒瞳が、ぬれた眼差しをフィガロットへ向けている。
 その深い光に、フィガロットは吸い込まれそうになる。理性を手放しそうになる。
 見つめるその瞳に、すっとフィガロットの影がかかる。
 そして、そこに、フィガロットの顔が重なっていく。
「愛している。萌歌……」
 忍耐というものががらがらと音をたて崩れ、本能に支配された瞬間だった。
 この愛しい存在を、手放したくない。
 フィガロットだけのものにしたい。
 唇を重ねても、今度は萌歌は嫌がることはなかった。
 平手打ちが返ることも――。


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update:09/01/01