恋するマリオネット
(90)

 ほとりに東屋が見える。
 色とりどりの花々が咲き乱れるその庭園の中央に、ひょっこり姿を現す、水底が見えてしまいそうなほどの透明度を持つその池。
 常に水を循環させ、水質をたもっている。
 もしかしたら、いたるところで節約されているこの城の中で、いちばん贅沢を味わっているのがその池かもしれない。
 この池は、ここを訪れる誰の心にも、その水面のような安らぎを与えられるようにと、常に汚れないようにたもたれている。
 それだけではなく、この池は特別な意味を持つ池でもある。
 かつて、この国の唯一神・ヴィーデが、愛しい恋人とともに水浴びをしたという言い伝えが残っている池を模している。
 白くて硬い石で造られたその東屋に、どこか物憂げに、ゆれる水面を眺める青年が一人。
 夢のように美しい金の髪をわずかな風にそよがせて、ほうとひとつ吐息をもらす。
 腰かけるそれの背もたれにもなっている背の低い壁に片肘をつき、そこにぽてりと頭をのせている。
 さわりと、フリルたっぷりのドレスが、咲く花に触れるような音がした。
 それにふと気づいたけれど、池を眺める青年はあえて気づかないふりをする。
 この穏やかな時間を邪魔されたくないと。
 そのまま立ち去ってくれればいいのにと。
 だけど、自然の音に満たされたそこへ邪魔するように人工の音をさせたその人物は、どうやら青年を放っておいてくれる気はないらしい。
「ねえ、ライヒさま。あなた、あの下賤……異国の娘を思われていらっしゃるのですってね? ランバート神官とお話をされているところを、たまたま聞いてしまいましたの」
 悪びれもせず、さもそれが当たり前とばかりに、やってきたドレスの持ち主が青年にそう話しかける。
 見下ろすその目は、間違いなく、青年――ライヒを馬鹿にしている。
 ライヒはちらっと視線を流し、あてつけがましくため息をつく。
 王族であるライヒにそのようなぶしつけなことを言うとは、一体どこの痴れ者だろうか。無教養者だろうか。
「……誰だ、お前」
 ライヒはあからさまに不機嫌を漂わせる。
 一人ぼんやり考える時間を邪魔されて不愉快なのだろう。
 無礼なその女性は、ライヒのご機嫌ななめなどかまわず、ふふんと、得意げに嫌味な笑みを浮かべる。
「わたくしは、ラインフェア家の娘ですわ」
 そう言った女性は、フィガロットによく絡んでいる、あのマリエルだった。
 意地悪く生意気そうな笑みが、彼女の性質をよくあらわしている。
「ああ、あのくされ大臣の」
 思い切り興味なさそうに、ライヒはぷいっと顔をそむける。
 そしてまた、小さくあちらこちらで波紋を描く池へ、視線を戻していく。
 そこでは、どこから飛んできたのか、ひらりひらりと、色とりどりの花びらが水面で戯れていた。
 ライヒの言葉を聞いた瞬間、マリエルの額にぴくりと青筋が一本たっていた。
 だけど、さすがはあの¢蜷bのご令嬢。優雅に平静をよそお――取り繕う。
「まあ、それは今はどうでもいいですわ。わたくし、ライヒさまに少しご相談がございますの」
「嫌だね。面倒なことにはかかわりたくない」
 不気味なほどにっこり微笑みそう言ったマリエルに、ライヒはおざなりに答える。
 むしろ、今ここにいるマリエルこそが面倒だと言わんばかりに。
 事実、あの¢蜷bのご令嬢とわかった以上、ライヒはとてつもなくマリエルにかかわりたくない。
 間違いなく、やっかいなことに決まっている。
 体全部で拒絶を示すライヒに、マリエルは気づいていないのか、なおも得意げに微笑み、ずいっと詰め寄る。
 池を眺めるライヒをまるで見下ろすように、にやりと口の端をあげる。
「まあ、そうおっしゃらず……。ライヒさまが、あの異国の娘を手に入れられるとっておきのご相談ですのよ?」
 そして、顔をライヒの耳にずいっと寄せ、そっと耳打つ。
 ライヒは、汚らわしそうにすいっと上体を引く。
「……何?」
 振り向いたライヒの怪訝な眼差しが、マリエルに注がれる。
 それを見て、マリエルはさらに得意げに微笑む。
 予定通りと。


「……あ、萌歌さま、フィガロットさま」
 ふわふわ舞う蝶とたわむれながら、フィガロットと二人、萌歌が庭園を散歩していると、前方からやって来たギリッシュがそう微笑みを向けた。
 そして、やわらかに微笑んだまま、萌歌たちにゆっくり近づく。
 フィガロットににぎられている萌歌の手に、ぎゅっと力が入る気配がした。
 不思議に思い萌歌がななめ上を見上げてみると、なんだかフィガロットはやきもちをやいているようにちょっぴり頬をふくらませている。
 それに少し驚いたけれど、萌歌はすぐにほわりと顔をくずしてしまった。
 胸がくすくすとくすぐったい。
 萌歌も、もう少しだけ、握る手に力を入れる。
 すると今度は、フィガロットの顔が驚いたようにほころんだ。
 もう少しいくと、白い東屋がある池へと出る。
「お二方は、お散歩ですか?」
 ギリッシュは萌歌とフィガロットの前までやってくると一礼し、にこやかに問いかける。
 気のせいか、先ほどから、ギリッシュは、フィガロットへは一度も視線をやらず、萌歌ばかりに微笑みかけているように見える。
「うん。ギリッシュさんも? こんなにお天気がいいと、ついついお外へ出たくなっちゃうよね」
 くすくす笑いながら、萌歌はこの時間が楽しそうにギリッシュに問いかける。
 すぐ横で、フィガロットは困ったように肩をすくめている。
 まあ、それは無理もない。
 何しろ、今はこうして自由に、無用心に歩きまわったりできる状況ではないのだから。それなのに、萌歌は無邪気に楽しんでいる。
 まだ、不安要素はまったくなくなっていない。
 むしろ、事態は悪化しつつあるように思える。
 萌歌がフィガロットの運命の乙女でないという噂が広まりすぎている。
 しかし、運命の乙女ではないけれど、本当の意味で、萌歌はフィガロットの運命の人になったのだろう。
 昨夜、二人心をはじめて深くかよわせてから。
 萌歌が心から、フィガロットを受け入れてから。
 死ぬ時は一緒と、そう確認しあったから。
 受け入れてしまったら、そしてともに乗り越えていこうと決意したら、あれほどこだわっていたことすべてが、萌歌はどうでもよくなってしまった。
 今は、素直にフィガロットを受け入れられる。
 それにフィガロットも気づいているらしく、朝からすこぶるご機嫌がよい。
 それを目の当たりにしてしまったら、萌歌も自然、胸がはずんできてしまう。
 だから、このような大胆なことまでしてしまえる。
 手を握り合って、お庭をお散歩……なんて大胆なことも。
 何よりも、開け放たれた窓から七色蝶が何匹も舞い込んできて、外へ外へと誘うのだから、それに逆らう強さなど、萌歌は持ち合わせていない。
 一人ふらふらと部屋を出ようとした萌歌に気づき、フィガロットが慌ててこうしてついてきた。
 きっと今頃、フィガロットがいないことに気づいたジョルーが、慌てふためいているだろう。
 それすらも、想像すると、萌歌は何だか楽しくなってきてしまう。
「そうですね、この青く晴れ渡った空をながめていると、まるで心が洗われる――救われるようです」
 ギリッシュはそうつぶやき、どこか切なげに萌歌を見つめる。
 そのようなギリッシュを、萌歌は怪訝に見つめてしまった。
 だって、何かが、どこかが、ひっかかるから。今のギリッシュは。
 萌歌を見つめるその目の奥に、どんよりと暗いものを感じる。
 その時だった。
 案の定というか、早速フィガロットの姿を見つけたジョルーが、建物の方から血相を変えて駆け寄ってくる。
 何やら叫んでいるようにも見える。恐らく、いきなり消えたフィガロットに対する恨み言でも怒鳴り散らしているのだろう。


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update:09/01/08