恋するマリオネット
(91)

「フィガロットさま! 探しましたよ!」
 頬をひきつらせじりじり後退するフィガロットの前までやってくると、ジョルーは無造作にその腕をぐいっと握った。
 凄まじい形相で駆け寄ってくるジョルーに恐れをなして逃げようとするフィガロットをつかまえていた萌歌の協力によって、フィガロットはあっさりジョルーに捕獲されてしまった。
 フィガロットとこうしてお散歩をすることはわくわくするけれど、だけどやっぱり、ジョルーを困らせるのもどうかと思って、萌歌は思わず協力してしまっていた。
 ジョルーが探しているということは、フィガロットは公務をさぼっているということだろう。……だろうではなく、間違いなくさぼっている。
 フィガロットの腕をぐいっとつかみ、大きく深呼吸をして、ジョルーは息を整える。
 そして、まだ荒い息のまま、ジョルーは一気に叫ぶ。
 恐ろしいほど青い顔をしている。
「フィガロットさま、大変なことになりました。じ、事態が、事態が急転し、もはや取り返しがつかないところまできてしまいました!」
「……え?」
 瞬間、怯えたようにジョルーから逃げようとしていたフィガロットの顔が、険しくゆがむ。
 それまでの、半分本気で半分冗談の、ジョルーとの追いかけっこを楽しんでいた様子はない。
 ぴりぴりと痛々しい気配が萌歌にも伝わってくる。
 萌歌は思わず、フィガロットの腕に抱きついていた。
 萌歌の顔もまた、瞬時に色が失われてしまっていた。
 とりかえしがつかないほど悪化する事態など、そしてそれほど慌てる事態など、あのことしかないだろう。
 一体、どうなってしまったというのだろうか?
 もともと、すでに事態は最悪な方向へいきつつあったけれど。
「……そうか。それで、このことは、ランバートやライヒは……?」
 そっと萌歌の肩に腕をまわし、フィガロットはそのまま抱き寄せる。
「え? あ、はい。ランバートさまは、すぐにこちらへ――」
「やってまいりましたよ」
 ジョルーがそこまで言いかけると、突如、背後からそう声がかかった。
 瞬間、まるで化け物に出会ったような声にならない叫び声を、そこにいた誰もがあげていた。
 常に、つかみどころがなく、正体不明で神出鬼没だと思っていたけれど、まさか、今このような状況でもそのようなことをしてのけるとは……と、恨めしそうな視線が、一斉に突然現れたその神官姿の青年に注がれる。
 その視線を、まるでそよ風のように心地良さそうに受けて、やってきたランバートはにっこり微笑む。
「お前はなあ……」
 ぎゅうっと萌歌を抱きしめ、フィガロットはやはり恨めしげにそうつぶやいていた。
 しかし、すぐにすっと姿勢をただし、ランバート、ジョルーと目で合図をかわしあう。
 いつもなら、このままふざけた会話へ突入するところだけれど――意図せず。ランバートのためだけに――今はそのような状況ではないと、さすがの彼らもわかっている。
 ぴりりっと、痛々しいまでの厳しい空気が漂う。
 その時だった。
「あ、あそこにいるの、ライヒさん……?」
 フィガロットの腕の中から、萌歌が前方に見える池をすっと指さす。
 瞬間、全員、萌歌の指の先へ視線を移していた。
 すると、たしかにそこには、ライヒの姿があった。
 探す手間がはぶけたと思うと同時に、さらにびりっとした空気が辺りに充満する。
 ライヒとともに東屋にいる女性の姿を見つけてしまったから。
 その女性は、フィガロットたちにとっては、今はとても都合が悪い。
 これから、ジョルーが知らせにきたことをライヒにも伝えなければならないというのに、ある意味、聞かれてはいちばんまずいだろうその相手が、そこにともにいるのだから。
 しかも、これは事を急すること。
 あの女性は、フィガロットの姿を見つけては、一筋縄では素直に去ってくれない。
 ぎりっと、フィガロットは奥歯をかみしめる。


 怪訝に光るその目の向こうで、陽を反射して、水面がきらきらと輝いている。
 だけど、この場には、そのようなおだやかな景色にそぐわない、互いの真意を探るようなぴりぴりとした空気が流れている。
 明らかに不審をたっぷりこめたライヒの視線と、馬鹿にしたように得意げに微笑むマリエルの視線が、陰湿に絡み合う。
「とっておきの情報ですの。これを上手く利用すれば、あなたは異国の娘を手に入れることができますわ。わたくしは、あの娘がフィガロット王子の妃と名乗ることが許せませんの」
 マリエルはふうっと目を細め、どんよりした光を放ち、口のはしを上げて小さく笑む。
 ライヒはマリエルへ試すような視線を流す。
「へー……。それで? その情報って?」
「まだ言えませんわ。あなたが、わたくしと手を組むと約束するまでは」
 どうやら、マリエルは思っていたほど馬鹿ではないらしい。
 どこかもったいぶるように、そうにやりと微笑む。
 ライヒは、ほほうと、感心したように、挑戦的に目を細める。
 おもしろくないらしい。
 馬鹿だと思っていたお嬢様が、存外馬鹿ではなかったから。
 これが、もっと思っていた通りの馬鹿な令嬢ならば、ライヒの思うまま操ることもできただろうに……。
 いや、やっぱり馬鹿だろう。
 発言の一つ一つ、決して計算されてなされているものではないから。
 むしろ、行き当たりばったり……焦らして、嫌がらせをして、楽しんでいるだけだろう。この令嬢の性質からすれば。
 それが、結果的に駆け引きになっているにすぎない。
「俺だって、その情報とやらを聞くまでは何とも言えないな。使えなければ意味がない」
 ライヒはもう少しだけ探りを入れてみることにした。
 これで落ちなければ、マリエルは本物の可能性があるけれど、これで落ちれば、予想通りただの馬鹿な令嬢。
 上手く使えば、いい駒になる。利用できる。
 ライヒのその挑発的な言いに、マリエルはひくりと頬をひきつらせる。
 だけど、すぐに得意げに微笑む。
「……ふん。まあ、いいですわ。これは、今騒がれていることの裏づけになることですのよ」
 ……どうやら、マリエルは予想通り、後者だったらしい。
 ほいほいと簡単に、ライヒの挑発にのってくれた。
 多少頭のいい者なら、もう少しくらい、ねばって駆け引きを続けるだろうに。
 元来、このお嬢様には、まわりくどい嫌がらせは似合わない。
 例えば、花束に毒針を仕込むとか、本人を目の前に口汚くののしるとか、その程度が関の山だろう。
 身の丈以上のことをしようとするから、そうしてすぐぼろが出る。
「ほうほう。……で?」
 にやにやと、意地悪く、ライヒは笑ってみせる。
 すっと足を組み、その上に肘をつき、そこに顔をのせて、ずいっと視線を流す。
 ぴくりと、マリエルの眉がゆがむ。
 どうやら、そういうことだけは、マリエルも敏感に汲み取れるらしい。
 自分が馬鹿にされているかされていないかということだけは。
「あの娘は、事実、儀式により選ばれた娘ではないのですわ。本人からそう聞いたという者がおりますの」
 だけど、抱く憤りを必死になだめて、マリエルは平静を装う。
 まったく装えていないことは、この際触れないでおこう。
「……何?」
 何しろ、ここは、流れから、ライヒはそう怪訝に顔をゆがめなければならないから。


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update:09/01/14