恋するマリオネット
(97)

 建物の内へ続く扉に、ライヒの手が触れた時だった。
 そのすぐ内で、何やら複数の男性の声が聞こえる。
 まるで怒鳴りあっているように、ののしり合っているように聞こえる。
 ぞくりと、萌歌の体を嫌なものが駆け上がる。
 とても、嫌な予感がする。
 思わず、ばっとライヒを見上げた。
 すると、ライヒも額に冷や汗のようなものを浮かべ、険しい顔をしている。
 萌歌は扉に触れたライヒの手に手をかさね、そのまま先を促す。
 すると、ライヒの手はびくりと震え、先へ進むことをためらった。
 嫌がるその手をはらいのけ、萌歌は自らの手で扉を押し開ける。
 瞬間、耳を覆いたくなるような、人が発してよい言葉でないものが襲ってきた。
 口々にそれが叫ばれている。
 ずるっと、足をひきずるように一歩後退していた。
 同時に、支えるようにライヒがまわした腕に背を抱かれ、それはかなわなかった。
 がばっと、萌歌はまたライヒを見上げる。
 すると、今度は憎らしげにその顔がゆんがんでいた。
 今そこにいる汚らわしい化け物を射殺すように。
 びくんと、萌歌の体が大きく震える。
「萌歌!」
 その時、萌歌の名を呼ぶ叫び声が聞こえた。
 そして、焦りの色を見せ駆け寄ってくる。
 フィガロットが……。
「よかった、無事だったか……!?」
 駆け寄ると同時に、ライヒの腕から奪うように萌歌を抱き寄せ、フィガロットはその胸の中でぎゅっと抱きしめる。
 あまりに見事な瞬間芸に、ライヒは面食らったように目を見開いている。
 そして、困ったように肩をすくめ、フィガロットの向こうに見える男たちをにらみつける。
「……フィガロット……」
 フィガロットに勢いよく抱き寄せられ、その腕の中で戸惑うように萌歌がそうつぶやく。
 萌歌がちらりとすぐそこの顔を見ると、とても苦しそうにゆがめられていた。
 精一杯強がっているけれど、その心は号泣している。嗚咽をあげている。
 ふうっと、何故か萌歌の体から力が抜けていく。
 それは、決してフィガロットを思う気持ちがなくなったわけでも、緊張が解けたわけでもない。
 萌歌は安堵したようにフィガロットに微笑みかけ、自らちょっとだけその胸に頬をすり寄せる。
 大丈夫だよ、そう伝えるように。
 すると、フィガロットはぴくりと肩を震わせ、どこか恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
 萌歌の胸に少しの安堵が広がっていく。
 少しでも、フィガロットのその思いをやわらげることができたのならと……。
 自然、萌歌の手も、フィガロットの腕をつかむように触れていた。
「あなたは、我々国民よりもその娘を選ぶというのですか!?」
 その時だった。
 どすどすと歩み寄る乱暴な足音とともに、そのような怒声がフィガロットになげかけられた。
 フィガロットはすぐさま萌歌を引きはなし、同時にその背に隠す。
 フィガロットの背に隠された萌歌は、ぎゅっとその背にしがみつく。
 そして、萌歌の後ろには、守るようにして立つライヒがいつの間にかいた。
 萌歌の前後には、痛々しい空気を放つ男二人がいる。
 それから、その二人の前に、遮るようにランバートとジョルーが割って入る。
「我々を見捨てるおつもりか!? あなたは悪魔だ!」
 フィガロットの振る舞いに、それまで言い争っていた重臣たちが、完全に理性をぶっちぎったように口々に叫び散らす。
 歩み寄る重臣の腕が、萌歌を捕らえようとのばされる。
 だけどそれは、ランバートとジョルーによって阻まれ、萌歌にはとどかない。
「悪魔に魂を売った、罪深き王子だ!」
「忌むべき王太子に、即刻裁きを……っ!」
 なおもおぞましい言葉を吐き出し、重臣たちは責めたてる。
 フィガロットの背にすがる萌歌の手がびくりと震え、同時に体いっぱいを使ってがたがた震えだし、その思いを主張しはじめた。
 のろりのろりと、萌歌の手がフィガロットの背からはなれていく。
 ためらうように何度か進退を繰り返し、そして決意したようにはなれていく。
 それに、ふとフィガロットが気づき、怪訝に萌歌を見つめる。
「萌歌……?」
 まっすぐ見つめるその目から、萌歌はすっと顔をそらす。
 そして、一歩後ろへ下がる。
「やっぱり、無理だったのよ。――ごめん、わたしにはたえられない。あなたのわがままで、こんな目にあうなんて。わたし、言ったわよね? 危ないことはしないと」
 萌歌はもう一歩後ろへ下がり、震える唇からかすれるその言葉を吐き出す。
 そして、またもう一歩後退する。
 両腕で自らをかき抱き。震えるこの体が憎らしいと。
 震えるな、主張するな。伝わってしまうから。
 伝えてはいけない。本当の思いは。
 萌歌はそう、自らの体を叱咤する。
 もう少し、もう少しでいいから、たえてと。
「萌歌……?」
 苦しむ萌歌を、フィガロットは眉根を寄せ不思議そうに見つめる。
 不思議そうだけれど、苦しそうにも、悲しそうにも見える。
 その目には、いろいろな感情がないまぜになっている。
 それらはすべて萌歌のことを思ってのこととわかるから、ゆらぎそうになる。
 萌歌が決意したばかりのそのことが。
 お願いだからそのような目で見ないでと、叫びそうになる。
 だけどそれはぐっとこらえ、心配そうに萌歌へのばすフィガロットの手をばしんと打ち払う。
 衝撃を受けたように、フィガロットの目が見開かれた。
 それが視界のすみに入ってきてしまい、萌歌は壊れそうになってしまった。
 こらえる思いすべてを、はきだしてしまいそうになった。
 だけど、それはできない。
 ――誰よりも、フィガロットのために。
 萌歌はそう決意したのだから。
 ぶたれた手を信じられないともう一方の手でぎゅっとにぎりしめ、フィガロットは訴えるように萌歌を見つめる。
 その目はまるで、何かを悟ってしまったような光をはらんでいる。
 この一瞬で、事実、フィガロットは悟ってしまえていた。
 萌歌の思いを。悲しいまでに慈悲深い、その思いを。
 わかってしまったけれど、フィガロットはどうしても抗ってしまう。
 一縷の望みを託し。
「萌歌、言ってくれたよね? たった一つ、ゆずれないものだけはゆずらない。その心があれば、それは決して操り人形などではないと。一緒に戦おうと。一緒に因縁を解き放とうと。萌歌がそう言ってくれたから、俺は萌歌のその言葉を信じ、萌歌を支えに、これから新たな思いで生きていこうと思ったのに。萌歌とともに、操り人形ではなく人として……! 俺のゆずれないものは、萌歌なのだよ!」
 抱く思いすべてをぶちまけるように、フィガロットが叫ぶ。
 そのぶつけられる思いに、萌歌の体はますますひどく震える。
 本当は、その胸の中へ飛び込みたくて仕方がない。
 だけど、できない。
 萌歌は決めたから。
 フィガロットを守るために、フィガロットを手放そうと。
 そうすれば、もう誰も、フィガロットをこれ以上苦しめることはないと思ったから。
 もうこれ以上、フィガロットを苦しめたくはない。
 これまでも、十分苦しんできたのだから。
 これ以上の苦しみ、お願いだから、誰もフィガロットに与えないでほしい。
 萌歌のゆずれないものもまた、フィガロットだから。
「もう、うんざりよ。あなたなんかのために、どうしてわたしがこのような目にあわなきゃならないのよ。――わたしは日本へ帰る。もう二度とわたしの前にあらわれないで」
 背後にいたライヒの背へばっとまわりこみ、萌歌は怒鳴るようにそう叫ぶ。
 するとフィガロットは、慌てて萌歌へまた腕をのばしていく。
「ちょ、ちょっと待って。言っていることが……」
「まだわからないの!? 迷惑だって言っているのよ。あんたなんて、大嫌い!!」
 そう叫び、萌歌はそのまま、開け放たれたままになっていた扉から外へ駆け出す。
 萌歌の目からは、もうぬぐうこともかなわないほど、たくさんの涙があふれていた。
 それに視界が覆われ、何も見えない。
 ふるふる震える唇を、きゅっとかみしめる。
 いっぱい恨んで。いっぱい憎んで。
 萌歌なんていらないと思って。
 そうしたら、あなたの心、少しは楽になるかもしれないから。
 景色にとけていく萌歌の後ろ姿が、そういっているように見える。
「萌歌……っ!!」
 悲痛なフィガロットの叫び声が、城中に響き渡るように空にとけていく。
 生ぬるい風が、息ができないほどたくさん、ぶわりと一度に襲ってきた。
 風にふくまれた花の甘い香りに、むせかえりそうになる。
 いつもは優しいと感じるその香りが、今は残酷に思える。
 花と太陽に包まれたその世界へ駆け出した萌歌を、フィガロットは追いかけることもできず、ただじっと見つめていた。
 衝撃を受け、自らを失ったようにそこにたたずむフィガロットを尻目に、ライヒは舌打ちをして、舞い込む風をおしのけるように庭園へ飛び出して行く。
 慌てたように、悔しそうに。
 まさか、本当にこのようなことになるなど思っていなかったと。


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update:09/03/04