恋するマリオネット
(93)

 まるで人目をはばかるように、だけど堂々と、その女性は城を歩く。
 柱の陰に隠れ、だけど声を殺すことなく、それは告げられていく。
 同時に、告げられた男はいまいましげに顔をゆがめた。
 たまたまそこを通りかかった男も、彼女がもたらすその事実に思わず気をとられ耳を傾ける。
 あまりもの内容に、ふらりとよろけ、そこにあった柱にぶつかりそうになる。
 そうして、たった一人に言ったはずのことが、次の瞬間には、二人、四人、八人……と知らぬ間に、両手両足では足りない数へと広がっていた。
 主観や脚色も加わり、城中に広まった頃には、耳をふさぎたくなるような口汚い言葉も添えられていた。
 さも、それが事実で、すべてであるように。
 日本という穢れた国からやってきたあの娘は魔女で、この国を破滅へと追いやろうとしている。
 純粋な王子を騙し。
 また、その王子も、穢れた魔女に操られ、もう正常な判断を下せなくなっている。
 王子に仕える者たちも、同様に。
 一体、いつの時代のおとぎ話だと思えるそのようなことも、理性を失った彼らには真実となる。そう信じている。
 たしかに、この国には、再生神・ヴィーデなどという、それこそおとぎ話の世界のようなものが存在しているのだから、今さら魔女如きでは疑う余地もないだろう。
「ねえ、このまま黙っていていいの!? こんなにひどいことを言われて!」
 フィガロットの居住区となっている館内にあるその部屋で、萌歌はフィガロットにぐいっとつかみかかっていた。
 このようなひどい噂が流れているというのに、フィガロットもランバートも、誰も対処しようとしない。
 たしかに、ここまでひどくなってしまっては、手のほどこしようがないけれど……。
 だからといって、萌歌は黙ってなどいられない。
 フィガロットやランバートたちが、悪く言われていることを聞いてしまっては。
 もとより、萌歌が運命の乙女でないと噂が立った頃から、萌歌は悪く言われているのだから、今さらどのように言われようと、もう仕方がないとあきらめもつく。
 だけど、それが、彼らが必死に守ろうとする生贄≠ノまで及ぶなど……。
 まあ、生贄≠セからこそ、そのような扱いになるのかもしれない。
 彼らが生きるための贄を失う恐れがあるのだから、尋常ではいられないのだろう。
 だけどやっぱり、萌歌はこのまま黙っていることなんてできない。
「下手に否定でもしようものなら、火に油を注ぐことと同じになってしまいますよ」
 フィガロットの胸につかみかかる萌歌の肩にぽんと手をおき、やけに冷静に、ランバートがそう告げる。
「でも……っ」
 たしかに、余計ひどい状態になることもあるかもしれないけれど、だからって、このようなことはひどい。許せない。
「大丈夫。萌歌は気にしなくていいから。いざとなれば……俺にも考えがある」
 つかむ手を両手でふわりと包みこみ、フィガロットはそのまま萌歌を抱きしめる。
 すると、その腕の中で、訝しげに萌歌が首をかしげた。
「考え……?」
 困ったように見つめるフィガロットを、萌歌はじっと見つめる。
 次の瞬間、何かに気づいたように、萌歌の顔が青ざめた。
「フィ、フィガロット!? まさか……!」
 そして、そう叫んでいた。
 腕の中から、萌歌は再びフィガロットにつかみかかる。
「……うん。王位を捨てる」
 悲しげに、フィガロットは小さい笑みを浮かべる。
 言葉にしなくても、萌歌の気持ちはフィガロットに、フィガロットの気持ちは萌歌に通じてしまうらしい。
 それは、互いの心が近くなったという証だろうから、フィガロットは不思議と嬉しさのようなものを感じる。
 そのような気持ちを抱いてはいけないとわかっているけれど、人間とは不思議なもので、いつでも自らの幸福に気づけてしまうらしい。
 むしろ、苦しみの中でこそ、小さなに幸せに気づけるのかもしれない。
 萌歌がここまでフィガロットを思うのなら、フィガロットはもうそれだけでかまわない。
 たとえ、萌歌を苦しめることになっても、この幸福を手放すことなど、フィガロットにはもう考えられない。
 自らの幸せに、貪欲になる。
「まあ、その方法もありますが……」
 フィガロットが苦しげに萌歌に視線を落とすと同時に、いきなり横からそう割って入ってきた。
 その声の持ち主を、萌歌はいまいましげににらみつける。
 なんだか、腰を折られたような気分になったから。
 事実、この男は、邪魔をしに入ったのだろう。
「ラ、ランバートは認めるの!?」
 フィガロットの腕の中で、萌歌が不安げにその男を見つめる。
 瞬間、フィガロットの中に、むっとおもしろくない感情が広がっていく。
「もともと言っているではありませんか。この国の王制自体、腐りきっているのです。むしろ、なくなってしまった方がいいと、わたしは思っていますよ?」
 けろりと、今さら何を言っているのですか?と、ランバートは当然のように言い切る。
 たしかに、ランバートは、そのようなことを萌歌に言ったことがある。
 ならば、フィガロットが王位を捨てることこそが、この国に伝わる掟をぶち壊すことこそが、ランバートの願いなのかもしれない。
 それにより、再生神の加護が得られなくなったとしても。
「そ、そういえば、そうね……」
 萌歌は思わず、そう答えていた。
 ランバートのそのあまりにも当然といった振る舞いに、気おされてしまったように。
 そこまできっぱりと自分の思いを告げられては、萌歌は二の句がつげなくなってしまう。
 そして、その願いを、萌歌は否定することができない。
 少なからず、萌歌もそう願っていないこともなから……。
 フィガロットには、その時はともに逝くと約束したけれど、本当はそのようなことなどない方がいいと思っている。
 そもそも、そのようなものを壊してしまいたい。
 神に頼るなど、そのような他力本願ではなく、人間ならば、人間の力だけで生きぬいた方が、どれだけ罪悪感がないか。うしろめたさがないか。誇りに思えるか……。
 まあ、それすらも感じられなくなってしまったから、今のこの国があるのだろう。
「大丈夫。俺が王位を捨てて本当に困るのは、一部の腐りきった者たちだけだから」
「え……?」
 腕の中で一人考えこんでしまった萌歌に、フィガロットは微苦笑を浮かべ語りかける。
 ため息まじりのその言葉が、めりこんでいく萌歌の思いを、不思議にすっと軽くする。
「両親はわかってくれているよ。萌歌のことを認めてくれている。二人も知っているから。この気持ち……」
「あ……」
 困ったように、だけど愛しげに萌歌を見つめ、フィガロットは静かにそう告げる。
 瞬間、萌歌は、目からうろこが落ちたようにフィガロットを見つめる。
 そのような萌歌に、フィガロットは肩をすくめる。


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update:09/01/26