恋するマリオネット
(92)

「マリエル嬢!!」
 その時だった。
 マリエルに怒声が投げかけられた。
 視線をずらすと、マリエルの後ろに、体いっぱいに怒りをにじませふるふる震えるフィガロットの姿があった。青ざめた顔をしている。
 フィガロットのその姿を見て、ライヒはどこかしらけたような表情を浮かべる。
 それでは、思い切り自ら暴露しているようなもの。
「え!? フィ、フィガロットさま!?」
 しかし、突如現れたフィガロットに大きく驚いたらしく、マリエルはそこには気づいていない。
 マリエルもまた、赤くなったかと思うとすぐさま青い顔になり、忙しなく表情の変化を見せる。
 フィガロットが現れたことにぽっと頬を染めたのもつかの間、その険しい表情に身の危険でも感じたのだろう。
 今のフィガロットは、気に入らない者すべて、片っ端から殺していきかねない形相をしている。
 フィガロットの背に隠れるように、萌歌の姿が見える。
 そして、顔色が優れない、ランバート、ジョルー、その後ろから、ギリッシュがやって来る。
 見事にそろったその面々に、ライヒはぴーんと悟ってしまった。
 どうやら、これは何事かがあったのだろう。
 しかもそれは、ただならぬ事に違いない。
「今言ったことはどういうことですか? 偽りで和を乱すとなると、いくらあなたでも許しませんよ」
 ずいっとマリエルに詰めより、フィガロットは射殺ろさんばかりの鋭い眼差しをそそぐ。
 そのいつにない厳しい視線に、マリエルは素直に震わせ怯える。
 普段、あれだけ不遜に振る舞っているのに、いざ王子を目の前にするとこの有様らしい。
「あ……その……」
 マリエルはびくびくと体を震わせ、口ごもる。
 ちらりちらりと、あちらこちらへ視線をさまよわせ、フィガロットの視線と合わせようとしない。
「マリエル!!」
 のらりくらり逃げようとするマリエルに、フィガロットは再び怒声を放つ。
 瞬間、マリエルの顔が悔しそうにかっと真っ赤に染まりあがった。
 ぎろりと鋭い眼差しを、フィガロットへ向ける。
 フィガロットの背に隠す萌歌が、同時にびくりと体を震わせていた。
「そこのギリッシュですわ! ギリッシュから聞いたのよ! その下賤な女が自ら、召喚されたのではないと言ったと! それで十分じゃない。召喚されたのでなければ、その女には王子の妃になる資格などありませんわ! 汚らわしい。その女は、王子を、しいてはこの国を陥れているのですわ!」
 マリエルは一気に、投げやり気味にそう吐き出す。
 ぶるんと頭を一度ふり、髪を振り乱す。
「……うるさい」
 ぼそりと、フィガロットの口からその言葉がもれた。
 だけど、勢いづいてしまったマリエルは、それには気づいていない。
 それに気づいてしまった萌歌は、背から、心配そうにフィガロットを見つめている。
 萌歌がどれほど酷いことを言われているのかわかっているはずなのに、それでもフィガロットのことが気になるらしい。
「だから、わたくしが、王子のために、本当のことを宰相のおじさまにこっそり教えてさしあげたのですわ。感謝していただきたいくらいですわ!」
 もう一度ぶるんと頭をふり、マリエルは一心不乱にそう叫ぶ。
 語るにおちている。
 やはり、自ら墓穴を掘ってくれた。
 せっかく持っていたカードを、自ら無駄に手放してしまうなど、やはりこの令嬢には駆け引きというものは似合わない。
 どだい、はじめから無理だったのだろう。
 そのような器量はないのだから。
 ライヒは視線を池へすっと向け、ふうっと意地悪く薄い笑みを浮かべる。
「黙れ!」
 かっと目を見開き、フィガロットが憎らしげにマリエルをにらみつける。
「……きゃっ」
 すると、その威圧に負けたのか、あれほど勢いのあったマリエルが、あっさりと怯えた声をあげた。
 それを確認し、フィガロットはすうと目に見える怒りを鎮めていく。
 ますます、萌歌が不安そうにフィがロットを見つめる。
 どうやら、萌歌にはわかってしまうらしい。
 今、フィガロットが抱いているその思いが。
 それは、自らが貶められることより、萌歌にとっては気にかかり、大切なことのよう。
 ぎゅうと、フィガロットの腕に萌歌が抱きつく。
 ぴくんと、フィガロットの体が小さく反応した。
 そして、ちらりと、自らの背に隠す萌歌へ視線を流す。
 萌歌の姿をその目にとらえると、それまで抱いていた憤りがフィガロットの中で嘘のように晴れていく。
 だけど同時に、また別の怒りがこみ上げ来た。
「……ギリッシュ」
 冷たく、静かに、フィガロットは後ろに控える薬師の名を呼ぶ。
 すると、ギリッシュがびくりと明らかに怯えたように体を震わせ、ふいっと視線をそらした。
 ギリッシュにも、これから自らに待ち受けていることがわかっているらしい。
 わからないはずがない。ギリッシュは、マリエルほど馬鹿ではないのだから。
 自らがしでかしてしまったことがどれほど重大なことか、ひしひし感じているだろう。
 ――もしくは、わかっていて、あえてそうしたとも考えられる。
 この薬師ならば。
「別に、何も……。わたしはただ、萌歌さんが召喚されたのではないと言っていたと、マリエルさまに言っただけですよ。ただの世間話ではないですか」
「ギリッシュ、貴様……っ!」
 瞬間、フィガロットの体が、ギリッシュめがけて飛び出しそうになった。
 しかし、それは、必死に背にしがみつく萌歌と、すっと間に割って入ったランバートによって、あえなく阻まれてしまった。
 フィガロットは悔しそうに唇をかみ、じりっとおしとどまる。
「フィガロットさま、今はとにかく落ち着かれて。それよりも……」
 そのようなフィガロットを確認し、ランバートはそう告げる。
 そして、ちらりと、視線をライヒへ向ける。
 それに気づいたライヒは、ふうっと細い息を吐き出し、こくんとうなずいた。
「く……っ。――行くぞ、ランバート、ジョルー! ライヒ、お前も来い!」
 そう怒鳴り、背に抱きつく萌歌をするっと抱き寄せ、フィガロットはずんずん歩いていく。
 ずっと向こうの方に見える、フィガロットが居住する館へ向かって。
 その後を、ジョルーが慌ててついていく。
 ライヒも、面倒くさそうにのっそり立ち上がり、それに続いていく。
 ぎゅっと地を踏みゆっくり踵を返しながら、ランバートは恐ろしいほど冷たい眼差しを、悔しげに顔をゆがめるギリッシュへ流す。
「……ギリッシュ、覚えていなさいよ」
 そう静かに吐き出すように言うと、ランバートはそのままフィガロットたちを追いかけるようにすたすた歩いていく。
 その後ろ姿を、ギリッシュはやはり、悔しそうに、憎らしげににらみつける。
 そして、フィガロットたちの姿が小さくなり消えかけた頃、ともに取り残されてしまったマリエルへ、ギリッシュは射殺してしまいそうなほど鋭く険わしい視線を向けた。
 ぎりっと、奥歯がなる。
「まったく……。あなたは、役に立ちませんね」
 そして、蔑むようにマリエルをちらりと見て、くるりと背を向ける。
「な……っ! たかが薬師の分際で、わたくしを愚弄する気!?」
 ゆっくり歩き去るギリッシュの背に向けて、怒り狂うマリエルの叫び声がぶつけられた。
 しかしすぐに、怒りの矛先は違う方向へ向いてしまった。
 それは、なげやりにすら見える。
 先ほど、あれほど追いかけまわしていた王子から、マリエルは容赦なく引導を渡されてしまったのだから、もう自暴自棄にならずにはいられない。
「いいわ。こうなったら、もうやぶれかぶれよ。このことを世間に広めてやるわ! 見ていらっしゃい。せいぜいほえ面をかくといいわ。あのような下賤な娘、わたくしは絶対に許しませんわ!」
 マリエルは必死に怒りをおさえたかすれる声で、叫ぶようにそうつぶやいていた。
 それから、血がにじまんばかりに唇をかみしめる。
 ふるふる震えるその拳は、色を失うほど強く握られている。
 しかし、背後のそのようなマリエルには気づくことなく、憎らしいくらいに青く晴れ渡った空へ視線をさまよわせ、ギリッシュは危なげな足取りでこの美しい花々が咲く庭園を歩いていく。
 胸に、抱えきれない苦しみを抱きながら。
 本当は、萌歌が欲しかっただけだった。
 苦しめるつもりなどなかった。
 ギリッシュにはじめて見せたあの控えめな微笑みを、守りたかったはずなのに。
 もう一度見たいと思っていたのに……。
 怯える萌歌とぽつりぽつり言葉をかわし、ゆっくり打ち解けていくにつれ、ギリッシュは胸にぬくもりを感じはじめていた。
 そして、それはいつしか、気づかぬうちに、淡い思いへと変わっていた。
 だけど、その思いが災いしたのか、気づけばこのようなことになっていた。
 召喚された運命の乙女ではないとわかれば、萌歌はフィガロットから解放され、そして、そうすればギリッシュにも望みが生まれるのではと……。
 まったく、盲目とはこのことだろう。
 まわりが見えなくなる、正常な判断ができなくなるとは、よく言ったもの。
 これでは、ギリッシュはマリエルのことを馬鹿にできない。
 こうなってしまった今、思えば、なんと浅はかな考えだったのだろうか……。
 後悔しても、もう遅い。
 すべてが終わってしまったのだから。


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update:09/01/20